十二.星樹の森へ[前]


 気がついたら、朝日が窓から差し込んでいた。

 寝落ちる前の曖昧あいまいな記憶をさぐり出し、深くため息を吐き出す。どうやら自分は椅子に座ったまま、眠りに入っていたらしい。


 昨夜、セロアとかいう人間フェルヴァーの彼が夕飯だと呼びに来てくれて、ロッシェが作ったらしい料理を食べたのは覚えている。不味まずくはなかった、というのは残っているが、何を食べたかはあまり思い出せない。

 最愛の妻を病に奪われてから、どれくらいの時間が経過したのだろう。

 鍵を手に入れたのは仕事上の偶然で、本当なら門外不出のところを書類を誤魔化し持ち出した。それによって死者を呼び戻すことができる、と文献にあったからだ。


 目的について、ルティリスにもロッシェにも話すつもりなどなかった。同情されるのも不本意だし、何より説明するのが苦痛だ。特にロッシェには、妨害されることを危惧してほとんど情報を与えなかったのに、まさか、気づいてしまうとは。

 コンコン、と扉が叩かれる。億劫おっくうな気分で誰何すいかすれば、セロアの声でおはようございますと返ってきた。


「リトさん。ロッシェさんが、朝食作りましょうかと聞いていますが」


 なぜ自分で来ないんだと思いながら、リトは立ち上がり扉を開ける。長身の賢者は昨夜と同じつかみ所のない笑顔で廊下に立っていた。


「いや、俺が作るよ」


 塞いでいても仕方ない。いい加減に頭を切り換えて動き出したいところだし、料理は気分転換になる。

 返答を聞いて柔らかく微笑むセロアにつられ、リトも瞳を和ませる。


「では、向こうでお待ちしていますね」






 身支度を整えてダイニングに行くと、なぜか全員テーブルを囲んで立っていた。怪訝けげんに思いつつ部屋に入ると、卓上に地図が広げられているのに気がつく。

 地図を指差し何かを話していたロッシェが、気づいてこちらに目を向けた。


「お早う御座ございます、ご主人様」


 鎖が外れてもその呼び方か。と口に出すのも面倒くさく、心中で突っ込むだけで終わらせる。悪気がなさそうなだけに意味が解らない。


「何をしているんだ」

「ユヴィラの聖域へ行く方法を確認していたんですよ」


 深く考えずに尋ねたら、予想外の言葉が返ってきた。軽くめつけてやると、ロッシェは口元だけで小さく笑う。


「行かせてください。僕はあの守護獣に借りがあるんです」


 正直、信用できるかと問われれば答えは否だ。だが、自分一人でルティリスを守りつつ守護獣と渡り合う自信は、ない。

 それに、ロッシェは嘘をついていないという漠然とした確信もあった。


「……解った」


 不承不承といった風にうなずけば、隣で心配そうに見ていたルティリスが嬉しそうに破顔した。いつも思うがこの二人、どうしてこんなに仲がいいのか。


「パパは、一人で戦えますか?」


 ルティリスと逆側の隣で、ロッシェの娘が見上げて尋ねる。確かルベルと言う、精霊と会話のできる――恐らく精霊使いエレメンタルマスターの少女だ。


「彼が援護をしてくれるから、大丈夫だよルベル」


 ロッシェが返答し、ルベルがこちらを見る。瞳の大きなあかね色の両眼でじっとリトを見つめ、それからにこりと笑った。


「解りました。リトくん、パパをよろしくお願いです」

「ああ、任されたよ。だから心配せずに、待っててくれるかな」


 意志の強そうな瞳から、本音は読めない。とりあえず当たり障りのない答えを返したら、ルベルはきっぱり首を横に振った。


「いいえ、リトくん。ルベルも一緒に行くんです」

「……巻き込みたくないんじゃなかったのか?」


 思わず、視線を上げてロッシェを見れば、困ったように笑う紺碧こんぺきの双眸。


「ご主人様が、説得してくれますか?」

「無理を言うな」


 視線を戻しルベルを見、得意げな笑顔に納得する。つまり、押し切られた訳か。


「僕としては同行なんてせず、安全な場所で待ってて欲しいんですが。でも、先生もいるので、いざとなればルベルを連れて逃げて貰えるので、……すみません」


 ぼそぼそと不本意を口にするロッシェは、妙に子どもっぽく見えた。つい口元に笑みが上るのを感じつつ、リトはセロアに目を向ける。


「と言うことは、おまえも来るのか。セロア」

「ええ、行くつもりです」


 こちらも即時即答だ。ルベルとはさぞや息が合うに違いない。そして二人でロッシェをやり込めるのだろう……と思考が脱線し掛かったのを、思い直して引き戻す。

 見た目からして肉弾戦は不向きそうだし、先生と呼ばれるからには学者か教師なのだろう。あるいは、自分と同じ魔術師ウィザードか。


「セロアは魔法が使えるのか?」


 確認のつもりで尋ねたのだが、セロアは曖昧あいまいに笑って言った。


「実は私、魔法は使えないんですよ」


 意外な告白に少し驚く。確かに、人間フェルヴァーという種族はあまり魔法の素質に恵まれていないと、聞いたことはあるが。


「ふぅん、意外だな。それなら、剣を扱うのか」


 ロッシェも剣士フェンサーだし、と思って尋ねてみれば、セロアは困ったように眉尻を下げた。


