15.その両手に、抱えきれぬ祝福を

15-1 覚悟はいまだ遠くても


 寝心地の悪さに空腹が手伝って、多少の差はあれ皆朝が早かった。まだ眠そうなルベルの髪をリンドがとかして結んでやり、アルエスは敷いていた布類を畳んでいる。

 その隙にさり気なく外へ出ようとしたロッシェの前に、どこからともなく戻ってきたフリックが立ち塞がった。


「どこ行くんだよッ」

「食べれそうな物を探してくるだけだよ、どきたまえ」

「とか言って逃げるンじゃないだろな」


 不機嫌に答えるロッシェに胡乱な目つきでウサギが答える。相変わらず強気な彼の態度に、ロッシェは腰に手を当て溜め息をついて言った。


「いまさら逃げやしないよ。ルベルが僕を捜しに街へ降りて、危険な目に遭ったら困るしね」


 それを聞いてもウサギはどけようとしない。二人無言で睨み合ってたら、様子に気づいたルベルが飛んできた。


「パパ、逃げちゃだめっ」

「なんだルベルはパパじゃなくウサギの味方かい」


 大袈裟に嘆息してみせると、ロッシェは腕を組んで片眉を上げ、言い加える。


「君ら、いつまで絶食する気なんだ。そりゃ死にはしないが、腹は減らないのか?」

「ルベルは空きません」


 大真面目な瞳からして本気なのだろうが、なんだかんだで昨日の朝以来まともな食事をしていないのも事実だ。が、袖をしっかり掴んでいる小さな指は離れそうもない。

 ロッシェは困り顔で瞑目し、その間に寝床を片づけ終えたリンドとアルエスがやってきた。


「別に食べ物くらい、私が探してくるぞ」


 事もなげに言われて、ロッシェは目を開けリンドを見る。


「さすがにそれは危険だ。行くなら、ウサギ君とアルエスも連れて行きなさい」

「うんいいよ、一緒にいこっか」


 アルエスが同意したので、フリックも微妙な表情で頷いた。が、提案した本人はまだ納得できない顔でうーんと唸っている。


「皆で行くなら僕も行くよ。目の届く範囲にいればいいだろう?」

「ダメ! パパは逃げるの得意だから、ゼオくんに見張っててもらうのが一番安心だもん」


 どこまで信用がないのやら。暖炉前にいたゼオは話を聞いていたのだろう、突然水を向けられても動じたふうなく立ち上がり、振り返って言った。


「どうせなら五人で行けばイイだろ。セロアは厄除けになるし、お嬢が術具持っていきゃオレも気配追えるしな」

「やっぱり僕は居残りかい? 灼虎しゃっこ君」


 投げやりな問い掛けに、ゼオはここに来てからようやく初めて、にぃと笑ってロッシェを見た。


「ゼロ=オーレリディラオだ。ヒトガタは取れねーが魔力なら全快したぜ?」


 灼虎は中位精霊だし、存在力も強い。ロッシェの心理に引きずられるシィや下位精霊たちと違い、まるで影響を受けていないことからしても、全快したというのは本当なのだろう。

 心配無用な灼虎の保証に最後の砦も覆されてしまい、ロッシェは仕方なく、あきらめて居残りを受諾したのだった。





 ――十年ほど前。ライヴァンの郊外で、大火事があった。

 火元はその領地を管轄していた貴族の館だったが、それが人為的な火事だというのは明白だった。建物が燃え落ちる前に住人たちは一人残らず殺害されており、ただ一人の使用人も、家畜さえも残されてはいなかった。

 余りの凄惨さに精霊たちは関わりを拒否し、劫火によって証拠も燃え尽きたため、いまだに真相は闇に葬られたままだ。――そう、ライヴァン帝国の公式書類には書かれている。


 だが当時調査に関わった帝都学院の魔法使いルーンマスターたちは、その大火に関わる強大な魔法に気づいていた。証拠が挙がらず、公式の見解として提出することはできないけれど。

 炎属高位に【焼尽バーニング・イグザーステッド】と呼ばれる魔法がある。文字通り、灰になるまで対象を焼き尽くす魔法だ。稀少精霊の灼虎に属する術であり、それゆえに使える者が非常に限られる魔法でもある。

 館を焼き尽くした炎はその魔法によって導かれたのではないか、というのが帝都学院の見解だった。そうでなければ、不燃性の柱も煉瓦も等しく灰燼と帰したあの炎を説明できないではないか、と。


 世界には、二種類の魔法使いルーンマスターがいると伝えられる。

 魂の素質により精霊に愛され、意思を交わして魔法を借りるタイプと、知識を重ね、魔法語ルーンによる術式を介して魔力を借り受けるタイプと。精霊に愛された者は、自身の技量より高位の魔法を発動させることがあるのだ。――多分に、無意識によるケースが多いとはいえ。


 焼き尽くせ、という願い。それに、炎の精霊たちが共鳴したのは。そこに在る物も人も記憶も何もかもをすべて――いっそ自身すらも焼失してしまえと、運命に抗う術を知らぬまま、ただ悲痛な心で求めた魂が居たからだ。

 焼失――、いや、むしろ消失と言うべきか。

 精霊たちは求めに応じ口を閉ざしているだけで、すべてを知っている。だからロッシェにとってゼオは、一番話をしたくない相手に違いなかった。





 入り口の傍と、最奥の暖炉前。取れる限りの距離を取って、お互い無言のまま時間を過ごす。物理的な距離など精霊の感情感応には無意味なのだが、それを知った上でのこれが一種の意思表示だというのは、ゼオも気づいている。

