5.賢者の予言と謎掛けと
5-1 父ゆずりの才
ゼオが立ち去り、レーウェルと別れ、アルトゥールは柱廊をひとりで兵舎の方へ歩いていた。結局リンドとゆっくり話ができなかった。それがどうにも面白くない。
それでも自分だって務めのある身だし、職務をサボっていると真面目な父にきつく説教されるので、面白くはないが仕方ない。
――と、ふと、緑の中でオレンジに揺れるものが視界をかすめ、アルトゥールはつられてそちらへ目を向けた。
確かルベルと言ったか……、リンドと一緒に来た
手元にあるのは小さなスケッチブック。手にパステルを持っていたが、紙面はまだ真っ白だ。声を掛けようと思ったが、先ほどのこともあるので
そのままなんとなく眺めていると、ルベルの方で気づいてこちらを見た。
「アルトゥールくん、おひとりですか?」
思わず苦笑しつつ答える。
「アルルでいいよ、ルベルちゃん。リンドと一緒ではなかったのかい?」
「はい。リンドちゃんはスゥくんと一緒です。アルルくんはこれからお仕事ですか?」
どうやら『くん』呼びで定着らしい。慣れない呼称に居心地の悪さを感じつつも、彼女の癖であって他意はないだろうと結論づけ、アルトゥールは納得することにした。
「仕事と言えばそうかな。それほど堅っ苦しくもないけどね。時間もアバウトだし」
父上以外、と心の中で付け足す。当然少女にそれは聞こえず、ルベルは大きく目を見開いて、言った。
「お時間あるなら、ちょっとだけいいですか?」
「うん? 構わないけど、なんだい」
ルベルはにこにこと笑顔で答えた。
「似顔絵描かせてください」
「……似顔絵?」
意外な頼みに思わず、おうむ返しをしてしまう。少女は嬉しそうに頷いた。
「はい! 空は真っ青なだけだし、庭はキレイすぎて難しいです。似顔絵なら、そんなにお時間とらせません」
「ああ、了解。俺はどうすればいい?」
「あまり動かないでほしいので、楽な場所に座ってください」
応じてアルトゥールはルベルのすぐ前、芝生の上にじかに腰を下ろした。少女はパステルを木炭に持ち替えて、カリカリと紙面に線を重ねていく。その手際の良さに、無意識に見入ってしまう。
それにしても
「ルベルちゃんは、絵を描くのが好きなのかい?」
身動きできずじっとしている時間は、短くても結構な苦痛だ。話し掛けたらまずいだろうかと思ったが、ルベルはあっさり答える。
「うん、大好きです! パパはとても絵が上手だから、ルベルも上手になりたいんです」
聞いた話だと、監獄島にいるという彼女の父。
「君は、父君に会うためバイファルへ行くんだっけ」
「はい」
シンプルな答えが返る。そのひとことの裏にどれだけの覚悟と理解が込められているのかを、読み取ることはできなかった。
「父君はどうして、バイファル島に?」
聞いていいものか迷ったが、思い切って尋ねてみる。
「お仕事で、人を迎えに行くって言いました。ルベルに、行ってくるよって……、もう五年経つのに帰ってきません。帰ってこれない理由をルベルは知らないけど、帰る道は行く道より少ないってフェトさまは言いました。だから、ルベルが行けば絶対パパに逢えるんです」
返す言葉に迷う彼を、少女が顔を上げて見る。
「パパ、強いんです。……すごく背が高くて、器用で、強いんです。パパはルベルのことが大好きなんです。だから、絶対元気でルベルを待っててくれます」
疑いや不安を挟む余地のない、ひたむきな信頼だった。なんだかどうしようもない気分になって、アルトゥールは言葉を失ったままルベルを見つめ返す。
ふ、と興味がもたげた。五年前に迎えられたと言えば、前王統の公爵ルウィーニの件だろう。であれば、少女の父はなぜ帰って来なかったのだろうか。
それはとても不思議なことに思えた――、その感覚にこれといった根拠もなかったが。
「はい、完成です!」
ルベルが突然にそう言って立ち上がり、彼の前に小さなスケッチブックを差し出した。細く木炭の線を重ねて描かれた自分の姿がそこにある。
「へぇ、上手だね」
それはちょっとした感動だった。この年齢にしては上手い、というのもあるが、それ以上に手慣れた線の描き方に見入ってしまう。えへ、と少女は照れたみたいに笑った。
「ありがとうです」
「似顔絵が得意なんだね」
ぱりり、とページを破いて、描いた絵を手渡しながら、少女は彼を見上げた。
「ルベルはまだまだです。パパは一度見たヒトの顔、見ないでも描けました」
「それも凄いね」
紙を受け取り、目を落とす。その境地まで至ったら凄い、というかそれはもう一種の天才ではなかろうか。
そんなことに思い至り、アルトゥールは自分がずいぶんとルベルの父親という人物に興味を覚えていると気がついた。
女王はどうするのだろう。王族の一人として彼も、黒曜がバイファルの扉を開くつもりがないことは知っている。理由についてはよく知らないが、決定権が彼女にあることに異議などあろうはずがない。女王がどう決断しても自分はそれを支持するだろう。
それにしてもルベルの連れは、今ごろ姫とどんな会話を繰り広げていることやら。
外見のゆえに誤解を受けやすいが、黒曜の内面は決して子どもではない。
ぼんやりと思考に沈みかけていたら、ルベルが唐突に言った。
「アルルくんは、ゼオくんがキライですか?」
「――あ、いや」
いきなり心臓に悪い話を振られ、口もとを手で隠してつい目をそらす。ついのさっきだ、忘れているはずもなかろうが、面と向かって聞かれるのはきまり悪い。
少女はそれをじいっと見上げ、ぱたんとスケッチブックを閉じた。
「相性はリクツを超越してるモノだから、ルベルはなんにも言いません。アルルくんとゼオくんが納得してるなら、それでオッケーです」
「あぁ、うん。……気を遣わせちゃって悪いね」
他に言いようも思いつかず
「ルベルは平気です。それに、好きっていうのも同じです」
不覚にも。深読みしすぎて何重もの意味を見出してしまい、絶句に近く少女を見返す。
ルベルはにこにこと屈託なく笑った。
「そろそろ戻ります。お付き合いありがとうございました」
「ああ、こちらこそありがとう。気をつけてな」
「はい! 気をつけます」
そう言って柱廊を戻る少女を見送ってから、アルトゥールは改めて兵舎へ向かう。歩きながら、自分の父を思い浮かべた。
もしも同じ境遇に陥ったなら、リンドは間違いなく父に会いに行くだろうと思う。
では、自分は――……?
答えは出なかった。
ただ、ルベルの覚悟をわずかばかり、
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