[5-4]あなたの隣にいたいから


 宝石のように平坦へいたんだった黒い瞳が、驚いたように深みを増す。二、三度、落ち着きなく瞬きを繰り返し、アルティメットは桜色の唇を震わせて言った。


「ギアが、王子? じゃあ、ギアはお祭りが終わったら……西大陸に帰るの?」


 不安にさせただろうか。愛するという言葉の重さをわかっていない、と思わせてしまっただろうか。

 彼女の内心は見えないけれど、伝えたいことの本当はこの先にある。


「言っただろ、俺はこの先も、ギア以外を名乗るつもりはないぜ。ただ、俺が何もかも投げっ放しで出奔しゅっぽんしてしまったから、兄が――王太子が、俺を捜すための手配書を各地に送ったらしいんだ。俺は、それを取り下げてもらうため、ライヴァンの依頼が終わったら一度ジフォード国へ戻ろうと思ってる」


 本当は、二度と踏むつもりのない故郷だった。当時は若く勢い任せだったとはいえ、第二王子の出奔が家族と国家にどれだけの衝撃と迷惑をもたらしたかは、理解している。自ら捨てた場所を懐かしむ資格などないと、ずっと考えていた。

 自分が大きな思い違いをしていると突きつけられたのは、ライヴァン王城でロッシェに手配書を見せられた時だ。


 ギアにとっては割り切って終わった過去でも、故国と家族にとっては、まだ終わっていないのだと。

 兄が弟を捜す心理が心配なのか憤りなのかそれ以外なのかを、今のギアが推し測ることはできない。だがどこかで決着をつけなければ、捨てきれないしがらみがこの先もずっと纏いつくのだと。

 自分だけでなく、いずれ家族になる人をも巻き込んで。


「……一人で、いくの?」

「ああ。向こうがどういう意図で俺を捜しているのかわからない以上、おまえを危険にさらせない。ライヴァンの国王には話をつけてあるから、アルトは王城ここで俺の帰りを待ってて欲しいんだ。――必ず、戻るから。これは、その誓いも込めた婚約指輪だ」


 重ねた指をそっと離す。

 本当なら、箱を開けて彼女の指に指輪をはめるべきところだろう。けれどもそれをしてしまったら、彼女に待つことを強要するようで、ギアは踏み切れなかった。

 アルティメットの細い指が小箱に触れ、遠慮がちに握った――と思った次の瞬間、彼女はギアの手にそれを押しつけた。


「いやよ」

「えっ……ああ、そっか」


 拒否された。三分の一くらいは覚悟していたが、ショックは想像以上に大きかった。

 ブラックアウトのような目眩を総動員した意志力で抑えつける。彼女が、いやだというのなら、潔くあきらめるべき――だろうか?


「ギア」


 凪いだ水面を走る風の音。彼女の静かで穏やかな声は夜の風を連想させる。熱くなりがちで衝動的な自分の心をなだめてくれる、優しげな囁き。


「私は……もう、待つだけなんて嫌だわ」

「そう、だよな……。五年の間に、決着つけとけって感じだよ、な」

「違うの。ギア、私も、連れていって」

「――――ぇ」


 言葉になりきれなかった息が落ちる。アルティメットが身を乗りだし、小箱を握るギアの左手に両手をかぶせた。


「私も一緒に行くわ。その指輪は、あなたが『決着』をつけたときに、あなたの手で私の指にはめてください。……私は、ギアの一番近くに立って、どんな時でも支えたいの」


 思わぬ申し出に、いくつもの言葉が浮かんでちぎれて消えてゆく。

 手配書、賞金首。もしかしたら故国では罪人として扱われるかもしれないのだ。場合によっては力尽くで、全部を斬り捨て逃亡することになるのかもしれない、と。

 何もかもが不透明な危険をはらんだまま、愛しい人を連れていけるわけがない。


「アルト、……俺はおまえを、危険な目にわせるのは、絶対に、死んでも嫌だ」

「……そう、奇遇だわ。私も今、まったく同じ気持ちなの」


 ふふ、とあでやかに微笑んで、アルティメットはギアの両手を包み込み、握りしめた。滑らかな指から伝わる体温がギアの指先から伝わって、身体の中に溶けてゆく。まるで心が溶けあうような錯覚をおぼえる。

