[5-3]過去と向き合い、未来を誓う
ギア=ザズクイートという名は、傭兵稼業用の偽名だ。今ではもう、本名より馴染んでしまった気もするが。
生来の名前は『アークシィーズ=エルフォン=ジークフォード』。出自は、
身分も立場も投げ捨て身体一つで
想いはすれ違い、願いは届かず、一度は離れ離れになってしまった縁だった。
けれど、あの夜あの月下で死を覚悟した自分を助けてくれたのは、想い焦がれ捜し求めていた彼女だった。
願いが星に通じたのか。
精霊たちが導いてくれたのか。
もしそうなら感謝はするが、ギアにとっては偶然だろうと運命だろうと違いはない。今度こそ手を離さず、守り抜く。
愛する恋人としてだけでなく、彼女が望む通りに、背中を預ける
しかしギアは、そのために向き合わねばならない件があるのもわかっていた。
ここに至るまで無視し続けてきたしわ寄せが、ああいう状況を招いたのだ。巻き込むわけにはいかないが、アルティメットをあきらめるつもりも一切ない。
ライヴァン王城では、
彼の才能が
お陰で、警備の主力を三日目のパレードのみに集中させ、他の日は人員を交代しつつ皆で祭りを楽しめる。国王には我慢を強いることになるが、信頼できる興行団を招いたり特別なパーティーを催したりと城内で楽しめる工夫もなされていた。
街は今ごろ前夜祭で盛りあがり、もうすぐ魔法の花火が夜空を彩るだろう。リオネル氏と家族も、ラディンやフォクナーも、街で祭りの夜を楽しんでいるはずだ。
まったく心配していないわけではないが、ギア自身にとっても
濃い青と銀糸をベースにした貴族服。シルクのシャツもフォーマルのスラックスも、城から借りたものではなく、今日のためオーダーメイドした衣装だ。
城付きの理容師に髪をカットしてセットしてもらい、綺麗に磨かれた革靴を履いて身支度を整えたギアは、落ち着かない気分で廊下の壁に寄りかかる。
カチリと戸が開く音がして、サラサラという衣擦れの音が聞こえた。
はっと意識を集中し、姿勢を正して出迎える。着付けのため割り当てられた部屋から女官に伴われ出てきたのは、ラベンダー色のロングドレスに身を包んだアルティメットだった。
全体的に露出は少なく、袖の長い上品なデザインだが、胸元や袖口、裾などに、淡いピンク色のフリルがふんだんにあしらわれている。控えめに縫いつけられたルビーの飾りが、室内の照明を弾いてきらめいていた。
長く
黒い両翼は緊張のためか、縮こまるように畳まれていた。ほんのり乗せられた化粧の効果で、いつもより色づいた頬と唇が愛らしい。
「似合ってるぜ、アルト。すげぇ綺麗だし可愛いよ」
「……もう、……ギア、……恥ずかしい」
ますます頬を朱に染めうつむいてしまった愛しい人の手を、ギアはそっと握って引いた。
「さあ、行こう。甘いワインも美味い料理も、窓際の特等席に予約してあるんだ。おまえが最高の夜を過ごせるように、俺がエスコートするよ」
「……はい。よろしくね、ギア」
照れのせいか、ただでもか細いアルティメットの声がますます小さくなる。それでも、頬を染めはにかみ笑う表情には幸せがにじんでいて、ギアは誇らしい気分になるのだ。
どんな演出がふさわしいかは、ずいぶん悩んだ。
傭兵暮らしを十年送ったとはいえ、王子らしい作法や
けれど――アルティメットがギアに望む姿は、きっと王子様ではない。
肩を並べ道を切り
夢のような夜を過ごしたい。
愛しい女性に自分が選んだドレスを着てもらいたい。
だけれど自分は、そんなシチュエーションに憧れるただの傭兵でありたいと思う。あえて普段のままの口調で話すのは、それが理由だ。
フォーマルな装いに慣れていないアルティメットはヒールの低いパンプスを履いていたが、それでも長いドレスの裾を気にして歩きにくそうだ。
