[4-2]アップルパイと情報交換


 詰所の中は、入ってすぐが石目調タイルを敷き詰めたフロアになっていて、大きめのローテーブルと長ソファが置いてあった。仕切り板で区分してあり、奥の方に喫茶スペースもあるようだが今は無人。フォクナーが食器棚の前にいる。


「おい、勝手にウロウロするなって」

「まあまあ。二人はそこに掛けて待っていたまえ。紅茶をれてあげよう」


 奥に踏み込みかけたギアをリオネルは制し、ソファを勧めた。ギアは困ったように顔をしかめたが、素直に頷き腰を下ろす。

 ラディンも隣に掛けて、暴走少年の動向を気にしている彼にこそっと耳打ちした。


「あんまりガミガミ言うと、逆に興奮して手がつけられなくなるかもよ?」

「それも、そうなんだが……クソッ、脱走したニワトリを追っかけてる気分だぜ」


 樹海の中や亡者が埋もれた廃墟と違い、この詰所内をウロウロしたところで大した危険はない。ギアの心配もわかるが、ここはリオネルに任せておけば大丈夫じゃないだろうか。

 貴族という身分と年齢を考えれば、フォクナーと同年代くらいの子供がいても不思議はないのだし。

 リオネルは奥の喫茶スペースまで行くと、手を洗ってからヤカンに水を入れて火にかけ、アップルパイの箱を開けて中身を取りだした。棚のほうから飛んできて覗き見るフォクナーに微笑みかけ、流し台を手で示す。


「手を洗って、食器棚にある平皿を四つ出してくれるかな?」

「んー? オッケー! えっと……下にあるのでいい?」

「下の丸皿でいいよ。隣にフォークを立てた缶があるから、それも一緒に」


 大人用の炊事場は子供には少し高いはずだが、踏み台も置いてあるらしい。バシャバシャと手を洗ってから棚を覗き込むフォクナーを横目に見やり、リオネルはダイニングテーブルの上でアップルパイを八つに切り分けた。

 ぼうっと眺めていたギアが流れを察し、慌てたように腰を浮かす。


「いや、ちょっとシャルリエ卿!? それは土産なんで、あんたたちに食べて欲しいっていうか」

「部隊に配るには少ないし、俺一人で食べるには多いよ。祭りが始まるまでは、家族もシルヴァンだしね」


 リオネルはそう言って小さく笑い、木製ラックの上から紅茶の缶とティーセットを下ろして、ポットの中に茶葉を入れた。

 フォクナーがいそいそと並べていく皿に、アップルパイを二切ずつ乗せていく。


「シャルリエ卿はのご家族は、お祭りに合わせて来られるんですか?」


 やっぱり家族がいるようだ。探るつもりではないが流れでラディンは尋ね返す。リオネルは頷き、沸いた湯をポットの中に注ぎながら答えた。


「俺の仕事は本来、シルヴァンの港湾こうわん警備だ。民間との連携に慣れているという理由で抜擢ばってきされただけで、帝都に別宅を持てる身分でもないし、部外者の家族を詰所に住まわせるわけにもな……」

「タイチョーの家族ってヨーヘイじゃないの?」


 フォクナーがごく当然のことを大真面目に質問した。

 妖精族セイエスは国家を作らず村単位で生活するらしいので、身分や組織という概念がいねんに馴染みがないのだろう。というか、真面目に話を聞いているフォクナーというのも珍しい。


「俺の家族は非戦闘員さ。妻は根っからの淑女しゅくじょで戦いとは無縁だし、息子たちはまだ小さいからね。上の子は、たぶん君と一緒くらいだろうな」

「シュクジョ? ふーん、そうなんだ……」

「さ、フォクナー。アップルパイをあっちのテーブルに運んでくれ。君たち二人はそこの洗い場で手を洗うといい。そのあとで名前を教えてもらえるか」


 元気よく返事して、フォクナーは両手で皿を持つと、ギアとラディンのいるテーブルに運んできた。二人も言われたとおり手を洗い、ソファに座り直す。

 リオネルは四人分の紅茶を淹れてローテーブルに並べ、スプーンとフォークと氷砂糖を中央に置いた。向かい側に彼が腰掛けると、フォクナーがやってきて隣にちょこんと座る。恐れ知らずな行為ではあるのだが、リオネルが嬉しそうに見えたからだろう、ギアは何かを言いかけてやめた。

 子供の扱い方に慣れているし、子供の相手が苦にならないタイプだ。フォクナーが大人しくしていてリオネルが嫌でないのなら、任せておいたほうが話もしやすそうだと思う。


「さあ、食べながら話そうか。それで、君たちのことを俺は何と呼べばいい?」

「ラディンです。父も帰還してからの姓はフェールザンを名乗ることに決めたようなので、おれのこともラディン=フェールザンと呼んでください」

「なるほど、よろしくラディン。日を改めて、ルウィーニ様にもご挨拶に伺わないとな」


 ラディンの自己紹介を聞きながら、リオネルは自分のアップルパイを一切れ取ってフォクナーの皿に乗せた。ギアが「あ」と声を漏らしたが、突っ込める隙はない。

 フォクナーが目を輝かせてリオネルを見あげ、彼は微笑んで頷きを返す。既視感を覚えてラディンは苦笑した。部隊長の眼差しは、自分を見る父の目とやはり完全一致している。

 嬉しそうにアップルパイを頬張るフォクナーをしばらく眺めたあとで、リオネルは何事もなかったかのようにこちらを見た。自己紹介の続きを、ということらしい。ギアが隣でこくりと息を飲み込む。


