[3-2]陰謀阻止への取引条件


 貴石の塔を調査するため白月の森に向かったのは、ギアとロッシェだけではない。けれど、見える範囲に他のメンバーがいる気配はなかった。どういうことかと首を傾げるルインの斜め前方では、エリオーネが歓迎とは程遠い表情でギアを睨みつけている。

 ギアとは初対面のラスリードが何か問いたげにルインに視線を傾けたと同時、ロッシェが不意に呟いた。


「ラスリード……?」

「え、何ィ!?」


 途端にギアが大声を出したので、ルインは慌てて前に飛びだし、エリオーネとギアの間に割って入って言った。


「こ、ここは執務室の前だから騒ぎになるとマズイよ! 場所移さないとっ」

「おぉう、そうだな……悪ぃ。俺たちとしても打ち合わせがしたいし、一旦部屋へ戻るか」


 背中に突き刺さるエリオーネの視線が痛い、ような気がするが、考えないことにする。執務室であれだけ派手に騒いだ後に廊下でまで騒いだら、今度こそ衛兵を呼ばれかねない。

 走らない程度に足を速め、ギアが借りている部屋に全員で入ると念のために鍵を閉めた。


「それで……アンタ、何しに来たのよ」

「姉御、なんか怒ってないかい? 俺たちは……まあ、いろいろあってだな、公爵を連れ戻すため来たわけなんだが」


 恐らくギアは、彼女が不機嫌になっている理由を本気でわかっていないのだろう。それを思い、ルインの口からため息が漏れていく。

 ギアの言葉にエリオーネが目をつり上げて、言い返そうと息を吸った隙に、一瞬早くラスリードが発言した。


「そうか、ならば同行してもらえるのだな? 旅渡りょと券は既に発行されてあるのだが、私は利き腕が使い物にならなくて護衛としては役立たずだったのでな、助かる」

「マジか! なら早速行こうぜ、ロッシェ。城の『ゲート』が設置されてる場所はわかってるんだろう?」


 タイミングを逸して口をパクパクさせていたエリオーネが、鬼の形相で無言のままバンとテーブルを叩いた。ギアとラスリードがびくりと震えて、同時に振り返る。ロッシェの表情は変わっていないようだが。

 困惑もあらわな男二人に、エリオーネの細い指先がぴしりと突きつけられた。


「ギア、あんた飛び入りで戻ってきてあたしの仕事を横取りするんじゃないわ! ラスリード、あんたも勝手に話を進めないで頂戴!」

「す、すまねぇ姉御」


 報酬辞退の件から、エリオーネは常にギアの動向を警戒している。目的が一致しているのだから協力すればいいのだが、ギアに主導権を渡してしまうと報酬が減らされるかもしれない、と危惧きぐしているのだろう。

 彼女の一喝により大人しくなった二人の隣で、ずっと黙っていたロッシェが口を開いた。


「ラスリード。……その怪我は、ジェスレイにやられたのか?」

「うん? いや、旧王統派の貴族と意見が一致しなくてな。協力を拒んだら酷い目に遭わされた」

「――それは、誰かな?」


 エリオーネがハッとしたように息を飲み、ロッシェを見た。が、彼の紺碧の双眸は険しく細められたまま、ラスリードを見ている。


「……顔は見ればわかるが、名前までは思い出せないな。まだ若い男だったが……現役時代から十年も経った記憶では特定までできず、済まない」

「ふうん、顔は見ているんだ」


 無表情だった口許に、わずかだが喜色が差したように思えた。ラスリードは姿勢を正してロッシェに向き直り、答える。


「今頃はもう私の逃亡も伝わっているだろうし、向こうも証拠を残しておくほど愚かではあるまい? そもそも、私の証言が証拠として機能するのか、という点も含めてな」

「……あんたに嘘の証言なんて器用なことはできないよ。だから、ここに残ってその貴族を特定してくれないか」


 いかにも含みのある言い方に、変な沈黙がその場に落ちる。ラスリードが眉を上げた。


「そんな信用前提の取り引きが成り立つか。今しがた執務室へ出向いたが、とても歓迎されている空気ではなかったぞ」


 その空気の半分以上はラスリード本人の言動のせいだとルインは思ったが、黙っておくことにする。わざわざロッシェの気分を害する必要もない……という思慮からだったのだが。


「会ったのか、フェトゥースに」

「ああ。会って殴ってきた」


 空気を読まない男が特大の火種をぶち込んできた。ギアが目を剥いて何か言いたげにこちらを見たが、エリオーネはつんと顎をあげて我関せずを貫いている。なので、ルインも沈黙を貫くことに決めた。

