14-5 帰れない理由
そして実はまだ起きていたセロアは、ロッシェが外に出、リンドが寝息を立てるのを確認してから、自分もそっと起きだして入り口から外へと出た。
空は薄い雲が掛かって星が見えず、肌寒い風が時折岩壁をなぞってゆく。ざっと見渡せばすぐ視界に、立ったまま岩場を眺めているロッシェの姿が見えた。
「寝ないんですか、レジオーラ卿」
セロアの声に彼は振り向き、緩く笑む。
「お姫様といい君といい、懐かしい呼び方をするなぁ。話を聴いてたんなら、この心境で安眠なんて無理だと解るだろう?」
寝た振りをしていたのはバレていたらしいが、彼に気分を害した様子はなく、少し安堵してセロアは笑った。
「私も眠れない心境ですよ。なにせ重責預かって来てますからね。ゼオも精霊だから眠ってないでしょうし。フリックもどこかで聴いてるかもしれません、……耳が長いですから」
「まったくウサギのくせに呆れた執念深さだよ。あれは、いい狩人になれるだろうな」
ロッシェは苦笑混じりでそう言うと、近くの岩に腰を下ろした。
目で促され、セロアも応じて近くの岩に腰掛ける。ルベルに聞かれたくない、眠っている間に話したい話題があるのだと、なんとなく解った。
「そんな風に彼を突き動かしたのは、ルベルちゃんの一生懸命さですよ。ルゥイさんも、フェトゥース国王も、帰還を願っています。もうそろそろいいでしょう」
あえて直球で切り出してみれば、彼は重い溜め息を吐き出し、呟くように答えた。
「僕だって可能ならフェトゥースの傍で彼を助けたいし、実際国にいた頃はそうしていたさ。でも僕は、所詮ただの暗殺者だ。施政の天才ルウィーニが国にいる今、僕なんかが出る幕はないよ」
「ルベルちゃんはどうなんですか」
わざと言及を避けたのが解ったから、セロアもわざと話題を絞って聞き返す。ロッシェはしばし黙り、ふっと目をそらせて笑った。
「あの子が笑える世界であればいい」
答えともつかぬ返答で地面に視線を落とし、作り笑いの表情で淡々と続ける。
「申し訳ないけど、僕にそれ以上は解らないんだ。あの子は絶対に大切で、愛しいけど、僕は幸せを守る方法なんて知らないのさ。ルベルを害する者を殺すことに躊躇いはないけど、あの子はそんなこと望まないだろう。段々と成長して、世界が広がってゆくあの子の隣に居続けたら、僕自身がいつかルベルを酷く傷つけてしまうに違いないさ」
岩の間を通り抜ける風が、物悲しい音で鳴いている。話を止めたロッシェになんと答えたものか思いつかず、セロアは夜光の下黙って言葉を反芻した。
嘘で塗り固めたニセモノの幸せと、残酷な過去を内包した本物の真実。どちらを娘に与えるべきか――彼は今きっと、その二択の間で心が揺れているのだろう。
でもルベルは、本物が欲しいと言って泣いたのだ。
夢を介し視てしまった灼虎の記憶と、ティスティルの書庫で白き賢者に示された可能性の断片。あのすべてをルベルが知るのは確かに、酷だろう。でもあの子の心は、甘いニセモノで誤魔化されるほど弱くない、……そう思うのは自分の贔屓目だろうか。
無論それをそのまま言うわけにはいかないので、セロアは思考を巡らせ言葉を探す。
幸せを守る
いまだ大きな絶望というものを経験したことのない自分は、彼の危惧を本当の意味で理解できていないのかもしれないが。
「方法を一緒に探す、では、駄目なんですか?」
掴めないことが多すぎてどう言葉にすればいいのか解らず、結局、当たり障りなく返して出方を窺うことにする。ロッシェは小さく息をつき、瞳を上げてセロアを見た。
「フォンルージュ先生。君は恋をしたことあるかい? あるいは、誰かの恋心に応えたことは」
「……なんですか、いきなり」
予想外どころか突拍子もない問いを向けられ、答えに窮してセロアは呻く。ロッシェはくすりと笑うと、静かな声で言葉を続けた。
「君は自分の望み以外に無頓着な
肯定も否定もできず、沈黙以外返しようがなかった。咄嗟に答えが出ないのは、そういうこと自体ほとんど考えたことがないからだ。加えて、彼が何を言わんとしているのかも掴めない。