「それが、剣もあまり得意じゃなくて」

「……それで同行はどうなんだ」


 一瞬ルティリスと同じ弓の線も考えたが、打ち消した。弓は大きな武器だから装備していれば一目瞭然りょうぜんだし、矢筒やづつも見当たらない。

 もしかしてこの人間フェルヴァー、いわゆる非暴力主義者という奴だろうか。


「大丈夫ですよ。私は、逃げ足が速いので」


 にこりと笑顔でさわやかに告げられた台詞に、今度こそ絶句する。何かすがりたいような気分になってロッシェを見れば、彼は苦笑混じりにつぶやいた。


「ひどいでしょう。でも彼、僕より致傷率低いんですよ」


 それは彼が逃げるせいでお前が盾になっているのと違うのか。と喉元まで出掛かったが、面倒臭かったのでやめておく。その困惑を察したのだろう、ルベルがリトを見上げて得意げに言った。


「セロアさんは精霊の加護が強くて幸運を呼び込む体質だから、一緒に行けば絶対うまくいくんです」

「それは大袈裟おおげさでしょう、ルベルちゃん」


 苦笑いのセロアと、それを心底確信している風のルベル。ロッシェはと言えば、娘の言葉を否定するでもなく黙ってやりとりを聞いている。

 それはつまり、ルベルの言はあながち妄想でもないということだろう。


「それは頼もしいな。期待しているよ、セロア」

「はは、期待に添えれば良いのですが」


 ますます困惑げに笑いつつセロアは言ったが、先の見えない今後を思えば幸運は幾らあっても余分ではない。自分が余り運に恵まれていない自覚はあるので、尚更なおさらだというか。


「話は決まりかな。……では、いつ出発しますか?」


 ひと段落のタイミングを見計らっていたのだろう、ロッシェがリトに聞く。なぜ自分にばかり敬語なんだと思いつつ、リトは地図に目を落とした。


「ここからは大人の足で約半日の移動距離だ。転移魔法テレポートでも行けるが、魔法力が減ったまま森に入るのは避けたいな。手前の街で一泊するとすれば、夕方出発でいいんじゃないか?」

「半日の距離なら、今から出発して徒歩で向かいませんか? そうすれば夕方前には着けるでしょうし、宿も取りやすそうですしね」


 そう発言したのはセロアで、リトはいささか驚いて彼を見返す。確かに【転移テレポート】は魔族ジェマ以外に使える者が非常に限られる魔法なので、セロアの発想はごく普通なのかもしれないが。


「わざわざ歩くのは非効率だろう」

「そんなことはないですよ。旅の醍醐味だいごみは、目的地へ向かう道中にもたくさんありますから」


 そう話す緑玉エメラルドの瞳は強い輝きを宿していて、彼は根っからの探求者なのだろうとリトは思った。

 自分は旅人ではなくどちらかといえば研究者なので、彼の言う醍醐味を感じることができるかは解らない。けれどどの道今日中に森に入るのは無理だろうし、それならここで時間を潰すのも徒歩で潰すのも同じことだ。


「解った。それなら今から準備をして、朝食を食べたら出発するか」

「はいっ」


 それまでずっと、きょとんとした風に話を聞いているだけだったルティリスが、嬉しそうに耳を跳ね上げて立ち上がった。

 恐らく話について行けていなかったのだろう。


「じゃ、ルベルも準備してきます」


 ルティリスを追い掛けるようにルベルも立ち上がる。二人連れ立って部屋を出るのをロッシェは見送って、それから自分も立ち上がりリトのそばへと歩き寄る。


「……鍵を、預かっても宜しいですか?」


 遠慮がちな、細い声。リトはしばし睨むようにロッシェを見ていたが、やがてため息を一つつき、ふところから小さな革袋を取り出して彼に手渡した。


「ありがとうございます」


 ロッシェは受け取り、それを自分の上着の内ポケットに仕舞い込む。そして、立ち尽くしているリトに再び視線を向けて言った。


「僕に【制約ギアス】の指輪を使いますか? 完成しているのでしょう」

「いや、いい」


 ロッシェの紺碧こんぺきの双眸はいだ海のように静かで、まっすぐだった。

 きっと、彼は自分を裏切ることはない。脅しつけられたり拘束されたりと非道ひどい目にわされてばかりの癖に、なぜそこまで義理立てできるのか理解に苦しむが。


「では、僕も荷物をまとめてきます」


 小さく笑って一礼し部屋を出るロッシェを見送りながら、リトはもう一度ため息をついた。気になることや解らないことはいろいろある。そしてまだセロアがこの場にいるが、改めて聞き出そうとすれば長くなりそうにも思う。


 機会があれば、道中か宿場でセロアとそういう話ができるかもしれない。……別に、できなくともまったく構わないが。

 とにかく今は、目的を果たすために動くことが最優先だ。


「俺は朝食の準備をしてくる」


 広げた地図や書き込みされたメモ用紙を回収しているセロアに声を掛けると、優顔やさがおの賢者は顔を上げて微笑んだ。


「では、準備ができたらここに集合しましょうか」




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