12-2 門を抜けて


 ルベルも頷き、ゼオの後について歩きだした。

 歩きながらルベルはセロアが纏めて縛った荷物を器用に解いてゆく。後ろを歩きながらセロアもまた、旅渡券を仕舞って代わりに鉄扇を抜き出す。


「ゼオくん、リンドちゃんの剣持ってくれませんか?」

「おぅ」


 小さな身体に長すぎるエストックは地面を引きずって歩くしかなかったが、誰もそれを咎めはしなかった。

 門を抜ければもうそこは無法領域、何が襲って来てもおかしくはない。ゼオの力が弱っている今、いざという時は自分で自分を守るしかないのだ。

 薄暗い石造りの通路はそれほど長くなく、すぐに出口の明かりが見えてきた。先頭を歩いていたゼオが立ち止まり、振り返る。


「出ればすぐに『番人の門』だ。魔獣が見張ってるが何もしねぇから、それより周りに気をつけろ」


 セロアが頷き、ルベルを追い越して先に外へ出た。

 明るい陽光の下、すぐ前には石の門柱。その傍らに直立不動で立つ巨大な獣を見て、さすがのセロアも危うく悲鳴を上げるところだった。

 すぐ後を来た少女が同じように魔獣を見上げ、息を飲んでセロアにしがみつく。ドラゴンに似た毛深い獣は、その長い前髪の間から覗くルビーの瞳でじっと三人を見ていた。


「……思った以上に、大きいですね」


 息を吐き出すようにセロアが呟く。ゼオだけはさほど動じた様子もなく、先立ってすたすたと門柱の間を抜けて行ってしまった。慌ててセロアもルベルの肩に手を添えたまま後を追う。

 魔獣の瞳は三人の動きを追っていたが、ゼオが言った通り襲ってくることはなかった。門から先はなだらかな坂になっていて、磯のある入り江が下方に見えている。見渡す限り人の姿はなかったが、ゼオは丘へ一歩踏み出したところで、眉間にしわを寄せ立ち止まった。


「魔法の残り香だ。……アルエス、魔族ジェマと遭遇したな」

「えっ」


 ルベルが聞き咎めて声を上げる。ゼオは難しい顔で辺りを見回していたが、ふとセロアを振り返って尋ねた。


「アルエスの手紙には、ムルゲアと一緒だって書いてあったよな?」

「えぇ、そうです。ここからは見えませんが、磯の岩陰とかに隠れてるんですかね」


 不安そうに見上げる少女の頭を軽くぽんぽんと撫で、早足で歩き出したゼオの後を追う。草地に血の跡や大きな魔法の痕跡は見当たらなかったが、誰も何も言わない。

 歩き難い岩場に降り、岩の間から海を覗いてみたが、人の姿は見当たらなかった。


「もう、ここを離れてしまったんでしょうか」


 セロアの呟きに、ゼオはんーと唸って考え込む。

 ルベルは槍の柄でコツコツと岩を叩きながら、波が被る海の際まで岩を伝って行っていた。危なっかしいながらもさすがは子どもの身軽さだ。


「ルベルちゃん、行き過ぎは危険ですよ」


 それでもこれ以上は危険だと思ったセロアが声をかけたが、返ってきたのは盛大な悲鳴と水音だった。思わずセロアとゼオは身構えたが、次に目に飛び込んできた光景に目を瞠る。

 少女が足を滑らせて落ちた場所に、唐突に黒い獣が現れていた。アザラシに似た頭がゆっくり動き、ルベルを岩に押し上げる。少女も茫然と自分を助けた海獣を見ていたが、不意に歓声を上げてその黒い頭に抱きついた。


「ムルゲア、ですか」

「あぁ、だな」


 飛沫が掛かる位置へは行きたくないのだろう、ゼオがその場を動かないので、セロアはフリックの荷物を降ろし、岩伝いにそちらへ向かった。

 ルベルはムルゲアと向かい合うように岩に座り込み、真剣に三人の行方を尋ねている。セロアが辿り着くとムルゲアは黒い瞳で彼を見上げ、ゆっくりと瞬いた。

 途端、周囲が突然の闇に閉ざされる。


 次々繰り出される未知との遭遇に、吃驚びっくり中枢が些か麻痺しているようだ。ルベルは驚きに小さく悲鳴を上げたが、セロアはさほどの動揺もなく、闇の聖域をぐるり見回した。

