[2-3]家族絵に秘めた真意


 応接室に通され、勧められたソファに掛けて、お茶の準備に席を外したユエラを待つ。何となく三人とも無言でいたら、キィと音がして扉が開き、小さな影が入ってきた。

 目ざとく見つけたラディンが声をかける。


「ルベルちゃん? こんにちは、お邪魔してます」

「こんにちは。みなさん、ようこそです」


 オレンジに見える赤金の髪を両サイドで括った、確かまだ五歳の少女。ルベルはクッキーの乗った皿を両手で抱え、三人がいるテーブルへとやってきた。

 そっとテーブルへ皿を乗せ、小首をかしげてラディンを見あげる。


「少しですが、たべてください。おしごとおつかれさまです」

「あ……ありがとう、ルベルちゃん」

「ルベルもクッキー食べたいんじゃねぇかい?」


 すかさず声を掛けたギアのほうへ首をかたむけ、少女はにこにこと笑った。


「ルベルは、だいじょぶです。だいじなお話のおじゃまはできません」

「ああ、そう……か。わかった」


 アニキの言動はやはりいつもと比べてぎこちなく感じる。

 ルベルはスカートをつまんで軽く礼を取り、そそくさと部屋を出て行った。入れ替わるように、ユエラがティーポットとカップを持って入ってくる。

 黙って様子を観察していたらしいルウィーニが、そこで口を開いた。


「ユエラ、さっきの子が、きみの孫かい?」

「ええ。あの子はルヴェルエリウ、みなルベルって呼びますね」

「悪ィ、ユエラさん。気を遣わせるつもりはなかったんだが、上手く言ってやれなくって」


 意気消沈した様子のギアが言い、ユエラはそれを聞いて小さく微笑んだ。


「どうぞ気になさらないで。あの子は誰に対しても自分の主張を伝えることをしなくって、どうしたものかと思っていたところなんです」

「そういえばロッシェも、さとい子で我がまま言ってくれないって、話してたなぁ」


 ギアがしみじみと呟いた言葉を聞き、ユエラの表情がわずかに曇った。三人分のカップを並べ、ポットからお茶を注ぎながら、呆れとも取れる口調でぽつりと呟く。


「よく言うわ。……自分だって誰にも相談せず、何もかも抱え込んで一人で解決しようとしているくせに」

「それは、ロッシェのことかい?」


 遠慮なく問いを向けたのは、ルウィーニ。湯気のたつカップを三人それぞれの前に並べ、ユエラは頷いて答えた。


「玄関に、大きな家族絵があったでしょう。あれは息子が、ロッシェが描いたものなんです。ロッシェあのこが思い描き、ルベルへ与えたいと願った、空想のままに」

「空想? あの絵に描いてあったのは、ロッシェとルベル、きみ、ルベルの母親、だったと思うけど」


 ルウィーニは受け答えの軸をになうつもりのようだ。この中で一番の年長者かつユエラ個人とも親しい父がそうしてくれるのは、自然であり、ギアにとってもありがたいだろう。

 言うまでもなくラディン自身も、会話に余計な口を挟むつもりはない。

 ユエラは自分のカップに残りのお茶をぎ、三人の向かい側にゆっくりと腰を掛けた。視線をテーブル上のクッキーに向けながら、静かに言葉を続ける。


「ルベルの母親……レジオーラ家のご令嬢リィラレーンは、ルードウェルの王命により、ロッシェの手で……殺されたのです」


 耳鳴りでもしそうな沈黙がその場に張りつめた。さすがの父も、この告白は予想外だったのだろう――微動だにせず、ユエラを見つめている。

 彼女が事を大げさに伝えている、というわけでもなさそうだ。

 ラディンの目に、彼女はからだ。


「ルベルの母親は、実の父親によって殺されていた……? いや、ちょっと待ってくれ、ならどうしてルベルは、殺されなかったんだ。王は何が気に入らなくて、そんな命令を……」

「落ち着きなさい、ギア」


 動揺して声が大きくなるギアの肩を、ルウィーニが叩いてなだめる。唇を噛みしめうつむくギアを、ユエラは痛ましそうに見ていた。

 ルウィーニは一度立ちあがり、部屋の入り口まで歩いていって小声で何かをささやく。室内だというのに一瞬ふわりと風が起き、父がソファへと戻ってくる。


「どうしたの、父さん」

「風の精霊に、音声を遮断するようお願いしたんだ。万が一にでも……部屋の外にルベルがいるようなことが、あってはいけないからね」

「すまねぇ」

「いや。俺が、先に気づくべきだったよ。……それで、ユエラ」


 ここまで聞いてしまったら後には退けない。ルウィーニはちらとギアを見、彼が落ち着いたのを確認してから、質問を加えた。


「ロッシェは、理想の家庭を手に入れられなかった。だから、せめてそれを絵に描こうとした……そういうことかい?」

「そうね。……いいえ、おそらく。そうではないの、ルウィーニさま」


 歯切れの悪い返答をして、ユエラは顔を上げ視線をさまよわせる。その所作しょさは、言葉を求めて宙を探しているように見えた。


「どこから話せばいいかしら。……きっと、はじめから、話すべきなのでしょうね。ロッシェはもう、戻ってこないつもりでしょうから」

「ユエラは、ロッシェが監獄島へ残った件を聞いたかい?」

「ええ、国王陛下が知らせをくださいました。実を言うと私もルベルも、いつかこの日が来ると予感していたので、驚きはなかったわ」

「それは……」


 淡々と語るユエラに、戸惑う様子のルウィーニ。

 気まずい沈黙が場を満たす中で、ギアが、恐る恐るといったふうに口を開く。


「話、戻してもいいかい? 俺が知ってるロッシェがあいつの全てとは思わねぇが、少なくとも娘に向けていた愛情は本物だと思うんだ。あいつは……あいつが抱えていた罪悪感は、ルベルから母親を奪ってしまった負い目なのか? もしかして、ロッシェはルベルの実の父親ではない、とか」


