7-4 大賢者はかき回す


 ルベルの保護者な賢者は朝早く、ウサギを伴って出掛けてしまったらしい。よもや、建国王の家に向かったなどと全く考えもせず。アルトゥールは彼らの行動を不審に思いながらも、諜報員をつけるまではしなかった。

 いつものように執務室に向かって廊下を歩いていると、前方から聞き慣れた低い声が流れてきた。


「……とにかく、保護者殿が戻られてから一緒に来た方がいい」


 困惑した様子で言い諭しているのは父オスヴァルトだ。足を速めて廊下を進むと、父と相対しているルベルと隣で困ったように立っている妹の姿が、視界に飛び込んでくる。


「セロアさんが帰ってからじゃ、ダメなんです」


 決死の瞳に見つめられ、父は気圧されているようだ。リンドが足音に気づいてこちらを見、ぱっと表情を輝かせる。


「兄さま! おはようございますっ」

「おはようリンド、父上、ルベルちゃん。どうしたんだい?」


 返答した声に気づいて、父が顔を上げこちらを見た。軽く咳払いをし重い口を開く。


「……おはよう、アルル。お嬢さん、いずれにせよ、国主に会うには然るべき手続きと許可が必要になるんだよ。今すぐ、というのは難しことだ。すまないね」


 とうとうルベルは直訴という手段に出たらしい。保護者がいては止められると理解した上での直談判だ、相変わらず侮れない。

 あの少女の説得とは口下手な父の割に頑張ったなと思ったが、口に出すのはやめた。


「ルベルちゃん、姫様に会うのは難しいけど、俺と少し城内を回ってみないかい? リンドも一緒に。父上、構いませんか?」

「……そうだな、少し回ってくるといい」


 規律を重んじる父があっさり了承したので、相当困っていたのだろうと推測する。父親が娘に弱いのは種族も国も関係ないものなのだ。


「それなら兵舎の方へ行きませんか、兄さま。……会わせてあげられなくて本当にすまない、ルベル」

「ううん、大丈夫です。ワガママ言ってごめんなさい」


 神妙な顔ながらも素直にルベルが同意したので、アルトゥールは父を見送ってから二人を連れて元来た方向へ歩き出した。


「あまり、焦らない方がいいよ。ルベルちゃん」

「焦ってないです」


 諭すように言った途端、まっすぐ見上げて言い返された。その瞳に妹を重ねて、アルトゥールは表情を緩める。


「ルベルちゃんって、思い立ったら即行動、て所がリンドにちょっと似てるな」


 それを聞き咎めてか、妹が真剣な目を向けて声を上げた。


「兄さま、ルベルは思慮深い子ですっ。私と一緒にしては気の毒です」

「気の毒じゃないです、リンドちゃんはカッコイイですっ」


 ちょっとずれたリンドの抗議に反応したルベルのツッコミもずれている。そういう所だよ、と思った言葉は胸の内に秘めて、アルトゥールはにこやかに微笑んだ。


「そんなところが可愛らしいよ」


 それはそれで本気の台詞だったのに、少女二人はなぜか黙ってしまった。

 他愛のない会話をしつつ廊下から柱廊へ出たところで、不意にぞくりと気配を感じアルトゥールは反射的に振り返る。――途端。


「久し振りだな、坊や」


 囁き声が耳をくすぐり、アルトゥールは無言で鞘ごと剣を握り声の主に向かって突き出した。それを掴んで受け止めた相手を、睨みつける。


灰竜かいりゅう様、俺はもう坊やってぇ歳じゃありませんよ? それに、いきなり転移で背後を取るのはやめていただけませんか。間違って刃が当たったら、俺が姫様に叱られますので」

