3-4 ティスティル帝国へ


 不躾ぶしつけとも言える唐突とうとつな問いに、しん、と空気が張り詰めた。リンドはサファイアの双眸を一度瞬かせ、賢者を見上げる。


「なぜだ? おまえたちは陛下に用事があるのか?」


 セロアは怯む様子もなく、リンドを見返し頷いた。


「ええ、お会いしてお願いしたい事があるんですよ。でも、いきなり謁見させてください……って頼み込むわけにもいきませんし。誰か紹介状を書いて下さりそうな身分の高い方をご存知でしたら、紹介していただけないかと思いまして」


 彼は何かの手掛かりをつかんだのだろうか。不安そうにやり取りを見ているルベルに頭に手を乗せたまま、穏やかに言葉を続ける。

 リンドは素直にそれを聞き、不思議そうに首を傾げた。


「何かわけありのように見受けるのだが、理由を聞いても構わないか?」

「いいですか? ルベルちゃん」


 少女はこく、と頷いた。瞳の大きなあかね色の両眼が、決意を映してリンドを見あげる。


「ルベルはパパに逢いに、監獄島へ行くんです。それには王さまに旅渡券を発行してもらわなくちゃいけなくて、なのにライヴァン王宮では発行の魔法が壊れちゃってるから、ルベルはティスティルの女王さまにお願いに行くんです」

「バイファル島……? 一体なぜ」


 リンドの声がわずかにかすれた。その反応に、ゼオが怪訝けげんそうに眉を寄せている。


「お仕事で行って、帰ってこれなくなっちゃいました。でも流刑じゃないです! だから、……パパが帰れないなら、ルベルが逢いに行くんです」


 大きな双眸が一瞬泣き出しそうに潤む。でも、ルベルは泣かなかった。


「ティスティルの女王さまがダメって言うなら、次はお隣のシーセス国に行きます。そこでもダメなら、その隣に行きます。そうやって、いいって言ってくれる国を探します! 世界をひとめぐりしてもダメだったら、炎の王さまにお願いに行きます。炎の王さまでダメなら……」

「分かった、もういいから」


 幼い少女の圧倒されるような決意に、リンドは衝撃を受けたようだった。

 震える声でそう応じると、腕を回しルベルをぎゅっと抱きしめる。深蒼の両眼に溜まった雫が、瞬いた拍子に零れて落ちた。


「そういう事情なら私に任せてくれ。何なら、今すぐティスティルまで連れて行くこともできるが、それでは急過ぎるか?」

「……え?」


 きょとんと聞き返したルベルに、リンドは涙の跡もそのままに笑顔で言った。


「これでもそれなりに修練は積んでいるから、転移魔法テレポートを使うことはできる。それで即、ティスティル王宮まで連れて行くことも可能だ、と言ったのだ。無論準備もあろうから、すぐにと言うわけには行くまいが……どうだ?」

「え、えぇっマジで姫ちゃんって王宮関係者だったとか!?」


 それまで黙っていたフリックが驚きのあまりに声を上げ、ゼオがいきなり、あ、と呟いた。


「道理で初対面ッて気がしねーワケだ」

「虎のお兄ちゃんも、王宮関係者なの?」


 アルエスに問われてゼオはうぬぅー、とうめき声みたいな声を漏らす。


「知った顔があるだけで関係者じゃねーケド、その辺ちょいびみょ」


 ゼオは困惑しているようだったが、ルベルは食い入るようにリンドを見つめ、言った。


「今すぐでも全然オッケーです!」

「ルベルちゃん気が早いですね……」


 至ってマイペースなセロアを、リンドは真剣な目で見上げる。


「善は急げと言うからな! それじゃ早速行こうか!」

「おーい待て待てマテ! ちったァ落ち着けっ!!」


 まさに、次の瞬間には消えてしまいかねない二人の勢いに慌てたのだろう、ゼオがルベルの襟首をつかんだ。ルベルは短槍でゼオを叩いて抗議する。


「もぅっゼオくんは後で来てくださいッ!」

「うん? ゼオは後でいいのか? それじゃ二人を連れて行けばいいのか?」


 真に受けるリンドをさりげなく押さえるように、セロアが彼女の頭に手を置いた。


「相互理解は大切……ですよね?」

「確かに大切だな、って、済まない。まだ名を聞いていなかったようだ」


 賢者はくすりと笑み、ゼオと、ゼオに抱え上げられてしまったルベルを手で示しながら、軽く身を屈める。


「私は、セロア=フォンルージュといいます。堅苦しいことは無しでセロアと呼んでいただいて構いません。彼女はルベル、事情はさっき本人が話した通りです。灼虎のゼオは守護のため彼女の後見人が遣わした精霊です。ルウィーニという名はご存知でしょうか?」


 リンドは言葉にしては答えなかったが、セロアは彼女の目に肯定の意を読み取って話を続ける。


「本来なら、正式な外交上の手続きをもってお願いすべきとは承知しているのですが。実は、彼女の父親のバイファル残留については、公式記録では伏事らしく、王宮を通すと逆に面倒な事になってしまうのですよ。厚かましい願いだと承知の上ですが、ルウィーニ氏とライヴァン帝国の名に賭けて女王陛下に害をなすような事は決して致しませんので、せめて謁見だけでも叶えていただけませんか」


