[2-4]罪過に償いの鎖を


 ロッシェの出自を聞いて今さら驚くような者は、この場にいない。しかし、続いてユエラが発した言葉は思いがけないものだった。


「ルウィーニさまは、サイドゥラの地にて狂王を封印した英雄たちを全員、覚えていらっしゃいますか。そもそも全てはそこから始まったのです」


 ラディンは、以前に聞いたはずの出来事を思いだそうと記憶を探した。

 狂王が頭角を現したのは百年以上前、ライヴァン帝国の王がサイドゥラ国を攻略したのが五十年前、だったはず。


「ああ。……ちょっと待ってくれるかな、確か、父王エイゼル、現魔術師長とリーシッタ導師、フェールザン親衛隊長、ロヴェリオ夫妻……計六名。あってるかい?」

「はい。では、ロヴェリオ夫妻に娘がいたことは、ご存知でしたか?」


 息を詰めた父が、黙って紅玉ルビーの目を見開いた。ユエラは両の手のひらを膝に揃えて乗せ、目を伏せて低く続ける。


「あのとき私はまだ七歳だったと記憶しています。父が命を失い、心身を病んだ母では私を育てられず、私は将軍家へ引き取られました。当時十七歳だったルードウェルは私にとって義兄、唯一の理解者でした」


 隣の父は無言だったが、拳の形に強く握られた手が心の動揺を表していた。ギアは余計な口を挟まないと決めたのだろう、眉を寄せ難しい顔をしてユエラの話を聞いている。


「私は十八で将軍家を出、ライヴァン城の女官として勤めはじめました。ルードが師団長に任命された頃の話です。ちょうど王妃がご懐妊かいにんされ、城の人事を見直す必要があったのでしょう。皇太子……ルウィーニさまが成人なさる頃には、ルードは彼の父から将軍職を引き継いでいましたね」


 ラディンは狂王と対決する前夜、父の黒歴史を聞いている。あのときルウィーニは、学者の道を選んだことを後悔していないと言っていた。

 けれど、もしかして、今。

 父ははじめて、選んだ道を本気で後悔しているのではないだろうか。そう感じるほど、父の表情は苦渋くじゅうに満ちていた。


「ルードは当時、国の未来を本気でうれいておりました。私も、両親の犠牲が無駄になったように思えて……、やり場のない憤りと悔しさを義兄にすがることで飲み込もうとしておりました。その気持ちが親愛以上になってしまった自覚もないままに」


 場にひと時の沈黙が落ちる。ルウィーニが重く息をつき、右手で顔を覆った。


「すまない。きみたちが苦しんだのは、俺のせいだね」

「父の死はある意味で事故、死地に赴くと決めたときから当人も母も覚悟していたでしょう。エイゼル様は私や母を深く気にかけてくださいましたし、恨んではおりません。……当時は私もまだ若く、心が弱かったのです」


 ルウィーニの謝罪をすぱっとはねつけ、ユエラは柔らかく微笑む。


「私がルードに向けた想いはきっと恋心ではないわ。でも、あの人は私に優しくて、どんな時でも受け入れてくれた。私はそれに甘えて……気づけば取り返しのつかない関係にまで進んでしまったのです」

「そうして……ロッシェは産まれたのか」


 ユエラが膝の上で握り合わせた両手の指に、力がこもる。彼女は視線を落とし、ぽつりぽつりと言葉を落とす。


「私は愛し方など知らぬまま母になり、途方に暮れました。同じ時期ルードには婚姻こんいんの話があがっていて、そんな大切な時期にあの人を振り回すことなどできず。でも一人で仕事と育児を両立できるはずもなく……。見かねたルードがジェスレイに打ち明け、ジェスレイは私とロッシェを自宅の離れへ住ませてくれました。一人親の私が好奇の目にさらされないようにという配慮も、あったのでしょう」


 なぜルードウェルとユエラは結婚しなかったのか、……思いはしても尋ねることはできなかった。壁になったものが身分差だったのか心理的理由だったのか、いずれにしても聞くのを許される空気でないことくらい、まだ子供のラディンでもわかる。