 彼女なら、信じて待つより並び立つことを選ぶはずだと……最初から、知っていたような気がする。

 想いを寄せる相手のため、格上の暗殺者アサシンにさえ挑むような女性なのだ。


「わかった。じゃ、……仕切り直すよ。アルティメット」

「はい」


 窓の外で、極彩色ごくさいしきの光が踊る。きらめく光のかけらがアルティメットの黒い瞳に映り込み、彼女を見つめるギア自身を浮かびあがらせる。

 彼女はとっくに自分のすべてを受けいれる覚悟を決めていたのだと、今さらながらに実感した。


「俺は祭りが終わってから、ジフォード王国に行って手配書を取り下げてもらい、第二王子としての権利と責任をすべて抹消してもらう。そうして、本当にただの『ギア=ザズクイート』になって、おまえと結婚したい。……俺の決着に、つきあってくれるか? アルト」

「はい。あなたについていくわ。ギア」


 控えめで静かな、けれど迷いのない声が、はっきりと答えを返す。微笑む彼女の姿がぶわりとぼやけた。目の奥が熱くなり、喉にかたまりのような息が込みあげてくる。


「……ありがとう、アルト」


 絞り出すようにそれだけ言ったら、ばたばたと涙が落ちた。心配そうに眉を寄せ見あげるアルティメットが愛おしくて、どうしようもなくなって、席を立つ。つられるように立ちあがった彼女の隣までいき、重ねた手を解いて翼ごとその身体を抱きしめた。


「私も、あなたと一緒がいいわ……ギア」

「ずっとずっと、俺の隣にいてくれ、アルト」


 終わりに近づいた花火が暖色の輝きを夜空にともし、やわらかな曲調に変じた音楽が二人を包み込む。

 ここが城のディナールームだということも忘れて、ギアはアルティメットの髪にそっと口づけを落とし、たおやかな身体を優しく自分の胸に埋めた。


 封を切られずテーブルに置かれた小箱は、今は沈黙を保ったまま。

 いずれ来る誓いの時を静かに待つのだろう。




 ***




 フェトゥース国王は会場の中央に近い席で、一人ぼんやりと窓の外を彩る花火を眺めていた。窓際を避けるのは言うまでもなく、安全のためだ。

 室内の照明と音楽が情緒あふれるムードをかもしてはいるのだが、狂王を討ち果たしてからの事後処理、関係各署との調整、祭りの準備……と多忙を極めすぎて、今夜はもう踊る気力など残っていない。


 窓際の特等席では、正装に着飾ったギアとアルティメットが仲睦まじく花火を鑑賞している。ドレーヌは騎士らしく男装の宮廷服を着こなしているし、インディアは藍色に紅輝石を散りばめたドレスをまとって、モニカやエリオーネと料理巡りをしているようだ。ルインはここでもやはり御令嬢方に囲まれていた。

 インディアをダンスに誘いたい気持ちはあったが、楽しそうに女子会をしているところへ声を掛けるのも気が引ける。

 かといって別の誰か、という気にもなれず、こんな時にロッシェがいてくれたらと思いながら、フェトゥースはワイングラスに映った自分の顔を見た。紅く染まったガラス面には、つまらなそうな表情の若い男が映っている。


「国王陛下、ずいぶんとお疲れのようだけど、大丈夫かい?」


 つまらなそうな男の後ろに映り込んだのは、大柄な男性の姿だった。顔を上げて振り向けば、ルウィーニが隣に若い女性をともなって立っていた。

 ふわふわと波うつ金髪は肩につかない程度のボブカット。色素の薄い白肌に金色の目。子猫を思わせる愛らしい容姿は、フェトゥースの知る貴族令嬢の誰でもない。

 一瞬、言葉に詰まったが、瞬きで誤魔化してから笑顔を作る。万が一にも他国の御令嬢だったりしたら、下手な応対をすればルウィーニに恥をかかせてしまう。


「少し……花火に見惚みとれていただけだよ。僕のことは、心配ない。ところで、そちらのお嬢さんは?」


 作り笑いの精度も朗らかそうな声の調子も完璧だったはずなのに、尋ねた途端、御令嬢は白く綺麗な手で口元を覆いくすくすと笑いだした。

 どういうことかと戸惑ってルウィーニを見あげれば、彼は楽しげに髭面ひげづらを綻ばせている。


「紹介するよ、国王陛下。こちらはエティアローゼ、俺の最愛の奥さんだ」

「はじめまして、フェトゥース国王さま。わたしのことはエティアと呼んでくださいね。ふふ、わたし、元精霊なので、取り繕っても無駄よ? だから気にせず、ありのままでよろしくね!」


