7-5 嵐の前


 どんな風向きか、朝食終了と同時に非番の女中たちに連れ去られ旅の話をせがまれた挙句、新作のお菓子の味見までさせられて、ようやくアルエスが部屋に戻ったのは昼近く。

 外見と実年齢が一致しない魔族ジェマなだけに本当のところは知れないが、彼女たちの外見年齢はアルエスに近くシィもすぐに懐いたので、つい女子トークではしゃぎ過ぎてテンションがまだおかしい気もする。


 借りた自室に入ったものの気になって客間を覗いてみたら、広い部屋の中なぜかゼオが一人だけで読書をしていた。

 その姿に何か形容しがたい違和感を感じたものの、口にしてはいけないような気もする。


「虎のお兄ちゃん、ルベルちゃんとリンちゃん知らない?」


 声を掛けたら、灼虎は顔を上げアルエスを見た。

 ゼオは破壊特化の炎精霊だから、彼が側にいる時はシィは滅多に出てこない。仲の良し悪し以前に、存在力で劣る水の下位精霊では下手すれば消滅する危険があるからだ。


 鱗族シェルクは水の民なので、全体として炎精霊とは相性が悪い。これも互いに悪意があるのではなく単純に精霊相性の問題だが、アルエスにはさほどそういう意識はなかった。

 炎の民である人間族フェルヴァーを父に持つからか、あるいは地上に住み旅歩きが常だったゆえの慣れなのか、自分でもよく解っていないが。

 さすがに間近まで寄られるとぴりぴりした乾燥感があって苦手なのだが、その辺はゼオも気を遣ってくれているらしく、今までも苦になるようなことはなかった。

 水精霊のシィという存在が身近にいることも手伝って、アルエスにとって精霊は友人認識だ。けど、それを差し引いたとしてもこの灼虎は良いお兄ちゃんだと思う。


「お嬢なら、リンドを連れて飛び出してッたきりだぜ」

「そっかぁ」


 リンドに連れられて、じゃない所に幾ばくかの不安が残るが、追い掛けようにもどこにいるか不明だ。

 アルエスは客間に入ると、隅に重ねられた荷物の間からフリックが昨日見せてくれた本を引っ張り出した。ソファに座り、パラパラ捲ってみる。


「アルエスもついて来るのか?」

「うん、そうしようかなって思ってるよ」

「危険は解ってンだろな」


 溜息混じりに言って、ゼオはきんいろの目をアルエスに向けた。


「うんー、実はよく解ってないかも、って気がするケド」

「なにノー天気なコト言ってンだよおまえはッ」


 口が悪い中にも遠慮がうかがえて、それが妙に可愛く思えて、アルエスはへへっと笑う。


「今までずっとシィとふたり旅だったから、危険なんて今さら……だしっ。それに、みんなと一緒にいるのは楽しいから、ちょっとでも役に立てるなら、なんて思ったの」


 どうせ、帰る場所も待つ家族もないのだ。

 そんな自分をなんのてらいもなく友達と言ってくれて、必要としてもらえたのが嬉しかった、……なんてのは恥ずかし過ぎて、とても言えやしないけど。


「ウサギもおまえも、ノー天気な振りして寂しがりなのな」


 ぽつんと呟き、ゼオが床に仰向けに寝転がる。どきりと心臓を突かれた気がして、アルエスは息を詰め、無作法な虎の精霊を見下ろした。


「ウサギお兄さんもって?」

「……消えて欲しくねーんだろ?」


 答えではない言葉が返る。心を射抜く一言だった。


「そりゃ、アタリマエだよぅ」


 ぎゅ、と本を掴むてのひらに力を込める。細かな文字で書かれた文章は専門的過ぎて、アルエスには半分も理解できない。


「ボクそんなに強くないし博識じゃないけど、絶対にルベルちゃんよりは魔法も武器も使えるしっ。……海に出るなら、イザって時は海の精霊とも会話できるしっ。このまま別れて、お互いに生死も分からなくなっちゃうのは、イヤなの……っ」


 友情、なんて言って良いのか解らない。でもどうしても、このままサヨナラなんてできなかった。

 自分が役に立てるかも、――なんてのは単なる理由づけだ。消えて欲しくない、まだ離れたくない、本音なんてただそれだけに過ぎないのだ。


「そっか。ま、海上じゃ一番の役立たずはオレだかンな。お嬢のためには有り難いかもな」


 どこか他人事のように言うゼオが不思議で、アルエスは視線を傾け尋ねる。


「虎のお兄ちゃんは、行きたくないの?」

「あぁ」

「どして?」


 しん、と落ちる沈黙。

 灼虎は身を起こし、まっすぐ前を見たまま炎混じりの息を吐き出した。


「お嬢の傍にいてお嬢を守る、オレの役割はそれだけだ。それ以上のことは契約外だし、邪魔する権利もねぇ」


 彼は精霊なのになぜ本音を隠すのだろう、と。アルエスは漠然と思う。

 契約なんて証書みたいなもので、絶対的に意志を縛る効力などありはしないのに。口にできない事情を胸の内に秘め込んだまま、この炎精霊はルベルに同行しているのだと知る。


「そんなことないよぅ」


 こんな言葉、彼の前には無意味だ。誰に言われるまでもなく、ゼオ自身が解っているに違いないのだから。でも、言わずにはいられなかった。


「お嬢はホントに、叶えちまうのかもな」


 ゼオはぽつんと呟いて、再び仰向けに床に寝転がる。と、ちょうどその時、扉が勢いよく開いてルベルが部屋に飛び込んできた。


「ゼオくんっ! 魔法のバットに変身してくださいっ」


 開口一番それだ。

 ゼオは跳ね起きて目を丸くし、遅れてついたリンドを胡乱げに見遣った。


「なンなんだよオィ。なんでバットだ」

「ゼオ、私からもお願いだ! バットでなく杖でも構わないから、セロアが使えそうな武器に変身して御前試合に出てくれないかっ」


 呆気にとられ固まるゼオの隣で、アルエスが恐る恐る尋ねる。


「御前試合って……?」

「話せば長くなるんだが長くても良いか!? どこから話せばいいんだ?」

「ぐぁー隠居の武器になんかなるかッ! それにオレは剣以外変身不可だっつーの!」


 一気に騒々しくなる客間の扉をアルエスは立ち上がって閉じ、改めてルベルとリンドを見る。


「長くてもいいから、できればハジメっから聞きたいなー……」

「それじゃ今から練習して、杖とか棒とか柱とかに変身できるようになってくださいっ」

「ンな気軽にポンポン変身して堪るかッ!」


 大真面目におかしな事を言い放つルベルと、吠えるゼオ。それをアルエスがなだめて、リンドが事の次第を話し終えた頃には。

 ゼオの髪が怒りで逆立ち、アルエスの笑顔がひきつっていたのは、言うまでもないだろう。




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