10-4 海に棲む魔物


 セロアがルベルに腕を回し、海に投げ出されないよう船べりから距離を取る。

 続く第二撃は、船底を突き上げるような振動。同時に賑やかな足音がして、後方からリンドとアルエスが走って来た。


「セロア! 船の下に何かがいるぞ!」


 叫んだのはリンドで、アルエスは息を切らして後から来ると、ぜいぜい呼吸を整えながら斜め後ろを指差した。つられ見た先に、船べりから見える巨大な触手。


「――っ!? きゃぁぁ!」


 ルベルが悲鳴を上げてセロアにしがみつき、少女を抱き留めながらセロアは、停まりかけた思考を高速で巡らせる。

 何というかアレはどうにも友好的イキモノではなさそうだ。

 触手の先端に横縞のようなひだ。タコやイカみたいな吸盤ではない。表側が深青色で裏側は白、それが滑らかな動きで船上を進入しようとするのを、リンドが鞘に入ったままのエストックで思い切りぶっ叩いた。

 一瞬怯んだものの、逃げる様子はない。リンドは鞘を抜き払い、謎の触手と対峙する。本体の全様は船の下に在って、確認できない。


「セロアさん! コレって絶対ピンチだと思うんだケドっ」


 半放心状態のセロアをアルエスが揺さぶって叫んだ。

 ルベルがじたじたとセロアの腕から抜け出し、短槍ショートスピアを構えて魔法語ルーンを唱える。ぴりりと空中に電撃が走り触手を焦がしたが、相手が怯む様子はない。


「もしかして、オーシャンドウェブ?」


 ぽつりとセロアが呟いた名称に、アルエスがさっと蒼ざめた。


「うそぉ」


 がり、がりがりと船底から音がする。何かが爪を立てているような、あるいは齧っているような鈍い摩擦音。がくりとさらに船が傾いた。


「セロア! どうしたらいい!?」


 窺うようにちょっかいを出してくる触手を牽制しつつ、リンドが叫んだ。セロアは脳内の魔物事典を検索しながら、答える。


「とにかく力任せに振り切る……のは、ちょっと無理そうですかね」

「もぅぺったんぎゅぅぅっ、ですもんっ」

「……確かに」


 【海洋の網オーシャンドウェブ】と呼ばれるこの魔物は、食肉性クラゲの一種だ。動きが鈍く、身体の中央にある牙の生えた口以外、攻撃手段を持っていない。

 ただとにかく長い触手と伸縮性の身体で魚やら船やら漂流物やらに絡みつき、相手を締め上げ弱らせて喰らうのだ。


 捕まると厄介な魔物なだけに速度に任せてかわすか、捕まったとしても勢いで振り切るしかないのだが、陸地が近いこの場所で速度を上げると座礁の恐れがある。加えて相手の大きさと抱擁具合の熱烈さから鑑みれば、ちょっとやそっとで離れてはくれないだろう。

 向こうが力任せに船を海中に引きずり込む前に、何とかしなくてはならない。

 でも、どうやって。


「相当大きな個体ですね」


 脳内で独り作戦会議でも、口から出てくるのは感想染みた呟きだけ。アルエスが焦燥もあらわに、リンドとセロアを交互に見て叫ぶ。


「呑気なコト言ってるうちに、船が沈んじゃうよーッ」

『アルぅ! 近くの鱗族シェルクたちの住処で助けを呼んだ方がいいシィ!』


 シィの提案に、ぎくりとアルエスの表情が固まる。一方セロアは、それを聞いてはっとしたようにふたりを見て、頷いた。


「確かに、その方が良さそうですね。あの魔物は大きな存在物しか判別できませんから、アルエス。シィと一緒に鱗族シェルクたちのところへ行って、助けを求めてきてもらえませんか?」

「え、えっ……ボクがっ!?」


 言葉を交わす余裕もなく、第三撃。

 よろけて彼の袖に掴まるルベルを抱きかかえ、セロアは答える。


「時間がないんです」

「う、解ったッ」


 加速的に、船は崩壊し掛かっていた。もう幾らも、猶予はない。事情を聞く時間も、作戦を授ける時間すらも。言外にそんな意味を含められては、アルエスも応じるしかない。

 心配そうに見上げるルベルと目が合って、アルエスの中でも肝が据わった。確かに、自分が同行したのはまさにこういう時のためだったわけで。


「解ったッ、行って来ます! みんなどうか無事で!」

「アルエスちゃんも気をつけてくださいっ」


 必死なルベルの声に、頭の芯がすぅっと冷えてく気がした。ぐらぐらと揺さぶられて、船が悲鳴を上げるように軋む。アルエスはもう振り返らずに、船べりを踏み台にして思い切り良く海に飛び込んだ。

 待ち合わせの場所指定も、合流の約束もないけれど、仕方ない。

 だって時間がない。


 さばぁんという水音と同時に、生ぬるい海水が自分を取り囲んで持ち上げる。親水の属性を持つ鱗族シェルクは、水中でも呼吸に支障を受けない。普通なら動きを制限する水圧も、同様に。

 たとえ、二本の足を尾に変ずることが出来なくとも、水の精霊たちはアルエスを見限ったりしないのだ。

 そうであれば、自分に出来ることは間違いなく同族を捜すこと。そして彼らに助けを求め、水中での安全を確保することだ。


 それさえ果たしたら、目指す場所はただ一つ。

 それは、船が沈もうと離れ離れになろうと、変わらない。



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