2-3 それはきっと友情のはじまり


 アンラッキーなウサギはベッドの上で目が覚めた。

 慌てて飛び起き見回すと、ジャケットと靴は脱がされて、ポーチや荷物と一緒にベッドの横に置いてある。


「ぁ、あれー……?」


 とりあえず、勢い良くぶつかった頭はもう痛くはない。ほんのかすかに森の泉みたいな残り香がした。魔法かな、と考える。

 実のところ、相当にヤバかった。頭だけでなく内臓も壊れるんじゃないかと思ったくらい、ヤバかった。元々そんなに丈夫にはできていないのだから、本気で勘弁して欲しい。

 ――と。


「おうウサギ、目え覚めたか?」


 腹の底に響く声。……店のオヤジだ。聞き慣れたはずのこの声に危機感を感じるところ、命の危険を本能が覚え込んでしまったか。

 とか、くだらないことをぼんやり思考していたら、主人の後ろから少女がひょこりと顔を出した。淡い水色髪の、アルエスと言う名の鱗族シェルク。どうやら怪我はないようだ。

 よかった、と胸をなでおろす。


「ウサギお兄さん、大丈夫っ?」

「うぃさ、大丈夫だぜーっ。イタかったけどなー、ははっ」


 軽い感じでそう笑い飛ばせば、アルエスはぷうっと怒った風に頬を膨らませた。


「笑いゴトじゃないよっ! 心配したんだからねー!」

「あは、ごめんごめん、でもホント大丈夫ー! がっつりぐっすり昼寝もしたから、前より調子いいみたいだぜっ」

「そりゃなによりだ。元気になったなら下に来ィや。姫様が待ってるぜ」

「……へ?」


 台詞の意味が分からず間抜けた顔でオヤジを見たら、アルエスがふふっと笑った。


「リンドさんが、お礼に何かおごるって言ってるんだよーっ」

「え、なんでっ?」

「うん、危ないところ助けられたからだってっ。いいから早く降りてきてねー!」


 明るくそう言って、アルエスは先に行ってしまった。

 リンドというのは先ほどの魔族ジェマの娘っ子だろうか。アルエスのトラウマを心配していたフリックは、元気な様子に安堵あんどのため息をついた。

 アンラッキーなくせに、いつでも他人のことが気にかかる。自分のことも満足にやりくりできないけれど、これは性分だから仕方がない。

 フリックは急いでジャケットを着て靴を履くと、アルエスを追って階下に降りて行った。





「やっと目が覚めたか! 良かった、よほど打ち所が悪かったのかとアルエスと一緒に心配していたんだぞ! さあおまえもここに座ってくれっ」


 魔族ジェマの娘っ子――リンドが、降りて来たフリックを目敏めざとく見つけて大声を上げたので、その場にいた客たちの注目を集める形になってしまい、戸惑とまどいながら席に着く。

 なぜ自分が寝ている間に、こんな大事おおごとになってしまったのだろう?

 疑問冷めやらぬままに、リンドが立ち上がってメニューを開き、フリックに差し出した。


「フリックと言ったか? 私はジークリンド、リンドと呼んでくれて構わない。さっきは危ない所を助けてくれて感謝する! その上女性をかばって怪我をするなど、なんて男気おとこぎがあるのだろうと感心していたのだ。さあ、酒でもディナーでも何でもおごるから好きなものを選んでくれっ」

「あ、はははっ……、いや別にそんな、偶然だと思うぜー……」


 細い全身にみなぎる迫力に押され、否定のつもりで両手を振ったら、それをがっしりと握られた。


「しかもそれを押しつけない謙虚さが、ますます素晴らしいと思うぞ! いいんだ、私が感謝したいのだから受け取ってくれ」

「は、ははっ……」


 ちょっと本気で困りつつ、助けを求めて主人を見たら、笑いを堪えてそっぽを向いている。……面白がられている。

 脳内でガーンと効果音を鳴らしつつショックを受けていると、アルエスがリンドの隣で照れたように微笑んだ。


「でもさ、ホントお兄さんには感謝だよーっ。お兄さんに逢ってなかったらボク今頃、途方にくれてたかも? もう、ホント、ありがとねっ!」


 何かを吹っ切ったような、晴れ晴れとした笑顔だ。

 心配性なウサギはそれを見て、心底安心して泣きそうになる。


「まあ、おまえら三人には礼と詫び兼ねて夕食と一泊の宿おごってやるから、騒いでねえでさっさと選べや」

「それは幾らなんでも申し訳ない! 御主人、売上のことだってあるだろう?」


 主人は余程面白かったのかそれとも言葉通りなのか、随分と気前のいいことを申し出てくれた。リンドの困ったような返答に、にんまり笑って親指を立てる。


おごってやるって言ってんだから、ガキどもが細けえこと気にするんじゃねえ。まあこれも、ウチからのささやかなもてなしってヤツよ」

「わあぃ! じゃ、ボクはキノコシチューにしようかなっ」


 アルエスは素直に喜んで、嬉しそうにメニューを開く。これもいいな、あれもいいなと楽しげに選ぶ様子を見て、リンドは何か大いに納得した様子で頷いた。


「そうか、好意は素直に受け取るべきだよな! それでは私は、この『リザードピラフ』に挑戦してみるかな……」

「えぇっ、ホントいいのかよーっ?」


 見上げたオヤジはいつにもまして後光が差してる気がした。いや、気のせいか。

 少女二人はいつの間にか意気投合したのだろう。わいわいとメニューを指差し楽しげに喋っている。フリックにとって、こんな賑やかな夕飯など実に数年ぶりだ。だから少し慣れなくて、落ち着かない。……が。


「あはっ、たまにはいいよなー、こういうのもっ。あはははっ、はは……っ」


 懐かしさに近い感傷が不意にせり上がり、フリックは無性に嬉しくなってきて。何もおかしなことがあるわけではないのに、なんだかずっと、笑い続けていた。




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