四.繋がれた狼
この世界には、創世の時代より六つの種族がある。
ルティリスは
魔術に関してはほぼ素人のルティリスには、リトの魔術
それでも失血のせいか傷が存外深かったのか、ロッシェの傷は治癒魔法だけでは十分に治らず、リトが呼んだらしい医者が往診に来てくれた。
外傷だけでなく骨折もあったので、手当てをし鎮痛剤を打ってロッシェが眠ったのを確認してから医者は帰っていった。その間ずっとリトは姿を見せなかったが、ルティリスは眠る気分になれず、ベッドのそばに座ったままぼんやりと付き添いをしていた。
夜中、熱が出たのかロッシェは少しうなされたようだった。ルベル、と言う名を二回ほど聞き取れたので、きっと待ち合わせていたという相手なのだろうと思った。
布の
早朝に差し掛かる少し前の時刻、自分はいつの間にか眠りの
乱れた髪を手で払いながら頭を上げ見れば、ロッシェは目を覚ましていた。夜とほとんど変わらぬ姿勢で横になったまま、何をするでもなく天井を見つめている。
声を掛けるべきか迷っている内に、彼はゆっくりとこちらへ瞳を向けた。
「ロッシェさん」
薄明るい部屋の中、
「ごめんなさい、わたしがあの時、鍵を捨てていれば……」
「優しい人だと思ってたのに、こんな、酷いことをするなんてっ」
ロッシェは治癒魔法を掛けてもらった時に、逃げられないよう
自分がリトのいいつけを守ろうとしてロッシェの言葉を聞き入れなかったせいで、ロッシェは大怪我をした上こんな場所に拘束されている。何か悪いことをしたわけではなく、むしろ親切心から関わってくれたのに、待ち合わせの約束も果たせずに。
「ごめんなさい」
自分にできることで助けになれるのなら、頑張ろうと思ったのに。
こんな、酷いことをする人だなんて。
どんな説明をしても言い訳にしかならない気がして、謝る以外に何も言えず、膝の上でこぶしを握りしめうつむいてしまったルティリスを、ロッシェは黙って見る。
瞳をさまよわせて部屋を
左の肩と腕は骨折のため動かせず、動く方の右手を伸ばそうとすれば
「なんだこれ。ずいぶんと厳戒じゃないか」
その言葉にますます縮こまるルティリスの方に、ロッシェは再度右手を伸ばそうとして、そしてあきらめる。代わりに手招きをした。恐る恐る近づくルティリスの頭にロッシェは右手をのせ、ぽんぽんと叩くように撫でる。
「心配ないさ。僕はもう大丈夫だし、彼はそれほど悪い人物ではないよ」
泣き出しそうなオレンジの瞳と下がりきった狐の耳が何より彼女の心境を代弁している。だからロッシェは返事を待たずに言葉を続けた。
「彼自身が言ったとおり、リスクを冒してまで僕を助ける理由なんてない。僕は彼の目的を阻止しようとしたし、余計な事に感づいてしまった。だから、あの場で殺すか少なくとも放置しておく方が彼にとっては好都合だったはずさ」
少なくともあの場で、リトは絶対的に優位だった。
さすがの自分も一応死を覚悟した、というのは、今は言わないでおくが。
「でも、彼はわざわざ僕を連れ帰って手当てをし、牢ではなくまともな部屋に置いてくれている。だから、僕も今の所はこの扱いに甘んじてやることにするよ」
「……ロッシェさんは、怒ってないんですか?」
恐る恐るルティリスが尋ねると、ロッシェは一度瞬いてからうなずいた。
「怒ってはいないよ。でも、君は自分を責めてるだろう。僕が怒っていないことが、不安なのかい?」
傷の痛みも手錠の不快さもあるだろうに、それを
どう返答すべきか迷いながらロッシェを見返せば、彼はまた自嘲気味に笑った。
「そりゃあ、平気と言えば嘘だけど。待ち合わせすっぽかしちゃったから向こうは今頃ご立腹だろうしさ、困ったなぁって思ってるけど」
「ルティリスは、どうして鍵を預かったんだい? 彼は見ず知らずの
問われて考える。優しそうな人だと思った。ご飯を一緒していろんな話をして、いい人だと思った。だから、協力して欲しいと言われて力になりたいと思った。
「リトさん、閉じこめられている精霊を自由にしてあげたいんだって、だから、わたしにできることがあれば頑張ろうって思ったんです。リトさんにも精霊さんにも、笑って欲しくて」
思い付くまま言葉に乗せたら、不意に悲しくなって涙がこぼれた。
みんなが幸せになれればいいと思った。だれにも不快な思いなんてさせたくないのに、――リトの冷たく怒った横顔が忘れられない。
またも自己嫌悪に沈みそうになったところで、急にぐいと頭を引き寄せられた。そのままロッシェの胸に顔をうずめる形で抱きしめられ、子どもみたいに頭を撫でられる。
「僕も同じだ」
低い声が耳をくすぐった。
「僕も、君の困ってる様子を見て、何とかしてやりたいと思ったから、関わることを決めたのさ。面倒事を予測しなかった訳じゃないけど、放っておけなかった」
「自分で決めて、その上で巻き込まれた面倒くらい、僕は自分で何とかできる。だから君も、自分がなぜ関わりたいと思ったのか、その時の気持ちを忘れちゃいけないよ」
ゆっくり語られる一言一言と、規則正しい心音を聞きながら、ルティリスは黙って目を閉じた。ロッシェの
「それに君は、無力なお嬢様ではないんだから。彼が本当に悪い奴だったり、君を
笑うような口調で問い掛けられ、ルティリスの口元にも思わず笑みが上った。
「はい」
そういえば、襲撃者をたったひとりで撃退したことが、ロッシェと出会った切っ掛けだった。簡単で当然なことなのに、言われるまで全然思い付かなかったのはどうしてだろう。
自分を包む腕がゆるめられたのを感じる。顔を上げてロッシェを見れば、彼は不敵な笑みを浮かべてルティリスに言った。
「さて。僕はもう一眠りしようと思うんだけど、このままじゃちょいと具合が悪くてね。ルティリス、肩の固定具を外すのに手を貸してくれないか」
「えっ、ロッシェさん……骨が折れてるのに外しちゃ駄目ですよ」
驚いて聞き返すと、子どもみたいに彼はにこりと笑った。
「大丈夫。治った」
「…………もしかしてロッシェさん、魔法」
他に考えられず、でも信じられないという顔で尋ねたら、ロッシェはあっさりうなずいた。
「でも、リトさんは傷をふさぐしかできなかったのに」
「僕は精霊の干渉を受けにくい体質でさ。大抵の魔法は僕には効かないんだ。だから、この程度でも干渉を成功させられる彼はすごいよ。きっと、精霊に愛されているんだろう」
真顔で話すロッシェの説明は、ルティリスにはいまいち理解できなかった。ただ、精霊に愛されているという表現に心が温かくなる。
「僕自身も一応魔法は使えるんだけど、発動率がすこぶる悪くてね。でも今日は、うまくいったみたいだ。だから、もう怪我は心配ないよ」
「はい、解りました」
彼がいつの間に魔法を発動させたのか
ロッシェの技量について、実のところルティリスはほとんど知らないままだ。それでも、甘んじてやるという言葉に込められているのはただの負け惜しみではないと、なんとなく解ってきた気がした。
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