 ギアは明け方の湖で、ロッシェと喧嘩をしたのだという。その時のやり取りで、何か思うところがあったのだろうか。

 暗殺者アサシンであったロッシェが仕事上殺してしまった女性に、赤子がいて、罪滅ぼしのため拾って育てた――それがルベルではないかと、ギアは考えたのだ。

 ユエラは少し黙ったあと、小さくため息をついた。


「私が、断言することはできないのですが……ロッシェは確かに、ルベルは自分とリィラレーン嬢の子だと言っていましたし、信じていました。だから、それはないと思います」

「うん。おれも、ロッシェの態度に偽りめいたものは感じなかったよ」

「そっか。ラディンが言うなら間違いないな。ってことは本当に、ルベルは、父親が……母親を」


 重くうめいてうなだれるギアの肩を、ルウィーニが慰めるように叩いている。それはそれとして、ユエラへ向き直って話を続けた。


「リィラレーン嬢殺害は、ルードによる強制的な命令だったというわけだね。ロッシェの意には反するもので、子供ができるほどの深い仲だったというのに、結局ロッシェは主命を優先させた。なるほど、それで……監獄島か」

「あの子も、命令に抗ったのです。でもルードは容赦しませんでした。物心がついた頃からルードへの絶対的な服従を叩き込まれていたロッシェには、彼女を殺すか、自分が死ぬしかなかったの。だから私は、きっとあの子はもう帰ってこない……そう思っていたわ」


 ラディンに、それほどの凄絶せいぜつな心理は理解できない。ラディンにとって父親とは尊敬できる優しく大きな存在で、恐怖心など感じたことがなかった。

 しかし、炎帝と呼ばれる前王が父親ならば、そういうこともあったのだろう。

 だがユエラは――目の前で淡々と当時を語る婦人は、そんなルードウェルと愛し合い、ロッシェという子をもうけたのではないか。その辺りの感覚がラディンにはイメージできず、もやっとした据わりの悪さだけが募ってゆく。


「ロッシェは彼女の殺害を実行し、彼女からルベルを託された……ということかな」

「そこは、多分に私の予想が混じるのですが。ロッシェが彼女と会ったとき、赤子はまだ胎内にいただろうと思います。あの子は彼女を殺し、身体から赤子を取りだしたのだと。その前にどんなやり取りがあったかまでは、聞いていませんが」

「……彼女の、遺体は?」

「燃え尽きました。レジオーラ家の屋敷を灰燼かいじんした、灼虎しゃっこの炎によって」


 次々と明かされる衝撃的な事実の最後に灼虎しゃっこの関与を聞き、ルウィーニは目を見開いて言葉を失う。

 父の目が忙しなく動いたのを見て、ラディンは動揺の理由を察知した。ゼオが別れ際に話したことを思いだしたからだ。


「……ゼオ、まさか」

『オレじゃねェよ』


 ルウィーニの呟きに対し、即座にどこからか返った声はゼオのものだ。父は安堵あんどしたように息をつき、気持ちを鎮めるためか、冷えてしまったカップのお茶に口をつけた。


「なるほど。つまりあの絵は、ただの理想……ではなく。ロッシェがルベルに残してやりたい記憶の象徴、というわけだ」

「きっと、そうなのでしょうね。あの子はあの絵をルベルに見せながら、楽しげに……彼女との想い出を語っていましたから」

「クッソ……、やっぱりあのとき、いておけばよかったぜ。でも何で炎帝は、レジオーラ家の娘を暗殺対象に指定したんだ? 権威の誇示、あるいは嫌がらせ、にしか、思ねぇんだが」

「あなたは……とてもまっすぐな方なのね」


 め言葉なのか、どうなのか。受け取りに悩むような言葉を落とし、ユエラは静かに微笑む。戸惑うような表情で顔をあげたギアに視線を向けつつ、言い加えた。


「ルウィーニさま。私とルードとの関係、そして、あの夜に起きたことを……話しても構いませんか?」

「きみが、それで楽になるのなら。ルードはもういないし、ロッシェは目的を遂げてしまった。きみを制約するものはもう、ないのだろうからね」

「ありがとうございます」


 謝辞とともに柔らかく吐息を落とし、ユエラは囁く。


「子供に罪はないと、人は言うけれど、子が親の影響を受けずに済むことはありません。私はあの子に何もあげられなかったのに、あの子は私を一度だって責めたことはなかったわ。おかしなもので、そういうところはルベルも、父親ロッシェに似てしまったのでしょう」


 それから姿勢を正して、向かい側に座るルウィーニ、ギア、ラディンを見た。

 線の細い女性だが、彼女の瞳はどこかロッシェに似ていて、芯の強さと人を寄せつけない冷たさがある。きっと彼女はその身体に、たくさんのを押し込めてきたのだろうと、思った。


「皆さますでにご存知のことと思いますが、息子――ロッシェは、前王ルードウェルにとって庶出しょしゅつの長子、現国王フェトゥースにとっては腹違いの兄になります」





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 ※「少女と賢者の旅物語」読了済みの読者様へ。※


 今話、次話にてユエラの口から明かされる過去は、「少女と賢者の旅物語」で描かれた過去と若干の食い違いがあります。

 ユエラは全てを知っているわけではなく、灼虎しゃっこのゼオもこの時点では口を閉ざしているため、「旅物語」で語られた事実のほうが真相となります。


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