 薄暗い星明りの下、横たわる人の影。後方にいたゼオが近づいてきて、ぽつりと呟く。


「星闇の聖域だ」

「やはりそうですか」


 短く言葉を交わし、不思議そうに見上げるルベルの頭を撫でて、セロアは床に伏して眠っているフリックとリンドの傍に行き膝を着く。

 肩に手を当てそっと揺り起こすと、リンドはびくりと飛び起きて、驚いたような表情をセロアに向けた。


「セロア、いつの間に」

「今ようやく着きました。フリックは衰弱ひどいですね。……アルエスは?」


 静かに問われた言葉の意味するところを知って、リンドの顔から血の気が引く。


「会わなかったのか?」

「えぇ。手紙は受け取りましたが、私たちが通って来た道にはいませんでした」


 やはり、何かあったのだ。自責と後悔に言葉を失って俯くリンドの前に、小柄な影が近づいて、エストックを差し出した。


「悩むのは後にしろ、リンド。さっさとマトモに泊まれる宿を借りねーと、ウサギもヤバイだろが」

「あ、あぁそうだな――ッて、ゼオ! 無事だったのか――……?」


 眼前に立つ、きんいろ猫目の幼い子ども。リンドはたっぷり十数秒はフリーズして、そしていきなりぎゅぅっと両腕でゼオを抱き締めた。


「ああこんなに可愛らしい姿になってしまうなんてッ! でも無事でよかった……今後は私がしっかり守ってやるから安心しろっ」

「オレぁイイてばよ放ッとけよ! てか可愛い言うなー!!」


 じたばたと全身で抵抗して腕の中から抜け出すと、ゼオは全員から距離を取った場所でイライラと続ける。


「とにかく、水辺だとオレの魔力が削られてくんだよッ。だからさっさと行くぜ!」

「そうなのか! それは大変だッ、とにかく場所を移そう」


 髪を逆立てるゼオと、真に受けて慌てだすリンドを、きょとんと見ていたルベルが首を傾げた。


「ゼオくんて、ちっさいころから気が強くって意地っ張りだったのかな」

「……どうでしょうね」


 コメントしづらい振りにセロアはただそう答えて、曖昧に笑った。





 ムルゲアに礼を言って別れ、五人はすぐに移動を開始する。アルエスが心配なのは共通した思いだったが、今は手掛かりがなかった。

 せめてゼオだけでも回復すれば、行動可能な選択肢がぐんと広がる。そのためには、しっかり休息を取れる場所が必須だった。


 聖域を発動した時の状況をリンドから聞いて襲撃も警戒したが、近くに人の気配はなかった。

 良くも悪くも可能性は様々考えられるが、今はあえて思考に蓋を被せる。時間が惜しいのは本音だが、無理できる状態でもない。


「テレポートで行こう」


 丘の高みから遠目に街を見、リンドが意を決したように言った。いまだ意識を失ったままのフリックを、セロアが背負っている。フリックの荷物はリンドが持ち、毛布や外套といったその他の物はルベルが抱えていた。


「テレポートって確か、行ったことない場所は行けないんですよね」

 セロアに問われリンドは頷く。


「あぁ。だが、視界に見える場所であれば、行くことはできる。もっと高さがあって全貌を見渡せる場所なら確実なんだが、距離が短いから大丈夫だ。向こうに煙を盛大に吐いている煙突があるんだろう? おそらくあれは民家でなく宿泊所だから、あの真下を目指そう。弱っているフリックには負担が大きいが……この状態で街中を通って、絡んでくる悪漢を撃退するよりは、マシに思うんだ」


「リンドちゃん、魔法力だいじょぶですか?」

「オレはカウントに入んねーから大丈夫だろ」


 心配げに見上げるルベルにゼオが返して、リンドは頷く。


「最悪、移動した先に悪い奴が――って可能性もある。目をつぶっても、気は緩めないでくれ」

「解りました。それじゃそうしましょう」


 セロアはフリックを草地に降ろして、自分は片膝を着くと彼の上体を抱え込んだ。ルベルがその傍に立ち、リンドはセロアとルベルの肩に手を掛けて立つ。


「十秒後に発動する。目を閉じて呼吸を合わせてくれ」


 カウントダウンが始まる。目を閉じ意識を集中する三人の前に立って、ゼオだけは目を開けたまま、リンドの声に耳を傾けていた。全身の血が引く感覚と、足場が失せるような無重力感。

 一瞬の間に彼らは、草に覆われた丘のてっぺんから薄汚れた街の片隅へと、場所を移動していた。





 幸いなことに危険との遭遇はなく、一行はすぐ近くの宿で部屋を借りた。危険回避のため全員一緒の少々高めの部屋を。

 値段が張るだけあって風呂も着替えも簡単な日常品も備えられていたから、それぞれが交替で風呂に入り、海水の染みきった衣類を洗って干し、一息ついた頃にはもう夕方になっていた。


 みな疲れ果てて何をする気にもなれず、部屋で夕食を取った後はベッドに潜り、朝まで泥のように眠った。ゼオだけは眠らず、火を入れた暖炉の前でじっと座り込んでいたが。

 深夜に襲撃などの危険に見舞われることもなく、こうしてバイファル島初日は、怒涛のように過ぎ去ったのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る