「ロッシェが五歳になった頃、ルードがあの子を引き取りました。ちょうど……エイゼル王が病の床についた時期だったと思うわ。まだほんの幼少からルードはロッシェに戦いの訓練を施し、暗殺者アサシンとしての技術を叩き込んだ。十を過ぎた頃、あの子は人形のように暗殺をこなすルードの懐刀になっていた」


 だから怖かったの、と、ため息のように囁いて、ユエラは自嘲するように頬を緩めた。


「その頃までに私は女官の仕事に復職していて、ルードとの間に若い日のような親愛はなくなっていました。顔色を変えず殺害をこなす息子のことも、私は理解ができなくて怖かった。ルードが叛逆はんぎゃくし王権を手にした時は、私も口封じのため殺されるだろうとすら思った。――そんなふうに自分を哀れんでばかりだった私は、ルードの本心もロッシェの気持ちも、何ひとつ理解しようとしないままで」


 笑顔を崩さず淡々と語る彼女の話をルウィーニは俯いたまま黙って聞いている。

 ロッシェは彼女の苦しみを理解していたのではないか、とラディンは思った。彼の燃えるような憎悪の根底にその理解があったとすれば、納得できる……気がしたのだ。


「ユエラさんは今でも、ロッシェさんが怖いんですか?」


 本当は口を挟むつもりはなかった。けれど、父が何も言わないのであれば――と。

 玄関にあった絵画に描かれていたのは、三人ではなかったから。彼が愛した家族には、ルベルとレジオーラ家の令嬢だけでなく、母親であるユエラも確かに含まれているに違いないのだから。


「……いいえ」


 予想にたがわぬ答えが返る。


「一度、あの子はラスリード前王を殺すようにと命じられ、返り討ちにあって大怪我を負ったことがあるの。ロッシェが死ぬかもしれないと思ったとき、自分でもびっくりするほどの恐怖心が湧いてきたのを覚えている。この子を失いたくない、本当はこんなに愛していたんだって、気づいたわ。その時から、私とロッシェの関係は大きく変わった」

「叔父さん……」


 いつもなら笑い飛ばすだろう父は黙ったままだが、ユエラは表情を和ませ、目を伏せる。


「私はずっと、ロッシェには感情が欠如していると思い込んでいた。でも、そうではなかったのよ。だからあの夜……もう帰って来ないだろうと思っていた息子が、血に塗れた赤子をつれて帰ってきた夜。号泣するあの子に私は言いました。その子が本当にあなたの娘なら、育てなさい――と」

「それが、……ルベルちゃんなんですね」

「ええ。私は、彼女が託したのだろう小さな命がいつか息子を救ってくれるんだって、願いたかったの」


 業火ごうかの中、通常ではない仕方でこの世に送り出された命。だから――だからなのだろうか、ルベルが炎属性なのは。

 この不器用な母子にこれ以上の悲しみがもたらされないようにと、精霊たちは幼子の命をつなぎとめるため力を貸したのではないだろうか。確証などないが、ロッシェについて語ったゼオの表情を思い出せば、ラディンにはそう思えてならなかった。


「……自分の懐刀が情に絆されるのを、炎帝は望まなかったってことか? だから、彼女を暗殺するようにと命じた……のか」

「そうね。そうかもしれないし、本当はそれ以上の意図があったのかもしれない」


 意味深な呟きを落とし、怪訝けげんそうに首を傾げるギアをユエラは見つめる。


「ジェスレイの支援があったとは言え、この三年の間にロッシェは宮廷内で功績を残し、一度は抹消されたレジオーラの家名を確固たる地位に押し上げた。仮に当主ロッシェが仕事上の失敗で帰れなくなっても、今の国王なら信頼できる後見人を立ててくれるでしょう。それがあの子の罪滅ぼしで、あの夜に彼女との死を選ばず、ここへ帰ってきた目的なのだとしたら」


