14-4 だって独りはさみしいから


 それからは、セロアを中心に皆で大雑把な旅の流れをロッシェに話して聴かせ、ティスティル帝国での御前試合や出航時の話も、かいつまんで説明を加えた。

 最初、積極的に話に加わっていたルベルは途中から父の膝を枕に寝入ってしまい、ゼオの隣に敷いた毛布の上で今は熟睡中だ。

 時々フリックとロッシェが険悪になるのをアルエスとリンドで止めつつ、大体の事情をロッシェが把握したのは、夜もだいぶ更けてからだった。


 風呂はもちろん、夕飯も、寝具さえもない狭い洞窟の住処。

 敷布やら掛布やら寝袋やら総動員して暖炉の前に敷き詰めると、そこがリンドとアルエスの寝場所になる。フリックは外で寝ると出て行ってしまい、セロアとロッシェは入り口付近に外套を敷いて寝ることになった。


 静かな炎の音と、岩の間を通り抜けていく風の音。隣に横になったアルエスはもう、静かな寝息を立てている。なんとなく寝つけずに、リンドは寝転がったまま首を巡らせ、石壁にもたれて座っているロッシェに視線を向けた。

 洞窟の入り口から見える外の闇と暖炉の明かりに挟まれて、起きているのか寝ているのか良く見えない。壁と一体化した置物みたいな影から目が離せず、リンドはしばらくそれを眺めていた。


「……寝たまえよ、お姫様」


 囁くように、置物が喋った。まだ起きていたらしい。リンドは隣のアルエスを起こさないよう気を遣いつつ、身体を反転させて腹這いになる。


「卿こそ寝なくてもいいのか? ライヴァンに戻ったら忙しくなるだろう?」


 影が動いて、ロッシェの視線がリンドに向いたのが解った。溜め息みたいな呼吸の音に混じり、小さな呟きが落ちる。


「まだ戻るとは言ってないだろ」

「里帰りすればいいのに。帰る場所を用意されてるなんて、幸せなことだと思うぞ」

「…………ティスティルは、いい国のようだね」


 どこをどう経由してその台詞になったのか、途中いろいろすっ飛ばされた気がするが、リンドは気にせず組んだ腕を枕代わりに顎の下に敷いて、相好を崩した。


「ああ、いい国だとも。だから卿もライヴァンの生活が落ち着いたら、本当にルベルを連れて遊びに来るといい。卿は絵描き人だから、美術館とか壁画展とか好きそうだしな」

「ああ、確かに好きだね」


 ロッシェの声に、彼にしては珍しい柔らかさが宿る。それに嬉しくなって、リンドは腹這いのままアシカみたいに上体を浮かせた。


「ルベルが持ってたラフ画を見てからずっと、卿の描いた絵を見てみたかったんだ。岩と石であれだけ描けるんだから、キャンバスと絵具があればきっと素晴らしい絵が描けるだろう? 私は、卿が描く花や鳥や建物や……たくさんの美しいものが見てみたいな」

「それは期待過剰だよ。僕は画家じゃないし、似顔絵は得意だけど風景画は描いたことがないから」


 柔らかな声にかげりが混じる。こんな声でも話すんだ、と少しばかり意外に思いつつ、リンドは思ったままを言葉に乗せて言った。


「それは卿が、ひと以外に興味を持たないからだろう? 風にも光にも、色はあるし、空も海も、毎日毎刻変化してるんだ。命は儚いけれど、輝いているからこそ美しいのだと、絵描き人ならそれを描き留めたくなるのが本能だと、美術館の館長が言っていたぞ」

「へぇ。……魔族ジェマのお姫様から、そんな哲学聞かされるとは意外だなぁ」


 彼のどこか皮肉げな口調と言い方は、癖なのだろう。フリックはそれにいちいち反応して怒っていたけれど、本当に相手を嫌っている人は、目を合わせてすらくれないものだと知っている。

 リンドはふふんと得意げに笑って、肘を立て頬杖をついた。


「種族も身分も、あまり関係ないと思うんだ。私の母さまは人間フェルヴァーだけど、父さまは母さまのキラキラした笑顔に魅せられたと言っていたし。身体が弱くて早くに亡くなったから、私はあまり覚えてないけどな」


 衣擦れの音で、ロッシェが身動ぎしたのが解る。


「君も、そうなのか。アルエスも母親と死に別れたって言ってたけど……、案外、多いんだね」

「アルエスは両親どちらともだから、ルベルの寂しさを痛いほど感じていたんじゃないかな。私は父さまも姉さまも兄さまもいるし、皆がたくさん母さまの想い出を聞かせてくれたから、そんなに寂しくはなかったけど」


 再び流れる沈黙。彼は、悩んでいるのだろうか。この期に及んで彼が帰還をためらう理由を、リンドはいまいち解せずにいる。


「ルベルは、寂しいのかな」

「ああ。寂しいだろな」


 当たり前のことを訊いてくるから即答したら、また彼は黙り込んでしまった。途切れた会話をどう繋げようか考えていたら、自分を見送った父の寂しげな表情が不意に脳裏に蘇って、胸が苦しくなる。

 旅立つ前、姉に言われた〝覚悟〟の意味を、今なら答えられる気がした。


「ルベルも寂しいだろうけど、一番寂しいのは、卿自身じゃないのか?」

「……僕?」


 不意打ちに驚いた子どもみたいに。この人は無彩色の岩山を娘の絵だらけにしておきながら、自分が寂しいと気づいてないんだな、そう思って微笑ましく思う。

 自覚の足りなさがまるで、意気揚々と国を出たときの自分みたいだ。


「それに卿は、覚悟が足りてないんだ。だからルベルに逢って、あんなに動揺したんだろう」


 全部終わったら、父と家族の顔を見に里帰りしようか。そして、胸を張って姉に答えてみせるんだ。


「覚悟って、何の覚悟の話だい?」


 少しだけ不機嫌に問い返す、彼に。今回だけは特別に答えを教えてあげよう。頬が緩むのを止められず、腕枕に顔を埋めてリンドは笑いながら言ってやる。


「卿を愛する家族と、友人たちに、胸を刺されるような寂しさと心配をかける覚悟だ」


 予想通りに応答は沈黙。リンドはころんと仰向けに寝返り、闇がたゆたう岩天井に視線を向けた。


 たぶん誰だって、自分の苦境より愛する者の苦境の方が苦しい。助けて貰えなかった悲しさより、助けてあげられなかった悔しさの方が、きっと痛い。

 ルベルは知っていたんだ。そして、逆手に取るつもりでここに来た。

 どんな事情があって帰還を拒むのかは解らないが、岩の絵なんかより鮮烈な本物の涙と笑顔を見せつけられてしまったら。――家族のもとへ、帰りたくなっちゃうじゃないか。

 ややあって、呻くような声が重い息を吐き出した。


「ウサギもだけど、君も酷いよ。皆して、僕の覚悟を何だと思ってるんだ」

「フリックも私も卿じゃなく、ルベルの味方なんだから、仕方ないだろう?」


 溜め息に混じる衣擦れの音。ロッシェが立ち上がり、上着を羽織ったらしい。


「少し夜風に当たって、頭を冷やしてくる。君ももう寝な、お姫様。魔法力が回復しなくなるよ?」

「ああ、寝るさ。おやすみ、レジオーラ卿」


 長身の影がセロアを避け外へ出ていくのを見送って、リンドは掛布を引き寄せ目を閉じた。トロトロと意識を眠りに溶かしながら、早く朝が来ればいいなと、そんなことを思った。




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