4-4 交渉の手がかりは


 モノトーンで統一された調度品と、靴が沈み込むほど厚みのある絨毯じゅうたん

 紅茶とお菓子を出して、女中はにこりと微笑みソファを勧めた。

 促されるままに腰を下ろし、セロアはカップを取って口に運ぶ。ふわりただよう不思議な香りが、鮮やかな清涼感を残して湯気に溶けてゆく。


 ある程度予想していたことだが、ティスティルの王城内は芸術性の高い意匠が各所に施してある。それは国主の人柄と国の豊かさを反映しているのだろう。

 無意識のうちに紅茶の香りからその種類を分析しつつ、物思いにふけっていたら、扉が静かに開けられた。


「お待たせしてしまいましたわ」


 入って来たのは黒髪の女性。成人に満たないほんの少女だが、彼女こそがこの大帝国の女王であり、通称を黒曜姫こくようひめと呼ばれている。

 セロアは顔を上げカップを置くと、立ち上がって彼女の前に片膝をつき頭を垂れた。


「急な謁見えっけんにもかかわらずお時間を割いてくださり、改めて感謝申し上げます。私の名はセロア=フォンルージュ、以前に貴国の魔法学園にてお世話いただいた者です。あの節は、本当にありがとうございました」

「ええ、覚えておりますわ、お元気そうで何よりですのよ。あまり硬く構えないでくださいませ。わたくしもソファに掛けさせていただきますわね」


 彼女はそう応じてふんわり笑う。

 セロアも顔を上げ、穏やかに笑んで彼女を見返した。

 黒曜がドレスのすそさばいてソファに座るのを見届けてから、立ち上がり自分も向かいに腰を下ろす。


「この紅茶はとても良い香りがしますね。もしかして、白の山脈で年に数日だけ咲くという、白露樹はくろじゅの花弁が原料ですか?」


 学者の本能でつい、気になっていたことが口から出た。

 黒曜は嬉しそうに微笑む。


「よくご存知ですのね。羽毛みたいなあの花が、わたくしとても愛しくて。散って土に還るのは花として本望なのでしょうけれど、せっかくの想い出ですもの。香りを少しだけ分けていただきたいと我侭わがままを言って、落ちた花びらを持ち帰って来ましたの」

「そうなんですか。確かに心の休まる香りですね。黒曜姫様にこれほど心を込めて作ってもらえるのなら、きっと樹霊リーフィも喜んでくれるのではないでしょうか」


 表情をゆるませ穏やかに言われたその言葉に黒曜は、唇に指を当てて首を傾げる。


「あら。どうしてわたくしが造ったのだとお判りになりましたの?」

「なぜでしょう、そんな気がしたんです。きっと黒曜姫様が、本当に愛しそうに仰るからでしょうね」


 セロアはそう言って一息を置き、改めて黒曜の紫水晶アメジストの双眸をまっすぐ見た。


「黒曜姫様、無理を承知でおうかがい致します。他国の一個人のため、バイファル島への旅渡券をティスティル王宮の証印にて発行する事は、可能でしょうか?」

「無理と存じてらっしゃるのでしたら、話は早いですわ。申し訳ありませんけれど、お断りさせてくださいませ」


 ふんわり微笑んで黒曜が言った。

 セロアは黙って残っている紅茶を飲み干すと、カップを置いて、深く息をつく。


「……申し訳ないと仰られるのは、黒曜姫様個人としてならば事情を酌量しゃくりょうしたいという気持ちであられる、と期待を抱いても宜しいでしょうか」

「わたくし、そんなに慈しみ深くありませんわよ?」


 彼女はくすりと笑み、首を傾げるように賢者を見た。


「わたくしの在位中に監獄島への扉を開くつもりは、全くありませんの。自国に関わることでもそう決めていますもの、まして他国民のため利便を図る必要性など皆無ですわ。ご自身の国のことはご自身の国で解決くださいな」

「ええ、仰る通りと理解しております」


 セロアは顔を上げ、彼女の視線を受け止める。

 少女のようでいて不思議に大人びたその表情から、何かの感情を読み取ることはできなかったが、彼もまた動じる様子はない。


「その上でなおも。あえて、そのご意志と通例を曲げて頂きたいと申し上げたなら、黒曜姫様はその事情を聴いてみたいと思われますか?」

「いいえ、思いませんわ」


 穏やかで緊迫した空気が流れる。

 二人とも黙ったまま、互いの顔をまっすぐ見ていた。永遠にも一瞬にも思える静寂の中、時計の針の音だけが続いている。

 賢者の口元が、笑みの形にゆるめられた。


「それでは、黒曜姫様。しばらくの間私たちがこの城に滞在し、しつこく説得を試みることは、許してくださいますか?」


 幼顔おさながおの女王はふんわりと微笑む。


「時間の無駄ですわよ? それでも、あなたがたの滞在中はリンドもここに留まるでしょうから……気が済むまで過ごしていただいて宜しくてよ」

「ありがとうございます」


 彼はそう言うと立ち上がり、彼女の前に再び片膝をついて、深く頭を下げた。


「感謝致します、黒曜姫様。お目通りが叶っただけでも感謝すべき事なのに、厚かましい物言い本当に申し訳ありません。……今日はこれで引き下がりますので、退室させて頂いても宜しいですか?」

「ええ、構いませんわ。ぜひ、ここでの滞在を堪能たんのうしてくださいませね」

「ありがとうございます。では、失礼致します」


 セロアは立ち上がり、再度深く礼をすると静かに応接間を出た。扉を閉じた後に、ため息ともつかぬ深い息を吐き出す。

 そして、はじめに通された客間へと足早に戻って行った。



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