 言葉を切ったユエラの言わんとしていることを、ラディンは理解する。

 彼女がずっと口を閉ざしていたのが理解できるほどに、ルベルを取り巻く事情は重く痛々しかった。こんな事実、ユエラでなくてもルベルに教えられるわけがない。だからユエラも国王もルベルを傷つけないように、父親が帰らぬ事情を伏せて伝えるしかないのだと。

 そんなふうにして改竄かいざんした記憶を裏打ちするため、ロッシェはあの絵画を残したに違いなかった。


「ロッシェさんは、自分を許せなかったのかな……――」


 思わず口にしたら、ユエラは顔を上げ、どこか遠くに瞳を向けて呟いた。


「どんなに憎んで嫌っていても、結局あの子はルードの息子だわ。もしも、犯した罪を自分自身がゆるせないとしたら……ひとは、はたして幸せを望むでしょうか。そういうひとが望む最期は、どういうものなのでしょう。……本当に、一体どこまでが、の掌中だったのかしらね」


 ラディンは黙って姿勢を正し、ユエラが寄せる視線の先を想う。

 彼女が見ているのは、息子によって命を奪われたかつての想い人だろうか。それとも、全ての罪を抱えて消えてしまった息子だろうか。あるいはユエラ自身が――今でも自分を赦せていないのか。


「おれは、昔のことはよくわからないけど……ルベルちゃんには幸せになって欲しいです」

「本当にそうね。私も、それを願いたいわ」


 ラディンの言葉にユエラは柔らかく微笑みを返し、全ての告白を終えたのだった。




 ***


 


 気づけば時刻は正午を回っていた。

 話を終えたユエラは、ルベルに食事をさせるため席を外している。今後についての話は別の機会にしよう、と父は考えたようだ。


「ルベルの後見人については、国王の意向も確かめないといけないからね。あまり長居すると負担を掛けるだろうし、俺たちはそろそろおいとましよう」


 本当は気まずくて早く帰りたいんじゃないのかな、と思いはするが口にはしないラディンだ。でも、父が何を考えているかはわかった気がする。

 大方、ルベルの後見人として自分が名乗り出るつもりだろう。


「その話なんだが……俺とアルトが正式にライヴァンへ移住して、ルベルの世話をするっていうのは」

「きみにそこまでの負担は掛けられないよ」

「アイツは名指しで俺に頼んだんだぜ。ここまで聞いて、無下にできるかよ……」


 いかにもギアらしい申し出だ。ルウィーニは苦笑し、表情を取り直してギアを見る。


「きみこそ……今は恋人に時間を与えるべきだよ。それに俺としても、ロッシェに出し抜かれたままの現状は悔しいからね。考えてることがあるんだ。だから、この件は安心して任せて欲しい」

「いや、でも、ラディンだってやっとオヤジさんと暮らせるようになったんじゃねぇか」

「おれは父さんが思うようにしてくれてもいいよ」


 矛先が向いたので、ラディンも自分の意見を発言する。ギアが驚いたような顔を向けてくるが、別に変な我慢はしていない。

 話を聞きながらルベルには幸せになって欲しいと思ったのは、紛れもない本心だ。

 それに今はもう引き離されているわけじゃない。父がどこで誰と住むのだとしても、ラディンが望めばいつだって会えるのだし、やっぱり寂しいと感じたなら、近くに引っ越せばいいだけなのだから。


「おまえ、健気すぎだろ」

「本当にラディンはいい子に育ったなぁ」

「……だから、それはもういいって。これからどうするのか陛下と話さなきゃいけないし、早くお城へ戻ろうよ」


 しみじみと感傷に浸る大人たちに、呆れ半分で苦言を呈する。自分のこの気持ちを健気とか我慢とか、そういうもので括られるのは嫌だなと思ったのだ。

 誰かの幸せを犠牲にした幸せ、なんていうものを、これ以上ルベルに押し付けるのは違うような気がしたのだ。





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