4-6 風がもたらす白昼夢


 今さらながら、ルベルはちょっと機嫌が悪いらしい。


 兄と灼虎しゃっこのゼオが知り合いだったのには驚いたが、見た目と違って意外に熱い兄が誰かといさかうのは、よくあることだ。ゼオの反応を見るに原因は今回の件より昔にあるようだから、ルベルのせいではないはずだ。

 そうは思うもののルベルはすっかり黙り込んでしまったし、顔を上げて自分を見ようともしてくれないので、話しかけるタイミングを見出せない。


「ルベルちゃん、二人ともあれだけ好きに言い合ってるくらいだもん、逆に心配ないよぅ」


 おくせずにこうやって言葉を掛けられるアルエスは素晴らしいなと、心から思う。けれどルベルはそれにも、こっくり頷いただけで何も言わない。

 アルエスが眉尻を下げため息をついてリンドを見た。その困惑を見て、リンドもどうしていいか分からず首を振る。と、その時。


「りぃちゃ、わーいっ」


 何か小さなイキモノが物凄い勢いで駆けてきて、ぽぅんとリンドに抱きついた。よろめきつつも反射的に受け止めた彼女は、両目を大きく見開き満面の笑顔になる。


「スゥ! なんだどうした、久し振りだなっ!?」

「わぁっ、可愛いー!」


 覗き込んだアルエスの顔にも同様の笑顔。ルベルがきょとんと顔を上げた。リンドの腕の中、空と同じ色の大きな目で彼女を見上げて。小さな子どもがにっこにこと笑っている。


「スゥね、しぇるぅといっしょにきたのー」


 舌ったらずにそう言って小さな指を差すその先には、紺青こんじょうの髪をひとつに束ねた優顔やさがお翼族ザナリール


「久し振りです、リンドさん。数日ほどお世話になりますね」

導鳥みちびきどりさま!? ……ってコトは、灰竜かいりゅうさまも来てるんですかっ」

「ええ。まだ会ってないですか?」


 静かに尋ねられ、リンドは首を振る。そして思い出したように慌てて言った。


「アルエス、ルベル、……この方はシェルシャさまと言って、姫さまと懇意こんいにされている方なのだ。この子はスーシア、わけあって預かられてるそうだ」

「へぇ、よろしくっスーシアくん」


 アルエスが笑顔で頭をなでると、スーシアも嬉しそうに笑う。ルベルはシェルシャを見上げて首を傾げた。


「スーシアくんのパパとママはどうしたですか?」


 唐突とうとつな質問にアルエスとリンドは息を呑んだが、シェルシャは表情を変えることもなく、ルベルを見て優しく答える。


「スゥのご両親は、出稼ぎ中なんだよ。二人がそろって迎えに来るまでの約束で、預かってるんだ」


 ルベルが、大きな両目を瞬かせる。


「スーシアくんは、寂しくないんですか?」


 真剣に尋ね掛けられて、シェルシャは微笑んだ。リンドにとって既知きちである彼はいつでも優しく穏やかな人物だが、そのリンドでさえ胸を突かれる柔らかな表情かおで。


「寂しいだろうね。でも、二度と会えないわけじゃないし、約束があるから……大丈夫なんだよ」

「……約束」


 呟くように、ルベルはその言葉を繰り返す。


「……約束、信じて……待てますか?」


 すがるような一言だった。シェルシャは少女の前にしゃがんでその顔を見上げ、優しく問い返す。


「君も、信じてるよね?」


 ――不意に。

 ぽろりと、ルベルの目から涙が零れた。凍りついたように立ちすくみ、少女は声もあげずに泣いていた。

 スーシアを抱いたリンドが表情を歪ませ、アルエスは口元に手をやって、どちらも痛みを堪えるような顔で見ている。言葉を発したら、何かが壊れてしまいそうだ。


「シェルシャさ……、知っ、……る、ですか」


 聞き取りにくい小さな震え声で、ルベルが問う。シェルシャは表情を崩さず頷いた。


「気になってしまって、【風の噂ウィンドルーマー】で声を拾ったんだ、ごめん。詳しい事情は知らないけど……、君はお父さんに会いに行くんだよね」


 こく、とルベルは頷いて、手の甲で涙をぬぐう。


「ルベルは、パパに……逢いに、……監獄島に、行くん……です」


 震える声を抑え、ひとことひとこと強く声にして、少女は手のひらを握りしめる。濡れたあかね色の目に映るのは、決然とした意志。


「約束は……っ、ないけど、……信じても、いいですか?」


 シェルシャが微笑む。


「大丈夫だよ。絶対逢える」





 ――ざ、と。

 二人の間を風が通り過ぎた。





「自分でもバカだと思うけど、気に食わないんだから仕方ないじゃないですか」


 黒髪の魔族ジェマがそう言って振り返る。視線の先に立つ、長い白髪はくはつと紅い目の魔族ジェマは、何も言わず足もとに描かれた精緻せいちな魔法陣を見ていた。


「こんな大層な仕掛け、誰が仕掛けたんでしょうね。……壊し方すら解明できないなんて」

「解く事も壊す事もできないが、だます事はできる」


 白い魔族ジェマが低く囁いて、紅い目を向ける。