「相変わらず激しい愛情表現だな、アルル。リンドはどうだ、心は決まったのか?」


 愛情表現じゃねぇ、という心の声を押し殺し、アルトゥールは溜息混じりに剣を奪い返して腰ベルトに戻した。


「……ってリンド、灰竜様と何の話を?」


 彼の台詞に気になる語句を発見して無意識に声が低くなる。守護者相手に脅しつけたって無駄だというのは重々承知だが、こればかりは習性だ。


「言っていいのか、リンド」


 カミルは彼にしては珍しく直接には答えず、リンドの方へ紅い目を向けた。つられてルベルが見上げたので、彼女はなぜか慌てたように姿勢を正す。


「いえッ灰竜さま、リンドが自分できちんと話します! 兄さま、実は私、ルベルの旅に同伴してバイファル島へ行こうと決意しました!」

「――なんだって!?」


 結局行くのかというカミルの呟きが耳を掠ったが、アルトゥールの脳内までは届かない。

 これは、とんでもない一大事だ。市街に行くとか剣術を学ぶとか旅に出るとかいった今までの全部とは比べ物にならない、爆弾発言だ。

 妹の一途な性格を良く知っているだけに、事態を認識するにつれてアルトゥールの顔から血の気が引いてゆく。


「それを、父上は知ってるのか、リンド」


 リンドが旅に出てからというもの、元から口下手だった父がますます無口になったことをこの妹は解っているのだろうか。――いや、解っていない。


「父さまにはまだです。執務が忙しいと思い、なかなか話す機会が得られないのですっ。それに、……姉さまにはダメって言われましたし」


 段々と声のトーンが落ち込んで行くリンドの姿はいじらしかったが、アルトゥールは心中でさすが姉上ナイス、とかエールを送っていた。頼りになるのはやはり長女だ。


「おまえはカメレオンか」


 隣でカミルが言い、数秒遅れてそれが自分への言葉だと気づく。


「トカゲじゃねぇっ」

「青くなったり赤くなったり、忙しいことだ」


 いつもながら、人の顔色を観察しているとは失礼な守護者だ。今回の件だってきっと面白がって、関係各所をかき混ぜて回っているに違いない。

 不満は募るが、乱暴な対応は渦中の少女を傷つけることに繋がりかねないので、あえて放置しアルトゥールは妹と向き合うことにする。


「兄さまも、反対ですか?」


 まっすぐ見上げられるとつい条件反射で全面的に応援してやりたくなる気持ちを抑えつつ、彼は頷いた。


「賛成だと思うかい?」

「確かに危険は承知しています! でも、私にとって危険ならルベルにとっては尚更ですし、それに、同行しなければ毎日、心配で気になって仕方がないと思うのです……!」

「それは、父上や俺たちだって同じだろう? それに、こう言っては失礼だがあの賢者殿もナーウェアの彼も、安心して任せるには頼りないし」


 そうなると後はあのドラ猫だし、と言いたくなるのは抑える。――が、その発言への反応はリンドよりルベルの方が早かった。


「セロアさんもフリックくんも、ゼオくんも、頼りなくないですっ」


 真正面から言い切られて思わず怯んでしまったのは、兄としての習性だろうか。うっかり逆鱗に触れてしまったことを自覚して、アルトゥールは慌てて言い添える。


「いや、ルベルちゃん。そう言う意味ではなく……、確かに二人とも旅の知識や要領に関しては十分頼りになるだろうよ。でも、なんというか、護衛としては」

「護衛などなくとも、リンドは自分の身は自分で守れます!」


 今度はリンドだ。どうも風向きが良くない。


「とにかく、ルベルちゃんには灼虎という守護があるから心配ないとしても、リンドが行くのは反対だ。俺も姉上も恐らく父上だって、家族としては当然だろう?」


 きっぱり言ったらリンドは沈黙して俯いてしまった。ルベルが細い眉を寄せ、何かを言おうとしたと、同時。


「セロア=フォンルージュはそんなに強いのか」


 揶揄するような調子でカミルが口を挟み、深紅の両眼を傾けてルベルを見た。その魔性の瞳に少女は一瞬息を飲んだが、躊躇うことなく頷く。


「セロアさんは騎士さまじゃないけど、お一人で世界中を旅してました。大きなケガをしたことも、悪いヒトに負けたこともないです、だから大丈夫なんです!」


 彼が今まで回った『世界中』と、今から向かおうとしている場所は根本的に異なるだろう。だが、今言っても無駄だろうと思ってアルトゥールは苦笑混じりに答えた。


「それじゃ、その強さを証明してもらえるかな」


 深い意味はない、流れで口を衝いた言葉だった。が、それを聞いたリンドは目を輝かせて声を上げる。


「それなら、セロアと私が剣試合をしてみるのはどうですか、兄さま!」

「またそれか。……それに、おまえに勝てたところで」


 証明されるのはおまえの強さだろう、と言い掛けるのを、カミルが手を挙げ遮った。


「アルル、おまえがするといい」

「……は?」


 一瞬意味が飲み込めず、思い切り地の声で聞き返してしまった。リンドもきょとんとしたまま、守護者と兄を交互に見比べている。

 ルベルが大きな瞳をますます大きく見開いて、カミルを見上げた。


「セロアさんと、アルルくんですか……?」

「ああ。強いのだろう?」


 薄く笑んで答える、白い魔族ジェマ。リンドは慌てたようにカミルの腕に取り付いた。


「灰竜さまっ、それはさすがに無理だと思いますッ! セロアは剣士じゃないですし」

「でも、人間フェルヴァーだろう?」


 身体能力に優れるという、剣の民・人間族フェルヴァー。だが、セロアが武器らしい物を身につけているのをリンドは見たことがない。

 動揺するリンドには構わず、カミルは意味深な笑みをアルトゥールに向け言った。


「おまえが勝てば私はこれ以上関わらず、館へ戻るよ。だがもしセロア=フォンルージュが勝てば、私はリンドに旅の間の安全を保証し尚且つ、黒曜を説得してやろう」

「ホントですかっ」


 その言葉にルベルの表情が変化した。リンドはおろおろと二人を見比べ、兄を見る。


「兄さま、セロアじゃなく私がっ」

「それでは意味がない、リンド。おまえは黙って見守り、この娘の幸運を試してみなさい」

「でもッ」


 予想外の展開に軽く頭痛を感じながら、アルトゥールは呻くように呟いた。


「魔法、道具、など何かハンデや条件は付けますか?」

「真剣は使わぬ方がいいだろう、何かあると面倒だからな。殺さぬ程度なら杖でも棍棒でも素手でも、自分らが得意な物を使うといい」


 物騒なことをさらりと言いやがって、やはりこの事態を面白がっているのは間違いない。

 ――幸運、か。

 視線を向けたら、ルベルは息を詰めたような表情でアルトゥールを見上げ、言った。


「よろしくです、アルルくんっ」


 参ったな、と胸中で呟く。

 もしかしたらこの性悪守護者が剣試合にかこつけて、何かを企んでいる可能性も捨てきれないが。それも含めて。


「これで決着がつくのなら、俺はいいけどね」


 溜息まじりに応じつつもアルトゥールは、嵐の前のような悪い予感を感じずにはいられなかった。




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