 リンドはじっと彼の目を見て聞いていたが、やがて強く頷き言った。


「了承した。本来は、部外者をいきなり王宮内に入れるのは許される事ではないが、私が仲介をして話を繋いでも混乱するだけに思う。ひとまず私の友人として城内に招くので、連絡の行き違いで失礼などがあった場合は許してくれ」

「はい、解りました」


 セロアは頷き、ルベルに説明を加えて言った。


「不審者と思われる可能性もありますから、ルベルちゃんはゼオから離れないでくださいね」

「はい」

「うあ、イキナリど真ん中なのかよー……」


 性質的に偽りを語ることができない精霊は、ある意味、最も信頼の置ける身分証明になる。加えてゼオは、ティスティル帝国の要人と面識があるようだから尚のこと、だ。

 ゼオは不満そうだが、ルベルは素直に頷いて灼虎の腕をぎゅっと掴んだ。……と、黙って様子を見ていたアルエスがおずおずと言った。


「あっあの、リンドさん。ティスティルのお城に……ええと、魔族ジェマじゃなくとも訪ねてみることってできるのかな? た、例えばっ、リンドさんの友人として……とかっ」


 リンドがきょとんとアルエスを見返す。鱗族シェルクの少女はうつむき加減でそわそわしつつ、小声で言葉を続けた。


「実は……ボク、魔族ジェマってずっと怖いイメージがあってっ、……魔族ジェマの国はまだ行けてなくて。でも、リンドちゃん見てたら、……ティスティルなら行ってみたいかなって、思えちゃって。それで、もしその時はまた、リンドちゃんに会いたいなってっ」


 段々と声が小さくなって、最後には誤魔化すようにえへへと笑いながら、でも迷惑だよねー……と呟いた。リンドはそのアルエスの手を取って、全開の笑顔で答える。


「迷惑なんてことはない、私も鱗族シェルクの友達は初めてだ! せっかくの縁じゃないか、アルエスも一緒に来たらいい」

「え、ええっイイの?」


 アルエスは、このまま別れがたかったというのもあるのだろう。

 その気持ちが何となく分かったフリックは、少女二人の顔に浮かぶ喜色きしょくを確かめ、安堵と寂しさが入り混じった複雑な気分に陥っていた。


「そっかー、じゃみんなはこれからティスティル王城ツアー、ってカンジ? 気をつけて行くんだぜー、オレはそれじゃまたお宝探しとか行こうかなっ」


 心中を寂しさが占めていてもそれを気取られたくはない。心配させたくない気持ちから極力明るく笑いながら、両手を振って言ったら、誰より先にゼオがそれに反応した。


「ウサギも来ィや、道連れだ」

「……へっ?」


 いきなり襟首を掴まれたフリックも目が点だが、ルベルとセロアも驚いてゼオを見やる。リンドが困惑した風で言った。


「言いにくいのだが……、私の魔法力では自分含めて四、五人を転移させるのがやっと、なのだが」

「ああ、問題ねーさ。お嬢ちょっと下ろすぜ」


 じいっと見守るルベルをセロアの隣に立たせ、ゼオはリンドを見下ろす。


「オレは頭数に入れねーでいい。ッてか、魔法力補助は任せておけ。今から変幻する剣はリンド、お前が持てな」

「剣……? ゼオは剣になれるのか?」


 口にされた疑問の答えは目の前で起きた。ゆらりと陽炎のように空気が歪み、ゼオの姿が一瞬消え、次の瞬間には柄と鞘に不思議な意匠が施された剣が現れた。

 リンドはそれを空中でつかみ取ってしげしげと眺める。


「魔法剣……のようだな。ここで鞘から抜いたらまずいだろうか」

「管理官の方が驚くかもしれませんね」


 セロアに言われて思わず窓口を振り向き見たが、彼は相変わらず黙々と仕事をしているようだ。


「フリックさんは一緒に来ても構わないんですか?」


 急展開に呆気あっけにとられたままのフリックに、賢者は静かに尋ねかける。フリックはあははーと変な笑いで答えた。


「まぁ、定職に就いてる身でもないしその日暮らしだし……家族もないから構わないぜー……、てーか、ついてって迷惑じゃね?」


 なぜこんな事になったのか、フリックにはよく分からない。通りすがりで見ず知らずな上に無関係な自分が、首を突っ込んでいい事情ではない気がするのだが。

 しかしルベルは意外にも、真剣な表情で彼を見上げ断言した。


「ルベルは迷惑じゃないですっ。そのままバイファルまで一緒してもオッケーなんです」

「バイファルまででもオッケーなんですか?」


 つい、聞き返してしまったセロアに、少女はきらきらした笑顔を向ける。


「はい! だって、オトコ手はいくらあっても足りないくらいですもん」


 ……それは、つまり。


「まさかルベルちゃん、……力ずくでお父さんを連れ戻す気じゃ、ないですよね」


 セロアの呟きに、少女は何も言わずにこにこ笑って彼を見上げた。




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