ロッシェは表情の固まったセロアを見返すと、細く息を吐き出し独白のように呟く。
「僕も、そうなんだ。ルウィーニ初め、皆が僕を想ってくれているのは解るさ。だけど、僕はフェトゥースとルベル以外どうでもいいんだ。誰が生きようと死のうと、僕の心は動かない。僕はルベルが大切にする人々を大切に出来ていないのさ」
漠然と、彼の抱く危惧が解った気がした。
自分の気質がルベルを傷つける、と。いつか必ずそうなると確信したから、彼は娘と離れて暮らすことを選んだのだ。しかもこんな大層な『帰れない理由』を仕立て上げてまで。
「気持ちは今でも変わらないんですか、レジオーラ卿」
「ここは楽でね、先生。誰が生きようと死のうと、関係ない。力さえあれば、不自由もない。大切な誰かを泣かせる心配も、向けられる愛情に心を砕く面倒も、何もないんだ。楽なんだ――」
自嘲のように笑うロッシェの紺碧の双眸は、セロアを見ているけれどセロアを映していない。これほど頑なにこの場所へ彼を縛り付けている呪縛は、彼自身の中に在るのだと知る。
ルウィーニが知り得なかった、ゼオがずっと口を閉ざし続けて来た、彼の本音。彼はルベルとフェトゥースだけが大切だと言いながら、本当は自分に関わる者たちを誰も傷つけたくないのだろう。
どうでもいいなんて、嘘だ。
想いに応える術を、愛する術を見つけられないだけで、だから傷つける前に去ったのだ。
「私に話してしまってもいいんですか」
臆病で不器用な父親の愛の形に、ゼオは気づいていたのだろうか。会ってしまえばすべての真実が明るみに出ると考え、だから反対し続けていたのかもしれない。ロッシェの本意は今、どこにあるのだろう。
「いいんだ。……ルベルには解られてたからさ」
呆れたような、それでいて安堵したような、呟きだった。
「だから、一緒に居残るなんて言い出したんだろうよ。まったく、敵わないね」
「どうなさるんですか?」
ロッシェはゆっくり首を振る。
「駄目だよ、帰らせる。僕は根っからの殺し屋で死にたがりだから、この島の狂った現実を見たって何とも思わないけど。あの子はここにいたら、気が狂ってしまうよ」
ただの意地ではない、強い意志と深い愛情の内包された声音だった。
ほんの数日しか滞在していない自分たちには、この島にどれほどの狂気が秘められているかを知ることはできない。それでも確かに自分がロッシェの立場なら、ここに住むことを許しはしないだろう。
「貴方は帰らないんですか? レジオーラ卿」
彼は細い双眸をさらに細めて、曖昧に笑った。
「明日の朝までに決めるよ。僕にだって気持ちを整理する時間が、必要だと思わないかい?」
「……そうですね」
それは確かに、そうだろうと思う。逃げ続けていた父を娘は追い掛けて見つけ出し、本音を暴いてしまった。かといって、この先の覚悟を彼自身がすぐに持てるかはまた、別問題だろう。
心底同意しつつ頷いたセロアに、視線を傾け、ロッシェは不意に意地悪そうに笑った。
「だからさ。面倒くさいなんて思わずに君も、本気で恋焦がれる女性に昼夜問わず振り回されてみたまえよ」
「――はぃ?」
話題がどこまでロールバックされたのか。脈絡なさすぎな振りに頭の中が真っ白になって、思わずヘンな声が出る。彼は口元は笑っていたけれど、双眸に笑みも揶揄もなく、ただまっすぐセロアの目を見ていた。
「恋なんてのはさ。酷く面倒だけれど、絶対に経験しておいた方がいい。そうやって右往左往する君を見れるんなら、僕はライヴァンに戻ってもいいね」
「………………」
何の意味があって話の最後にその話題なのか。本気染みた双眸にどう応じていいか解らず、固まるセロアに、ロッシェはふいと表情を崩してひらりと手を翳した。
「おやすみ、先生」
吹っ切れた――というわけではないのだろうけれど。その笑顔はたぶん、今までで一番力の抜けた、屈託ない表情で。
なんだかどうしようもない気分に陥りつつ、セロアは返し損ねた就寝の挨拶を諸々の心情と一緒に、溜め息にして吐き出したのだった。
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