五.主従の鎖[前]


 獣人族ナーウェアの者たちは、自分が属する部族の獣に姿を転じることができる。

 その変化は自身の身体のみなので、身につけている衣服や装飾品は脱ぐか外すかしなくてはいけないのだが、人型でいるときよりも遙かに五感が鋭くなるという利点もあり、獣人族ナーウェアにとっての獣化ビーストチェンジは日常の一環に過ぎない。


 それと似て非なるのが魔族ジェマ本性変化トランストゥルースだ。

 彼らの場合はその突出した魔法能力により、衣服や装身具類ごと姿を変えることが出来る。しかし、獣人族ナーウェアと違い本性トゥルースが魔獣や妖魔であるため、他者にその姿をさらすことを嫌悪する傾向が強い。

 そういう意識の違いからすれば、彼の反応もごく当然だろうな……と、寝起きの思考でロッシェはぼんやり考える。


 ルティリスの分もベッドは用意されているのだが、小さな身体に不安をため込んでいる様子を見ぬ振りはできず、一緒に寝ようかとロッシェが誘ったのだ。そして彼女は自分が一番休まる形態に――狐の姿へと変身し、さっきまで彼の上で寝ていた。

 腹の上の温もりが心地良かったからか、あるいは極度の失血と無理な魔法発動のせいか、自分にしてはかなり深く寝入ってしまい、リトが部屋に入ってきたことに気づかなかった。

 なぜか朝から不機嫌なリトに叩き起こされ目を覚まし、つられて目ざめたルティリスは隣の部屋へ着替えに行って、自分はこうしてリトの尋問を受けている、と言うわけだ。


「……聞いているのか、お前」


 別のことを考えながら聞き流していたのが、ばれたらしい。黒髪黒目の魔族ジェマは不機嫌そうに腕を組んで、ベッド横の椅子に座っている。


「まだ、頭がはっきりしなくて」


 薄く笑って言い訳すれば、リトはいぶかるように眉を寄せた。


「それなら、はっきりする前に魔法を封じる鎖を追加してやろうか」


 低い声に込められた殺気のようなものから察するに、やはり彼は不機嫌らしい。下手に誤魔化そうとしてはますますあおりそうだと思い直し、ロッシェは少し上体を起こして姿勢を正すとリトの方へ向き直った。


「だって、貴方としても、僕が怪我人のままでは不都合でしょう?」


 彼が自分を森に置き捨ててこなかったのは、ルティリスに請われたからというだけでなく、剣士という自分に利用価値を見出したからだろう。気になるのは彼の目的だが、まだ信頼を得ていない以上核心を突いた話はできまい、とは思っている。

 リトは鋭い両眼で値踏みするようにロッシェを見、それから口を開いた。


「確かに、お前が魔法を使えるかどうかを確かめなかったのは俺の責任だしな。……まぁいい。俺としても、余り手荒な真似は好きじゃない」


 返答を聞いて、ロッシェは薄く微笑む。リトは怪訝けげんそうに眉を寄せたが、特に言及しなかった。話を進めたいのだろう。


「今さら自己紹介というのもおかしな話だが、俺はリト。主に精霊について研究をしている魔術師ウィザードで、見ての通り魔族ジェマだ。お前は?」

「名前はロッシェ。人間フェルヴァー剣士フェンサーで、国籍はライヴァン帝国。諸用で旅をしている途中にルティリスを助けて、護衛のつもりで同行していました。だから、」


 こんな事になるのなら、もっと余裕を持って待ち合わせの日時を決めれば良かった。そんな後悔が胸中を過ぎるが、今さら後の祭だ。


「だから、鍵をどうこうする気はない、と?」


 思考に沈みかけて言葉が途切れたロッシェの台詞を、リトが引き取って続ける。そのタイミングが絶妙だったので思わず見返したら、彼は人の悪そうな笑みを浮かべて言った。


「ベッドに繋がれたままでは不便だろう。怪我が治ったんなら、その手錠は両手に填めても問題ないな」

「……。イジメですか?」


 その様子が妙に嬉しそうに見えて、思わず真顔で問い返したら、呆れたように彼はため息を吐き出す。


「どうしてそうなる。お前が鍵を奪って聖地に返そうとはしないと、俺はまだ信用したわけじゃないんだ。どうせ今日は貧血でまともに動けないんだろうから、大人しく部屋で寝てろ」