 ずい、と近づかれ、ぐっと手を握られた。他人の奥方に触れるなどいろいろ不味い気がして思わず身を引くが、彼女は気にした様子もない。


「よろしく、お願いします。エティア殿、ええと……お帰りなさい、でいいのでしょうか」

「やだぁ、王様なのに敬語! うふふ、ねぇルゥイ、今度の王様はずいぶん可愛らしいじゃないの!」


 ぶんぶん、と振り回すように握手して、小鳥が身をひるがえすようにルウィーニの側へと戻る。その気軽さと身軽さに、フェトゥースは言葉を失い固まっていた。

 夫婦というより親子のような歳差に見えるのは、彼女が元精霊だからだろうか。


「エティア、陛下をあまりびっくりさせてはいけないよ。と、こういうわけで彼女も無事に戻ってきたことだし、安心していいよ、陛下」

「ええ、本当に、ご無事でよかった」

「じゃあね、国王さま! さあ、ルゥイ、あちらのカクテルをもらいに行きましょ!」


 きゃいきゃいと少女のようにはしゃぐ奥方に連れられて、ルウィーニが手を振りながら離れてゆく。本来なら罵倒されても仕方ないような関係性なのに、まったく恨んでいないエティアローゼを見て、フェトゥースは心が少し軽くなった。

 息子であるラディンも、奥方も、ルウィーニがこれから自分に力を貸すことを快く了承してくれている。その期待と寛容にこたえたい、と思う。


「フェトゥース国王陛下、ご無沙汰しておりました」

「……うん?」


 ワイングラスに映る表情が少し明るくなった自分の後ろに、黒っぽい影が映り込んだ。視線を傾けてみれば、久しぶりに見る姿がそこにあった。


「帝星祭前日というギリギリの滑り込み、誠に申し訳ございません。僕自身の技能スキル面でもできることは多くありませんが、城内スタッフとして陰謀阻止に協力させていただきたいと思います」

「シャーリィ君……? 用事は、無事済んだのかい?」


 黒と紺のシックな礼服に着替えたシャーリーアだ。一週間ほど前に城を出た時の鬱々うつうつした様子とはうって変わって、晴れ晴れとした表情に見える。

 彼は確か、用事があると言って別行動をしていたはずだ。


「はい。伝手とコネを総動員して、一応は納得いく形に収めましたので……今後は全力を尽くし、ライヴァン帝国の陰謀阻止のため働かせていただく所存です。よろしくお願いいたします」


 人形のように綺麗な顔立ち、耳触りのよい優しげな声。長くとがった特有の耳を見て、やはり妖精族セイエスは妖精のような雰囲気なのだなと実感した。

 そういえば、彼がここに運び込まれた時は瀕死だったし、快復する前に手紙を残して失踪したため、こんなふうに相対して話す機会はなかったな、と考える。


「ありがとう、シャーリィ君。そう言ってもらえると、心強い」

「ライヴァン帝国……フェトゥース国王陛下は、僕にとっては命の恩人ですので」


 恩人、と思ってもらえるほどの恩を与えただろうか。自分は彼を受け入れたという事実を盾にして、抱えていた厄介事を彼らの仲間に押しつけようとした。どうかしていた――と、恥ずかしさが胸を打つ。

 彼が療養する場所を一時的に貸与したくらいで、実際はほとんど何もしてあげられなかったというのに。


「……よかったら、僕に付き合ってくれないかな。一人で暇を持て余してたんだ。もちろん、予定があるなら断ってくれて構わないから」


 狂王との決戦前夜、ルウィーニに鋭い質問を投げかけていたのを覚えている。賢者を目指しているという彼とゆっくり話してみたいと思ったのだが、何やら妙な誘い方になってしまった気もしなくはない。

 シャーリーアは一瞬、虚をつかれたように目を丸くしたが、すぐに表情を取り直し、微笑んで言った。


「もちろん、光栄です。国王陛下、僕でよろしければ……話し相手を務めさせていただきます」

「よかった。何せ、僕みたいな王宮引きこもりだと、他種族の、それも妖精族セイエスの人に話を聞ける機会なんて滅多になくってね――」


 それぞれの時間を穏やかに包み込み、祭りの夜は更けてゆく。

 フェトゥースにとっても冒険者の面々にとっても大きな節目となる帝星祭が、始まろうとしていた。




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