4-5 白き賢者


「そこで何をしている、ウサギ」


 不意に声を掛けられ、茶色の垂れ耳が勢いよく跳ねる。恐る恐るそちらを見ると、木の葉影を映しまだら模様な陽光の下。いつの間に現れたのか、白い髪と紅い目の魔族ジェマが立っていた。

 背の高さは同じくらい。細身の印象なのに、存在感というか威圧感が物凄い。彼の細くつった双眸に射竦いすくめられ、フリックの背を冷たいものが伝う。


「あ、ええっと……なんかホラ、綺麗な庭だなーって回ってるうちに迷子になっちゃって……、ははは、スミマセン」


 無理やり笑い顔を作って誤魔化ごまかしてみれば、白い魔族ジェマは両眼を細め、口の端をつり上げた。


「そうか」

「あ……、ええと、アヤシくてスミマセン」


 何か言い返してもらえないことには、会話が続かない。

 居たたまれず細い声で謝ったら、彼はまっすぐにフリックの方へ歩いて来た。なぜか、身体が勝手に後ずさる。


「立ち聞きも結構だが、この城に住む者は皆、癖のある者ばかりだ。気をつけることだな、フリック=ロップ」

「あは、ご忠告感謝――って、え?」


 不意打ちに笑顔がひきつって固まったフリックを、白い魔族ジェマは面白そうに眺めて言った。


「私の名はカミル=シャドール。おまえは銀竜ぎんりゅう魔法学園で一方的に有名だったからな。とは言っても、王城内でおまえを知っている者は黒曜くらいだろうし、気にする程でもないが」

「……白き賢者様?」


 わずか、フリックの声が震えを帯びる。彼は薄く笑んで頷いた。

 白き賢者とは、魔術や学問を志す者の間でその名を知らぬ者のない、大賢者だ。その住所を含めた一切は謎に包まれており、偶然以外の方法で会うことは難しい。

 だが、彼に当てた手紙を【風便りウィンドメール】の魔法で送れば、数日のうちに必ず返事がくると言われている。


「改まることはない。私はただ、興味深い無謀の顛末てんまつを観に来ただけだ」

「ムボー……って、ルベルちゃんのことですか?」


 まさかの大賢者登場にどういう態度で接すればいいのか今一いまいちつかめず、フリックは変な顔のまま聞き返した。

 白い魔族ジェマあごを上げ、頭上の窓を横目で見遣みやる。


「おまえだって気になったから立ち聞きしていたのだろう? 黒曜はああ見えて相当のつわものだ。外交的取引ならまだしも、今のままでは全く望みはなかろうよ」

「……んー、じゃ、早いトコあきらめて次行けってコトですか?」


 神妙な気分で考え込んでいたら、さらにカミルが近づいて来た。条件反射的に後ずさろうとして、身体がいうことをきかないと気づく。


「可能性の低さなど何処どこだって同じだ。私にはどちらとも言えぬよ」


 至近で笑う、血色の双眸。彼が、手を伸ばし、動けないフリックの頰に触れる。鋭い爪が肌を滑り、ぞくりと全身が泡立つような怖気おぞけに襲われた。

 頭の芯がしびれるような拘束感。彼の両眼から視線を外せないまま、意識のどこかが確信する。白き賢者は、――吸血鬼ヴァンパイアの部族だ。


「どんな無謀にも、理由があると同じく。どんな決意にも、理由はあるものだ。フリック=ロップ」


 彼はそう言って艶然えんぜんと笑い、手を離す。途端、一気に身体の自由が戻って立っていられず、フリックはその場に膝をついてしまった。

 全身がひどく震えてる。


「……あんたは、ルベルちゃんの味方かよ……?」


 笑おうとしてできなかった。片手を地面について身体を支え、顔だけ上げて白い魔族ジェマを睨みつける。

 声が震えているのは極度の緊張かそれとも恐怖か……判らない。


「さあ。どうだろうな」


 白い魔族ジェマは薄く笑み、片膝をついて、立てない彼と視線を合わせた。


「ナーウェアはやはり、勘が鋭い種族だな。捕らえて喰うつもりはないから、怯えることもない。仮にも末姫リンドの客人を傷物にしては、後々面倒だ」

「くう、って」


 眉ひとつ動かさずさらりと言われ、心臓が凍るような感覚を覚える。それを真正面で眺めながら、カミルは楽しげに口元をゆるめ囁いた。


「熊や狼ではさすがの私も扱いづらいが。小動物は嫌いではない。使い魔ファミリアになるか?」

「――へ?」


 一瞬思考が真っ白になる。対象を意のままに扱う使役魔法、魔族ジェマが使う魔法に確かそんなものがあったが。


「ならねー――!」

「く、ははは」


 気力を振り絞って叫んだら、目の前で声を上げ大笑いされた。悔しくなり唇を噛んで睨みつければ、彼は楽しげな顔で手を伸ばしフリックの頭を押さえるようになでて、言った。


「そう怒るな、冗談だ」

「たっ……タチ悪いなっ……大賢者サマのクセに……っ」


 カミルの双眸が上機嫌なふうに細められる。


「だから言ったろう。ここに棲息せいそくしているのは皆、曲者くせものばかりだと」

「言った本人が、相当の曲者とお見受けしますがっ?」

「いや。私など中の下だな」


 疑わしげな主張を臆面もなく言い切ると、彼は衣のすそさばいて立ち上がった。


「普段なら、日付が変わる頃には帰るのだが。おまえたちのいる期間は書庫にみ着くことにした。気が向いたら来るがいい」


 いつもなら、とぼけた生返事で誤魔化すところだが。――フリックは、眉を寄せ瞳をすがめて、うなるように問いかける。


「お宝の地図が、そこに隠されてるってことですかぃ?」


 まっすぐ立ち、カミルはフリックを見下ろして薄く笑む。そして何も言わずきびすを返して歩き去ってしまった。

 残されたフリックは、なまりのように重い自分の身体を無理やり立ち上がらせる。ともかく一旦いったん、客間へ戻った方が良さそうだ。




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