「俺は、ギア。ギア=ザズクィートだ」

「やはり、君が。このたびは俺の留守中にシルヴァンの海賊騒ぎを解決してくれたそうで、感謝している。ありがとう」

「あ、いや。あれは仲間に恵まれたっていうか、なんていうか」


 なるほど、リオネルにはシルヴァンで起きた事件の顛末てんまつも伝わっているわけか。

 不意を打たれてうろたえるギアを観察しつつ、ラディンは時間の流れをざっくりと思い返してみる。


 察するに、商人たちが冒険者を雇い始めたのが一ヶ月ほど前の話だろう。リオネルはその頃もう帝都にばれ任務を与えられていたが、港町の商人家とは連絡を取り合っていたということだ。

 ギアが冒険者側の取りまとめを買ってでていた事情を考えると、傭兵としての「ギア=ザズクイート」の情報も全部シャルリエ卿に通っていると考えられる。それで動揺しているというわけか。


「ボクたち、あのときのカツヤクを認められて国王さまに協力依頼されたんだぜっ、すごいだろー!」

「あの時……って、君も海賊にさらわれたのか?」

「うん? 違うよ、ボクは冒険者だからなっ! 海賊を退治するトツニュウタイだったんだ!」


 無言のリオネルが、とがめるような視線をギアに送っている。若干顔色の悪いギアは乾いた笑いを貼りつけていたが、沈黙に耐えられなくなったのだろう。深くため息をついて、頭をガシガシとかき回した。


「……まぁ、あんたも港町のことは気になってるだろうし、せっかくこうして機会に恵まれたわけだから、海賊襲撃から解決までの流れを話してやるよ。誓って言うが、俺がフォクナーを討伐隊に引き込んだわけじゃねぇぞ」

「うん、ギアは反対してたもんね」


 誘ったのはラディンだが、あの状況で放置するほうが危険だったと思うのだ。フォクナーが家出少年で保護者を伴っていない以上、必然というかやむを得ないというか、なし崩しとも言えるか。

 相手もある程度こちらについて情報を持っているのだし、海賊討伐についてはきっちり話したほうがわだかまりを避けられるだろう。


 とはいえ、一から十まで全部を話していたら時間がいくらあっても足りないので、主要なところだけをつまんで話し、気になるところは質問してもらう形にした。横から口を挟むフォクナーをリオネルがいちいち相手するので、結局はかなり期間がかかってしまったが。

 そうして改めて言葉にしたラディンは、あの時の騒ぎだけでもたくさんの子供たちが巻き込まれていたことに、改めて気づく。

 囚われていたパティロ、さらわれそうになっていたモニカ、バークレイ氏の娘さん、船倉に押し込められていた女性や子供たち……。ニーサスが関わっていたせいもあるとはいえ、もし海賊たちの逃亡を阻止できずに終わっていたらと考えるとぞっとした。


 主要港は近年ずっと、海賊の被害に悩まされていたのだという。

 さらわれた住民を取り返せず、子供を奪われ泣き崩れる親たちの姿を見せつけられ、取り逃した海賊の船が水平線へ消えていくのを見送るしかできない――想像を絶する悔しさを思い知って、ラディンは心臓をつかまれるような気分に陥る。

 リオネルをはじめとした港湾警備の者たちは、ぞっとするような絶望感や無力感をこれまで何度も味わってきたのだ、と思い知った。


「……なるほど。実際、上手く事が運ぶか博打ばくちみたいなものだと商人たちは言っていたが。俺たちや住民たちの祈りが、ようやく精霊に届いたのかもしれないな。改めて、ありがとう。ギア、ラディン」

「いえ、こちらこそ……いつもシルヴァンの治安のため心を砕いてくださり、ありがとうございます」

「俺は本当に、たいしたことはしてねぇよ。で、そういう流れでルウィーニ様からこれを、紹介状を預かってきたんだ」


 ギアが、ようやく本題を切りだした。綺麗に巻かれ封をされた手紙をリオネルに手渡すと、緊張した表情で手紙を開く彼を見守る。あの挑発的に思える手紙を読んでどんな反応をするだろう、という不安は、ラディンも同じく感じている。

 ルウィーニの息子たちが携えてきた、ルウィーニ直筆の紹介状という手紙。旧王統を好ましく思っているらしいリオネルは、どんな気持ちでこれを受け取るのだろうか。


 リオネルは黙ったまま熟読している。

 その表情から、彼の心理を推し測ることはできなかった。


 実測時間としてはそれほどでもない、だが体感ではひどく長い沈黙が流れる。アップルパイを三個も食べて満足したのだろうフォクナーが、リオネルの脇腹にもたれてうとうとしはじめていた。

 やがて手紙を読み終えたらしいリオネルが顔を上げた。手紙を丁寧に畳んでローテーブルに置き、ギアとラディンを交互に見て、口を開く。


「現状は理解した。君たち二人を正式に傭兵部隊へ受け入れ、陛下とラスリード様の身に危険が及ばぬよう全力を尽くして勤めを果たすと。主命にかけて約束しよう」


 


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