13-6 ウサギ走る
ゼオの道案内で目的の場所まで歩きながら、フリックはルベルの地図に書き込みをしてゆく。最初にいた磯や門の周辺については昨夜のうちにセロアが書き込んでくれたので、今歩いている道と地図を照合しながら気になることをメモするくらいだが。
万が一を考え、一度歩いた場所くらい迷わず辿れるようにしておきたいというのが理由だった。
郊外の道を外れ、なだらかな坂を登り、小さな林を抜けてさらにまた坂を登る。途中開けた丘に出て、眼下に街が見えた。そこで一旦足を止め、ゼオは後続を振り返る。
「足元気ィつけろ、かなり坂キツいから」
なるほどそこからは岩地になっていて、今にも崩れそうな足場の悪い坂が続いていた。道といえる幅すらない場所もあり、自然とゼオを先頭に、セロア、ルベル、リンド、フリックの順に一列で進む形にならざるを得ない。
ペースダウンしたとはいえ、ルベルは足元に必死で前を見る余裕がないのか、時々セロアの背中に追突したりしている。
かなりの急勾配が歩き難さに輪をかけており、さすがのセロアも息が上がってきた頃、ようやく坂の終わりが見えてきた。辺りは岩ばかりが目につく荒涼とした場所で、視界の端に切り立った斜面が見える。どうやら岩山の中腹らしいと解った。
「着いたぜ。あの崖の陰に洞窟があるはずだ」
ゼオはそう説明しながら手近な岩によじ登り、平らな部分に器用に座ると視線を遠くへ向けてしまった。
後ろを来ていたセロアは、やっと歩きやすい場所へ出たことに安堵の息をつく。
「結構歩きましたね。帰りのことを考えると、あまり長くはいれな――」
言い掛けた言葉が途中で途切れた。視線が、ゼオと同じ方向へ釘付けになる。すぐ前を歩くセロアの足が止まったので、ルベルはまたも着いて来た勢いのまま彼の背へぶつかってしまった。ふぎゅ、と呻いて鼻の頭を押さえつつ、立ち尽くしている長身の横から顔を出し――、息を飲む。
セロアが固まった理由は、瞭然だった。無造作に並び立つ大小さまざまな岩石の、色味が宿らぬ岩肌に、引っ掻いたような線で描かれた無数の絵。それが誰の姿かなんて、口にするまでもなかった。
「まるで、画廊みたいだ。……凄いな」
溜め息のようにリンドが感嘆の言葉を吐き出した。ルベルは小さく息を飲み込んでセロアの横を通り抜け、岩に描き刻まれた絵に近づく。
ひとつばかりでない
「まるでずっと、見ていたみたいですね」
ぽつん、とセロアが呟いた。それほどまでにその絵は正確だった。
食い入るように絵を見つめるルベルの大きな瞳に、濡れたような光が揺らぐ。少女は細い指を伸ばして、そっと荒い岩肌をなぞった。
「……パパは、いちど見たヒトの顔なら、見なくてもその通りに描けました」
目を閉じれば鮮明に、眼裏に浮び上がるかのごとく。彼は記憶に残った娘の姿を眺めながら、忠実にそれを描いていったに違いない。
――それほどまでに想われていたと、そう考えていいのだろうか。
答えは、ロッシェ自身にしか解らない。
「どーやらここで、生活してるっぽィ気配だぜー?」
努めて明るくフリックが言い、岩壁の割れ目を覗き込む。踏み固められた地面とわずかな生活臭、曲がりなりにも狩人のフリックから見て、人が住んでいるのは明らかだった。
ただ物音も気配も一切しないのが、不在だからなのか、相手が気配を潜めているせいかまでは解らない。
「留守だとしても、ここで待てば逢えますね」
さらりと断言したセロアの言葉に、緊張が走る。
「中、入ってみます」
意を決したようなルベルの宣言に、フリックはためらいつつも入り口をよけた。ルベルの頭上から、背高のセロアも一緒に中を覗き込む。
「ちょっと暗いですね」
セロアが呟き、ルベルが彼を見上げた――その、時。