彼女がよろけたりしないようエスコートするのは、ギアの役目。ゆっくり会場へと導いて、窓際に設置されたテーブルと椅子まで案内する。
椅子を引いて促せば、彼女は戸惑いながらも腰掛けて姿勢を正した。
向かい側の席に座り、ギアも背筋を伸ばしてアルティメットと向かい合う。
「改めて……アルト、ありがとうな。俺の誘いを受けてくれて、時間を割いてくれて、俺のために目一杯お
「そんな、だって……っその、私も、びっくりしたけど……嬉しかったし」
室内の照明を映して潤んだように輝く、黒い瞳。肩口に流れ落ちる
城のスタッフが近づいてきて、空のグラスにワインを注ぐ。上品な香りがふわっと場を満たし、流れるゆったりした音楽が耳をくすぐって心を高揚させる。グラスを持ちあげ微笑みかければ、アルティメットもギアに
「俺とアルトのこれからに、星の祝福があるように」
「……星の祝福が、ありますように」
互いのグラスを軽く触れ合わせ、透明な音に重ねて言葉を交わす。口元に運んで香りを楽しみ、口に含む。酸味が少なく甘いワインはアルティメットの好みに合わせたものだ。
スタッフがタイミングよく運んでくれる宮廷料理を味わいながら、どちらからともなく窓の外へ目を向けた。
闇夜を彩る魔法の大輪が弾け、きらめき、溶けるように散ってゆくのを眺める。
「……綺麗ね」
アルティメットは感情表現の控えめな女性で、大声で笑ったり泣いたりしたところを見たことがない。出会って間もなかった頃は、彼女はおとなしく受け身な気質なのだと思っていた。今は彼女が内側に、折れない意志と燃える熱情を秘めているのだと知っている。
自分は彼女の隣に並び立つのにふさわしく
「綺麗だ、アルト。花火もそうだが、俺にとってはおまえが……一番、綺麗だよ」
はっとしたように目を
「もう、……ギアったら」
「ありきたりな言葉になっちまうけど、俺はいつだってそう思ってるんだ。アルト、……改めて、おまえに伝えたい」
歯に衣を着せたことなどない。だから、今夜の誘いを受けたとき、彼女も薄々気がついていただろうと思う。
若さの勢いであれこれ妄想して気持ちが盛りあがっていた五年前とは違い、ギアは自分が投げ捨ててきたものに、この先で向き合わねばならないことも、わかっている。
それでも――想いは変わらないのだ。
顔をあげてまっすぐ見つめ返すアルティメットに、できるだけ真剣な表情を作って、ギアは言った。
「俺は、おまえが好きだ。今だけでなく、これからも……生きていく限りずっと、一緒にいたい。おまえを愛してるんだ、アルティメット」
予想外ではなかっただろう言葉でも、真正面から告白されれば衝撃は大きいはずだ。互いに見つめ合い、沈黙する。ゆるやかな曲調の音楽と、控えめながらも楽しげなざわめきが、二人の間を流れてゆく。
黒い瞳を瞬かせ、アルティメットが恥ずかしそうに微笑んだ。
「……私も。ギア、私もあなたを、愛してます。あなたの命の
深い意味が込められた答えは、ギアの胸を締めつける。
それでもいいと、ギアを選ぶと答えてくれたのだ。
彼女が向けてくれた深い愛に、自分はそれ以上の愛をもって答えられるだろうか。
「おまえも同じ気持ちでいてくれて、すげぇ嬉しいよ、アルト。今日、ここで渡そうと思って、俺は指輪を用意したんだ。……でもその前に、アルトには話しておかなきゃならねぇことがあって」
「……はい」
懐から綺麗に包まれた小箱を取りだし、テーブルの上に置く。手を伸ばし、アルティメットの指先を握り、小箱に乗せて自分の手のひらと重ね合わせた。
「アルト。俺がおまえに伝えてきた名前は『ギア=ザズクイート』だし、これからもそれ以外を名乗るつもりはない。でも実は、俺の本名は『アークシィーズ=エルフォン=ジークフォード』。出自は、
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