+ Section 3 +

11.氷月

11-1 歩きだす


 ざざぁん、……ざぁん。

 ざぁぁ……、ざざん。……ざざぁ。



 寄せて返す波の音に、混濁した意識が引き戻されてゆく。

 はっと覚醒して飛び起きたセロアの眼前に広がっていたのは、砂に覆われた陸地だった。


 全身を鈍く捉える痛みと、ひどい倦怠感。怪我をしたような強い痛みはないものの、疲労と息苦しさから自分は気を失っていたらしい。

 どこをどう泳いだのか、良く覚えていない。沈む船からなるべく離れようと島の方向を目指す最中、一際大きな波を被って方向感覚を失った。

 泳ぎそのものは苦手じゃないのだが、属性相性が悪かった。セロアは風属性で、風属性の弱点は水属性。

 それでも先に意識を失ってしまったルベルを抱え、水の冷たさに朦朧となりながらも、自分は島まで辿り着きはしたらしい。気づけば砂浜に、まるで打ち上げられた流木みたいに倒れていたのだ。


 改めてゆっくり自分の周囲を確認する。船上で体に縛り付けておいた荷物は、そのまま無事だった。懐の中濡れそぼってはいるが、白いイキモノも無事二匹。――が。


「ルベルちゃん……?」


 ずっと抱きかかえていたはずの少女の姿が、見当たらない。


 どこかで手を離してしまったのか……そんな想像が一瞬駆け抜けぞっとして辺りを見回すと、自分の跡に濡れた砂の横、小さな足跡が続いていた。

 立ち上がり、海水を吸ってじっとり重い衣服を絞って、足跡の続く先に目を向ける。まばらに草木が茂った岩場の向こうは、ここから見えない。辺りに生き物の気配はない。


 自分で目が覚めて、歩いて行ったのか、それとも――?