 だってどうせ、あまりに本質が近すぎて解るのだ。彼の波立つ感情も、抱えた危惧や不安も、ここに至って下した決断すらも。


「どうやって説得するつもりだ、帰らねぇって」


 振り向きもせずに問い掛け、ゼオは枯れ枝を暖炉に放り込むと長い尾の先で炎をかき混ぜた。さぁと散った火の粉が、空中で冷えて消えていくのをただなんとなく眺めるために、それを繰り返す。

 石壁に背中を預けていたロッシェが、居心地悪そうに座り直した。


「帰らないんじゃない。今はまだ、帰れないだけさ」

「お嬢にとっては同じだろ」


 返るは沈黙のみ。

 昨晩から、彼がずっと考え続けているのを知っている。ルベルの一挙一動に心揺さぶられ、ウサギの言動に苛立ち、リンドやセロアに弱みを突かれて傷つきつつも、沈黙するたびずっと考え続けていたことを知っていた。

 答えなんか、考えたところで出るはずがないのに。


「……幸せだったってさ」


 わざと独り言みたいに呟いたゼオの背中に、怪訝そうな視線が向けられる。


「だれが」

「解るだろ」


 ゼオも多くは語らないし、ロッシェも聞き返さない。断続的に流れる静寂に時おり炎と風のノイズが混じるだけで、ここには鳥の声すら聞こえてこない。

 本当は言うつもりなどなかったのだ。彼自身が口を閉ざし続ける限り、黙ったままでいようと思っていた。こちら側からの自主的な干渉は禁忌だと、精霊の統括者ウラヌスには言われてきたから。


 唐突に、届いてもいいんじゃないかと思ったのは、リンドの話を聴いたからだった。

 人は儚い生き物だから、簡単に消えて、忘れられてしまうけれど。言葉も願いもありのままには伝わらず、想うほど足を捕られて滑稽にあがく、存在だけれど。

 あの炎の中、消えゆく命の最期に彼女は、幸せだったと笑ったのだ。


「そんなはずがないだろう」


 自嘲染みて彼が言う。

 それが可笑しくて、はぜる炎を眺めながらゼオは口元を引き上げた。


「テメーの欲しいモノすら解ンねぇ奴が、ヒトの幸せ解ンのかよ」


 返答はない。どうせ答えが出ないのなら、自分自身が納得できるまで悩み抜いて決めればいいだろうと思う。この男は与えられた答えでは動けない、不器用な人間なのだから。

 黙りこくっていたロッシェが不意に立ち上がり、奥まで入ってきて傍に座り込んだ。炎の明かりで互いの顔が見える距離から、抑えた声が問い掛ける。


「君は本当に知ってるんだな。もしかして、氷月ひづきの引き出した焼尽の魔力は君の力だったのか?」

「オレはマスターから名を貰ってるから、同調はしねぇよ。あの頃ライヴァンにいて、同属の魔力だったから見えちまっただけで」


 それなら良かった、と、細く呟くロッシェに、気の遣いドコロが違ェと言ってやろうかと思って辞めた。熾火おきびと化した炭の塊を尾で突き崩し、ゼオはきんいろの猫目を彼の方へと向ける。


「嬉しかったんだろ」


 ロッシェの表情が固まった。わずか沈黙し、溜め込んでた何かを吐き出すような呼吸と一緒に、あぁと、ほんのかすかな同意の返答が聞こえる。


「そうだね、僕はルベルに逢えて、嬉しかったんだ」


 言われなきゃ思い至らない自覚のなさも、結局は今さらなのだ。それを解っているから、ルベルだってそうだろ、と追い討ちをかけるのは辞めておく。いくら何でもそれくらい、少女の言動を見てれば判るだろうし。


「彼女だって同じだろ。もう助からないなら最期に逢いたいと、願った相手に、逢えたんだ。幸せって、そういうのと違うのか」


 数本まとめて投げ入れた枯れ枝が、かすかな音を立てながら燃え崩れていった。互いに背を向けたまま顔を見ることもせず、時間だけが静かに通り抜けてゆく。

 五年の間、ずっと扉は開いていた。帰りたいと思えばごく簡単に帰れたはずなのに、そうできなかった理由は一つだけではないだろう。ヒトの世の法に照らせば自覚の通りに彼は罪人なのだろうし、もし過去を悔いているなら、罪悪感は生きる限りつきまとうはずだ。


 だからゼオは、どちらとも促さない。

 単純で対極な二択の先に潜む未来はどちらも、甘い魅力の裏に牙を隠して待ち構えている。そのいずれを選び、対峙するかは、立ち向かう本人しか決めることができないから。


 今までで一番長い沈黙は、遠くから聞こえてきた砂利を踏みしだく音によって終わりを告げた。食料調達部隊が帰って来たのだろう。

 ロッシェが立ち上がり、意味もなく衣服を正す。ゆっくりと息を吸い込み、意を決したように息を詰めて。そうかもね、と押し出した声が、吐息に紛れて小さく空気を震わせた。

 ゼオは黙って顔を上げ彼を見る。険しさの抜けた双眸に、彼は本当に決めたのだろう、と思った。


「いいんだな」


 短く確認したらロッシェは視線を傾けて、穏やかな顔で笑った。


「うん。……帰るよ。今じゃないけど、近いうちに、必ず」

「そっか」


 是でも否でもなく。彼がそう決めたならそれでいい。

 洞窟の入り口に、賑やかな足音が近づいてくる。彼の答えを聞けば、フリックはまた怒るだろうし、ルベルは泣くかもしれない。でも多分もう、大丈夫だろうとゼオは思った。

 その確信が、人ではない自分の直感に過ぎなくても。

 もう大丈夫だと、思ったのだった。




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