10-3 海星楽隊


 あふれるほどの祝福をうたに乗せ、アビスサーペントは結界を越えるアビスワーク号を見送ってくれた。

 アルエスがシィと名残惜しげに手を振る。ゼオは相変わらず虎型のまま、だが幾分か気を張った様子で、彼方を見やっていた。


「ゼオやシィも精霊なのに、結界を越えられるんだな」


 不思議そうなリンドに、セロアは旅渡券を広げて見せる。


「女王様がここにしっかりと、ゼオとシィの名前を記載してくださったので、越えられるんですよ」

「へぇ、そうなんだ」


 覗きこむアルエスに視線を傾け、セロアは穏やかに笑った。


「普通、精霊は名前を持ってないので、確証するには事例が足りないですけどね。バイファル島はまだまだ未知な部分が多いんです」


 実際、旅渡券の効果はあまり解明されていない。王宮に関わる者でなければ手にする機会は皆無だから、当然と言われればそうなのだが。

 人族に関しては、名前の記載に特別の拘束力があるわけではない。特に魔法陣テレポーターによる直通ゲートを使う場合は、転移を発効した当座に魔方陣内にいた者すべてが入島できる。


 いずれにせよ、その効力を熟知している者など、国王と王に近しい王宮関係者くらいしかいない。

 セロアやフリックは知識として幾らかを把握している程度であり、リンドは王族ではあるが継承権から遠いため、それほど深い情報を知らされていない。


 セロアは券を仕舞い込み、改めて全員を見渡した。魔法不干渉の結界を越えてしまった以上、この先はわずかな油断が命取りになりかねない。

 アビスワーク号は、海路の船着場まで自動航行するよう設定されている。悪天候や障害物の時など手動に切り替えることも出来るが、操舵技術のある者がいないのでは意味がないだろう。


「念のため、リンドとアルエスは後方を、ルベルちゃんは私と前方の見張りに。フリックとゼオは操舵室に、待機しててくださいね」


 船の速度は随分と落ちていた。岸が近いゆえの低速か、アビスサーペントと別れたからなのか、もしかしたら両方かもしれない。

 直近海とはいっても、入港までもう少し時間が掛かるだろう。その間に起き得るまさかの事態に対し、警戒を緩めるわけにはいかないのだ。


「了解した、アルエス行こう!」

「うん、セロアさんとルベルちゃんも気をつけてッ」


 水属性の少女二人は、疲れた様子もなく元気に返事して後方へ回っていった。他方、憔悴しきったウサギと虎は、それぞれが活きの悪い相槌を返して船内へと戻っていく。


「さて、私たちは前方の見張りといきましょうか」


 セロアが言うとルベルはこっくり頷いて、船べりから見える島影に視線を向けた。快晴なのにどこか霞んで見える黒い陸地は想像以上に高低があり、岩地の険しさが思いやられる。


「見えますか、ルベルちゃん」


 静かなセロアの問い掛けに、ルベルは頷いて彼を見上げた。


「覚悟はオッケーですか? セロアさん」


 セロアは苦笑し、そして頷く。


「ええ、ここまで来たらどこまでだって行きますよ。ルベルちゃんの覚悟はどうですか?」


 少女はまっすぐセロアを見たまま、にこりと笑って答えた。


「ルベルは絶対にパパを捜してみせます!」


 覚悟というよりは宣誓のような。睨むように島へと視線を戻したルベルが、この小さな身体にどれだけの想いを抱えているのか、いまだセロアは断片的にしか知らない。

 不安要素を辿っていけば、どこまでだって遡れてしまう。

 生死すら不明という状況からすれば、最悪の結果だって想定せずにはいられない。


 いつまで島に留まり、捜すのか。日を重ねれば重ねるほど自分たちの存在は島民たちに知れ渡り、少女自身の危険も増して帰還が難しくなる。

 その現実をどこまでルベルが認識しているのかはセロアも知らなかったし、どう切り出して確かめたものかも思いつかなかった。


 そもそも、どこから始めてどうやって捜すのか。一枚の絵を手掛かりに、手当たり次第に島民に聞いて回る……それすら危険な場所なのだ、この監獄島は。

 考えれば考えるほどに、難しい。それを改めて痛感し、セロアは黙って海向こうの陸影に目を向けた。じわじわと迫り来る感覚を、目視で実感するにはまだ遠い。


「あ、セロアさん見てくださいっ、タコさんがトランペット吹いてます!」


 真剣に考えていたところに素っ頓狂な横槍を入れられ、セロアは一瞬、現実を認識し損ねる。はた、と傍らのルベルを見れば、少女は目を輝かせて海の方を指差していた。

 つられて見た先には浮き岩があり、その上には確かに、タコやイカのようなイキモノが乗っている。各々それぞれに貝殻や珊瑚でこしらえた楽器を携えて、正真正銘の演奏会をしていた。


「………………」


 たぶん水棲の生物か魔物なのだろうが、セロアはお陰で思考がフリーズしてしまい、何もコメントできないまま、まじまじとそれを凝視するのみだ。ルベルが隣でいろいろ感想を喋っているが、耳を通り抜けていくだけだった。


 ――あぁ、あれが噂に聞く『海星楽隊かいせいがくたい』か。


 船が真横を通り過ぎ、今度は後方から、少女たちの歓声が聞えてきた頃になってようやく、セロアはその集団の名称を思い出す。

 船乗りたちの間では、案外と有名な話らしい。


 自分らの音に絶対の自信を持ち、プライドと魔力をこめて様々な楽器を演奏するという海のオーケストラ。魔力保護のない普通の漁船や旅客船だと、音の魅力に惹きつけられて航路から逸れてしまうこともあるとか。

 まさか本当に出くわすとは。折角なので見納めておこうと、何気なく振り返った、視界に。不自然に慌てた様子で彼らが岩から海へとダイブしたのを見てしまい、セロアの直感に何かがかする。


 彼らの行動の意味を分析している時間はなかった。

 唐突にがくんと、船体が揺れたのだ。




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