 と、その時。


「無事だったか……」


 不意に海の方から声がして、セロアはそちらを振り返る。そして、目を丸くした。


「もしかして……ゼオですか?」

「ちくしょー、ムカつくーッ」


 波打際、悪態をつきつつへたりと座り込んでいる、小さな子ども。

 負けん気の強いきんいろの猫目、赤金の髪、虎柄の獣耳と、身体を一回りしそうに長い縞模様のある尻尾。

 なんだか動きにくそうな袖の長い魔術師風の衣服を着ていて、裸足だった。


「手加減とかするとよけェ消耗するんだっての。オィ隠居、お嬢はどうした」


 剣呑な目つきで――とは言っても子どものナリでは全く迫力がないが――睨まれ、セロアは曖昧に笑って答える。


「目が覚めたらいなくなっちゃってたんです。足跡があるから、ここまで一緒だったのは間違いな……ぅわっ」


 ひゅんと短槍ショートスピアが飛んで来た。ルベルの術具だ。それをかわしてセロアは苦笑する。


「危ないですよ、ゼオ」

「笑ってんじゃねーお嬢に何かあったらどうすンだっ、避けんな責任とって刺されテメ」

「嫌ですよ。今怪我なんかしたら治るまで不便ですし、時間と体力の無駄です」


 穏やかに笑いながら、セロアはゼオの隣に行く。ゼオは軽く一睨みしたが、殴りかかるわけでもなく、自分の横から何かを引っ張り出しつつ言った。


「コレが、ウサギの七つ道具。……これがリンドのエストック。隠居の四次元荷物見当たらねーとか思ったら、しっかり持ってんじゃねーかコノヤロ」

「あの船からみんな回収してきたんですか。偉いですね」


 慣れた手つきでセロアがくしゃりとゼオの頭を撫でた。途端ゼオが、獣ばりに髪を逆立てて後ずさる。


「何しやがるっテメ」

「だって、目線の下にゼオの頭があるなんて滅多にないじゃないですか」

「うっせー! 寄るな近づくなっ!」


 今度はリンドのエストックが飛んで来た。フリックのリュックはさすがに重くて投げられないらしい。

 ぜいぜいと息を荒げて睨みつけるが、子どもの姿なのでやっぱり迫力は皆無だ。


「強がるのもいいですけど、相当消耗してるのは確かなんですから、無茶しちゃダメですよ」


 座り込んだまま立ち上がる様子もないゼオの視線に合わせるように、しゃがみ込んでセロアが緩く笑む。それを金色の双眸で睨み返したゼオの表情が、不意に変化した。


「……で」


 懐から、くしゃりと引っ張り出したのは、折り畳まれた紙切れ。


「コレがお嬢の……、でも、濡れちまって」


 悔しそうに呟いて手渡される。一度濡れてから乾いたようなぱりりとした質感のそれを、セロアは黙って広げ、目を落とした。


「ラフ画だから、木炭で描いてあるから仕方ないですね。……耐水性のインクなら、また違うんでしょうけど」


 滲んで線が曖昧になった、ロッシェの絵だ。むしろ、これを沈みゆく船の中から拾い出したことが凄いだろうとセロアは思ったが、言っても慰めにならないのも分かっていた。


「仕方ないから、本物を見つけましょう」


 さらりと言われ、黙ってゼオは目を上げる。そしてわずかに眉を寄せた。


「覚悟、あるんだろーな隠居」


 セロアは、首を傾けにこりと笑う。


「前から思ってたんですが、まだ隠居した覚えはないですよ? ゼオの言う覚悟とは違うかもしれないけど、ルベルちゃんの決意を見届ける覚悟があって、ここまで一緒に同行して来てるんです。レジオーラ卿がここに残ったことに理由が在るのなら、ルベルちゃんにだって、どうしても父親に逢いたい理由があるんでしょうから」


「……なァ学者」

「なんか急に他人行儀になっちゃいましたけど。まだ名前で呼んではくれないんですか?」


 くすくす笑われてゼオはしばらく沈黙し、やがて視線を向こうにやったまま細い声で、セロア、と呟いた。まるで拗ねた子どものようだ。


「はい、なんでしょう」

「ロッシェを、死なせねーでくれ」


 しん、と無言が張り詰める。諸々の意味が込められたその台詞に少しだけ逡巡し、セロアは頷いた。


「はい、死なせません」


 そして腕を伸ばしてゼオを抱えあげた。焦って抜け出そうと暴れる彼を、ぎゅっと抱きしめる。


「放せッ! テメ非力のクセにコノヤロ」

「歩けないくらい消耗してるくせに強がるものじゃないですよ。とにかくルベルちゃんを捜さないと。……ゼオは槍とエストック持っててください。……本当だ、フリックの荷物重いですね」

「ぅぁー……、いいんだオレは置いてけばッ放せってー!」


 わぁわぁ喚きながらも、本当に消耗しているのだろう――言うほどに暴れもせず、普段はいつも燃えている尾の先すら熱を感じない。

 小さな身体は冷え切って、ひどく不思議な感じだった。


「親子概念なくっても、弱ると子どもの姿になるんですね」

「うるせぇ、生まれたばっかの時は精霊だってチビガキなんだよッ」


 どこから出したのか、相変わらず底なしバッグの中からだろうが――ゼオを乾いた毛皮で包んで抱え、フリックのリュックを背負って、セロアはゆっくりと足跡を辿る。

 実際のところゼオは精霊だから体重はあってないようなものだが、それを差し引いて総荷物重量は相当だ。それでも、重かろうと疲れていようと穏やかな表情はいつも変わらない。

 この賢者はそういう人物だ。


「そうなんですか。まだまだ知らないことが多いですね」

「……いぁ、ごめ、関係無ェ話だし」


 くすりと、セロアは笑む。


「大丈夫ですよ、きっと。ゼオがそんなに消耗するくらい力を抑えて、水精やシェルクたちに危害を及ぼさないようにしたんだから、精霊たちも鱗族シェルクたちも、絶対に悪いようにはしないでしょう?」

「ぅっぁ、テメやなヤローだなオィ」

「それは褒め言葉ですよね?」

「自惚れてンなよっ」


 足跡は、岩場に続いて消えていた。立ち止まり、セロアはふっと息を抜いて、目の前に続く不毛地帯を見渡した。


「さて、どうしましょうか?」




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