フリックの長い耳が、ぴくりと跳ねた。弾かれるように振り向いた彼につられ、セロアも同じ方向を振り返る。そして、見た。ついさっき自分たちが登って来た細い道の中途に立ち止まり、こちらを見ている長身の男性と小柄な少女。
セロアと目が合って泣きそうに表情を歪めた少女は、アルエスだ。その隣に立つ男を二人とも、知らないけれど知っている。
リンドがつられるように視線を傾け、ルベルが顔を上げて振り返った、途端に。彼がいきなり方向を転換した。束ねられた長い後ろ髪が、獣の尾みたいに跳ねる。アルエスが慌てたように手を伸ばし、掴もうとして、叶わず。
――逃げた、と認識したフリックが肩からリュックを外し、放り出して駆け出した。
「……あっ」
少女の口から漏れたのは、吐息か呼びかけか区別がつかないほどの声。かくりと膝が崩れたルベルをセロアが抱きとめて、抱きしめる。
ロッシェの後ろ姿と隣を駆け抜けていったフリックの背中を見送りつつ、立ちすくんでいたアルエスが気持ちを吹っ切るように駆け寄ってきた。
「ゴメンっ、ごめんねルベルちゃん……」
「大丈夫、大丈夫ですから。ちょっとびっくりしちゃっただけですよ、ね? だから、……泣かなくても大丈夫ですから」
セロアの腕の中、声を殺してルベルは泣いていた。その様子を見て泣きそうになるアルエスの肩に、リンドが手を置いて耳打ちする。
「私も追い掛けてくる」
「……ぃ、っ」
応じたのはアルエスではなく、抑えられた
「大丈夫ですよ、少し落ち着いたら、一緒に二人を追い掛けましょう?」
「……ぅ…、…い、んですっ……」
うっく、と
「待ってるもんっ」
「…………。解りました」
大きなてのひらが小さな背中をさすって、頭を撫でた。セロアは顔を上げ、リンドとアルエスに小さく頷いて見せる。アルエスは戸惑うリンドの袖を掴むと、小声で囁いた。
「ボクたちも、待ってよ?」
「……ああ、ルベルがそう望むのなら」
ロッシェと彼を追いかけていったフリックの姿はもう、見えない。リンドは無言で、睨むような視線を彼方へと向けた。声を殺して泣くルベルをセロアが両腕で抱え込み、アルエスはそれを泣きそうな表情でじっと見守っている。
短いような長いような、重苦しい沈黙がどれくらい続いただろう。――それを終わらせたのは、幼いながらも明瞭な傍観者の声。
「待ってていいのか、お嬢」
ざさ、と砂利土を滑る音がしてゼオが岩から降り、衣服についた埃を払いながら無造作に呟いた。セロアの腕の中、少女が小さく肩を震わせる。きんいろの猫目はルベルでもセロアでもなく、岩地に刻みつけられた無数の絵を見ていた。
「ウサギに、任せるのか?」
静かな問い掛けに、少女は賢者の腕の中でかぶりを振った。服を掴む指先に一瞬、力がこもり、唸るような声が漏れる。
「……だ」
セロアが腕を緩めると、ルベルは彼の服から手を離し、ぐぃと袖で顔を拭って叫んだ。
「せっかく逢いに来たのに逃げちゃうなんて、パパのバカぁっ!」
「……言ってやれば?」
にぃと笑ってけしかける、子ども姿の灼虎。彼をきつく見返し、ルベルはセロアの肩を支えに立ち上がる。瞳は濡れていたが、もう涙は流れていなかった。
「行きますか?」
柔らかく笑ったセロアがルベルを見上げて尋ねる。少女は頷き、答えた。
「はいっ」
「それじゃ、道案内お願いします、ゼオ」
ゼオはそれを聞くと、無言で歩き出した。その後をルベルが追う。セロアも立ち上がり、アルエスとリンドを振り返った。
「私たちも、行きましょうか」
結構早足なゼオに合わせて、ルベルはもうだいぶ先に進んでしまっている。セロアに促され、茫然と立ち尽くしていた二人も弾かれたようにその後に続いて歩き出した。
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