「……。らじゃ、ご主人様」


 言葉は正論だが気分が納得できず、ぼそっと返事をしたら、リトの表情が凍りつく。


「ロッシェ、……その呼び方はやめないか?」


 思った以上に不快げな反応が返ってきた。それがなんとなく面白くって、ロッシェは右手を持ち上げて手首の鎖をリトに見せ、言い返す。


「だって僕はこの通り囚われの身ですし。言葉に気をつけて、貴方に従う以外どうしようもないですよね?」

慇懃無礼いんぎんぶれいはむしろ不快だ」


 吐き捨てるように言ってリトは立ち上がり、柱側の手錠を外してロッシェを睨んだ。


「左手を出せ」


 今なら逃げられる、と一瞬浮かんだ考えをロッシェはかみ殺す。

 まだ体力は十分じゃないし、足にも鍵穴のない枷が――恐らく魔法性の物が付けられている。無理に抵抗してますます状況が悪化しても困るし、彼の目的が何かも気にならないわけではない。

 渋々しぶしぶ出した左の手首にリトはためらいもなく手錠を填めた。カチリと何かが噛み合う音がしたが、これにも鍵穴は見当たらない。ロッシェは憂鬱ゆううつげに息を吐き、両手を持ち上げてしげしげと鎖を眺める。

 リトはしばらく黙ってその様子を見ていたが、放っておくとまたロッシェが思考にふけってしまうと思ったのだろう、椅子を引いて再び腰を下ろし、口を開いた。


「何か食べるか? ロッシェ」

「…………」


 意外な質問に驚いて見上げれば、リトと視線がかち合った。つった黒い双眸の奥にどんな思惑が隠されているのか、鈍り気味の思考ではいまいち読み取れない。


「まだ、あまり食欲がなくて」


 仕方ないので正直に答えれば、意外にもリトの表情が和らいだ。


「昨日の今日では、そうだろうな。もう少し寝て、動けるようになったら来ればいい。俺は隣の部屋にいるし、ルティももうしばらくすれば戻ってくるだろう」

「彼女は今、朝食ですか」


 リトはうなずき、道理で遅いわけだとロッシェは納得した。


「他に何かあるか? ……無ければ、俺は戻るが」


 気遣われているのか鬱陶うっとうしがられているのか判らない。リトの態度は横柄だが、自分に対する行為は基本、親切だ。それでもやはり、不本意な状況であることに変わりはないのだが。


「これは、いつ外してくれますか?」


 答えを期待せずに尋ねれば、リトは面白がるように口の端をつり上げた。


「今、【制約ギアス】効果付きの指輪を作成中だ。それが完成したら、外してやるよ」

「……。それって、今より不自由になりそうに思うのですがご主人様」


 つい言ってしまった後で、少しだけ後悔する。笑顔の表情はそのままで、リトの瞳に殺気がともった、気がした。


「その口、利けなくしてやろうか?」


 穏やかだがすごみのある声が本気じみている。自分としては余り悪気はないのだが、相手の神経を逆撫でする言い方をしてしまうのが悪い癖だ。こういう圧倒的不利な状況で、わざわざ向こうを怒らせなくてもいいだろうに。


 無言で両手を挙げ降参の意思表示をしてみせた。彼の自分に対する処遇そのものに不満があるわけではないのだ。ただ、現状に到るまでに失ったかもしれない信頼を思う時、居ても立ってもいられない気分になってしまうだけで。それはリトとも、ルティリスとも関係がない、自分個人の失態なだけで。

 そんな事情など当然リトにはあずかり知らぬことだし、理解を求めようとも思ってはいない。それなのに、自分は彼に対し何を期待しているのか。


「……とにかく昼まで寝て、多少食欲がなくても昼食は食べに来い。身体が弱っていては、思考も十分に働かないだろう」


 黙り込むロッシェにそう言って、リトは立ち上がる。その言ももっともだったので、ロッシェはゆるくうなずき、再びベッドに潜り込んだ。

 終わってしまったことや、先のことを考えても、らちがあかない。今の自分にできるのは、とにかく身体を回復させることしかない。




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