「だが、ゲート自体が失われれば、もう二度と魔法陣を再構築することはできない。それでいいのかサイヴァ。気に入らないのなら、使わなければいいだけだろう」

「オレは、オレだけじゃなく、この先この国で生きる誰かが、あの島に送られんのが我慢ならないんですよ」


 サイヴァと呼ばれた黒髪の魔族ジェマはそう言って笑った。自嘲のようでいて潔い。


「使える物は好悪こうおこだわらず備え置くのが賢い施政者だ。千年後に建国王は愚かだったとののしられるぞ」

「だから、バカな自覚はあるって言ってるじゃないですか!」


 表情も変えず淡々と宣告され、サイヴァはねたように声をあげる。それまで黙って成り行きを見ていた翼族ザナリールの少年が、言った。


「サイヴァ、……送る側でなくとも、人を迎えたり、捜したりにも行けなくなるってことだよ。それでもいいの?」

「……ん。だって、お手軽な手段はあっちゃなんねーと思うよ」


 人懐っこい黒い瞳が彼を見、そして笑う。


転移装置テレポーターで一方的に送れると思うから、気に入らねー即追放しちまえーってなるんだよな? ひとの人生左右する事なのに、手間惜しんじゃダメだよ。……シェルシャも、オレがバカだって思うか?」

「どうかな。でも、サイヴァらしいね」


 翼族ザナリールの少年はそう応じて、ふわりと笑った。


「僕はサイヴァのそういうところが、いいところだと思うけど」

「寄るなシェルシャ。馬鹿は感染するんだ」


 心底嫌そうに白い魔族ジェマが言ったので、シェルシャはくすりと笑んで彼を見返す。


「そうしたら逆に、性悪しょうわるに免疫つきますよね。カミル様」


 一瞬言葉を失って、白い魔族ジェマは睨むように紅い双眸をシェルシャへ向けた。


「おまえには手遅れだろう」

「それなら、今さら感染しませんよ」


 すかさず切り返され、返す言葉もなくカミルが押し黙る。サイヴァが、あははと笑った。


「馬鹿ですみませんカミル様。でもいいんです、建国するオレの代から追放者を出さなけりゃ、迎えに行く必要も生じないはずだから」

「開き直りは成長の阻害そがいだ。世の中というものは余剰よじょうなく割り切れる単純数式とは違うと、言っているだろうに。……まあいい、おまえはどうせ死ぬまでそのままだろう」


 血色の双眸が伏せられ。囁くような宣告が、白い魔族ジェマの口から紡がれる。


「サイヴァ、おまえがおこいまだ名の無き国家に、監獄島への『ゲート』は存在しない。発行の魔法を解除することはできないが、『ゲート』の魔法陣は私が今から崩壊させる。……躊躇ためらいはないのだな?」

「はい、お願いします」


 金属をこする音が響き、抜き放った長剣をカミルがささげ持つ。その剣が、魔法の炎で燃え上がった。

 唱えられる魔法語ルーンは、合成魔法の術式。


「『太古の術をき尽くし、灰も残さず永劫えいごうの消滅へと導け』」





 ――夢は夜に見るものだ。

 白昼夢と呼ぶにはあまりにリアルな幻に、ルベルとアルエスとリンドはしばし茫然ぼうぜんと立ち尽くす。


「……スゥ、僕の記憶を拾ったね」


 風が吹き抜けるような、シェルシャの囁き。目の前に立つ彼は幻よりもずっと大人びていて、髪が長く背も高い。


「ひいおじいさま……?」


 リンドがぽつんと呟いた。スゥは彼女の腕の中で無邪気に首を傾げる。


「重要機密の漏洩ろうえいだって、黒曜様に叱られちゃうかな。……そういう理由でこの国には、直通のゲートはないんだ」


 穏やかな深青しんせいの双眸が、ルベルを見た。


「監獄島へ渡るには、どこかの主要港で船を入手して、自力で海を越えなきゃいけない。それでも、君は行くんだよね」


 こくりと、強くルベルは頷く。その決意を見て、シェルシャは柔らかく笑んだ。


「エールに代えて僕からヒントをあげる。押して開かぬ扉は引いてごらん。いつの時代も、道をひらくための剣は『なぜ』という問いだ。追いかけるのではなく、回り込みなさい。……これを、今日見た幻と一緒に君の連れに伝えてあげるといいよ」

「……はい」


 濡れた両眼を精一杯見開いて、ルベルは頷いた。翼族ザナリールの青年は、それを見届けてから立ち上がる。


「そろそろ僕は行くよ。黒曜様に挨拶して来ないと。スゥ、リンドさんと一緒にいる?」

「あぃ!」


 スーシアの元気な返事を聞いて、シェルシャはリンドに瞳を向けて尋ねた。


「リンドさんは迷惑ではないですか?」

「はい、私は大丈夫です!」

「それじゃ、少し遊んであげてください」


 そう言って軽く頭を下げて、シェルシャは柱廊を三人と逆方向へ戻って行った。スーシアがその後ろ姿に機嫌よく手を振っている。

 ルベルは黙って、遠ざかる翼族ザナリールの背中をずっと見ていた。ゆるい曲線を描く廊下の向こう、壁の陰で見えなくなるまでずっと――見送っていた。





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