 ロッシェはといえば、密度の高い殺気をまとわせたものの、それは一瞬だった。細い両眼がいっそう険しくなり、抑えた声が言葉を続ける。


「……相変わらずの、乱暴者だな貴様。けどいい、その件には目を瞑ることにするよ。それとも、協力はしたくないと?」

「おまえ、――氷月ヒヅキか?」


 部屋の温度が一気に下がったようだった。ラスリードの発言に、エリオーネが表情を変えてロッシェを凝視する。

 当人は動揺したふうもなく、作り笑いの顔で答えた。


「証拠なんて必要ない。特定できれば、十分だ。――あんたなら、わかるだろ」

「成る程な。だが、おまえこそ、私がここに残ってもルゥイを連れ戻してくれるのか?」

「交換条件としては悪くないね。フェトゥースに手を上げたことは許せないけど、あんたは有事の際には身を挺してフェトゥースを守るだろ? だから、僕とギアで監獄島へ行ってくるよ」


 主導をとって話を進めるロッシェにエリオーネが文句を言うのではないかと、ルインはハラハラし通しだったのだが、彼女は沈黙を保っているようだ。ラスリードが呟いた『氷月ひづき』という名前に何かあるのだろうか。

 代わりに困惑の声を上げたのはギアだった。


「待て待て、なんで勝手に話がまとまってるんだよ」

「はじめからその予定だっただろ。僕と君で監獄島へ行き、ルウィーニを連れ戻す。ラスリードと彼女たちには、ここで反政府の主要人物を炙り出してもらう。……何か問題でも?」

「いや、俺はそのつもりだったから、まあ……わかったよ」


 ギアとロッシェなら、ルインとしても安心できるところだが……エリオーネの気持ちはどうなのだろうか。

 そっとうかがい見れば、彼女は片手を額に当てて深いため息をついていた。


「まったく、あんたたち……。ドイツもコイツもあたしを踏み台にしてくれちゃって、もう勝手にすればいいわ!」





 旅渡りょと券をギアに手渡し二人を見送ったあと、ルインは不機嫌絶頂のエリオーネにそっと声掛けてみる。


「エリオーネ、ヒヅキって何なの?」

「ああ、いわゆる通り名よ。組織ギルドに属さない暗殺者アサシンで、王家貴族絡みの仕事ころしだけをこなす奴だったらしいから、あたしは詳しくは知らないんだけど。ラスリード、あんた氷月を知ってるの?」


 声は不機嫌だったが、思ったよりは落ち着いているようだと、ルインは胸を撫で下ろす。話を向けられたラスリードは、眉間にシワを刻んで歯切れ悪く応じた。


「知っているというか……何というか」

「狙った相手は絶対仕損じない、女暗殺者アサシン。そう、あたしは聞いたんだけど」

「氷月は女ではない。その噂に根拠はあるが真実ではない」

「なにソレ。やけにきっぱり言い切るじゃない」


 互いに、言いたいこと聞きたいことを迂回して探り合っているようにも見える。ルインは状況を把握できず、眉をひそめた。

 つまりラスリードの発言は、ロッシェがその『氷月ヒヅキ』だと暗示しているわけだ。エリオーネが食い下がらなかったのも、そこに理由があるのだろうと考えられた。

 聞いてもいいものか迷いつつ、ルインはそっと尋ねてみる。


「ロッシェさんは、その氷月って暗殺者アサシンなの?」


 ラスリードは眉間のしわを深くしただけで答えず、エリオーネは苛々したように爪を噛んで呟いた。


「あいつ、国王直属の暗殺者アサシンなんじゃないの? 散々利用された挙句に皆殺しされたら、どうするのよ」

「皆殺し!? あの人、そんなに強いの!」


 エリオーネの口から出た恐ろしい予測に驚いて、ルインのあげた声はひっくり返っていた。迷うように視線をさまよわせたエリオーネが、慎重な様子で言葉を続ける。


「氷月は、証拠を何も残さない。そう聞いてるわ。奴は、全部殺すの。女も、子供も、家畜すらも……。余りにも残酷で凄惨だから、精霊たちが現場を嫌がって魔法がうまく発動しなくなる。だから、いまだに氷月の顔を見た者はいないって」

「は。相当誇張された噂ではないか」


 低い声に笑い飛ばされ、エリオーネはきつくラスリードを睨んだ。


「死にたくなければ協力しろ、ってことじゃないの? 証拠なんて要らないっていうのは、自分が相手を殺すからってことでしょ!?」

「まぁな、そうなんだが。……さて、どうしたものか」


 先ほどの会話にはそんな不穏が潜んでいたらしい。二重に命を狙われるのは勘弁して欲しいと思いながら、ルインはどこか煮え切らない様子のラスリードに声掛けた。


「何企んでるの? ラスリードさん」

「証拠ごと挙げてフェトゥースに裁かせねば、人が死ぬということだ。なら、証拠を掴んで彼の殺しを阻止せねばならないだろう? これは難易度が高いな、と」

「ハァ!?」


 エリオーネが、呆れたような声を上げてテーブルをバンと叩いた。


「アンタの右手を斬り落として地下牢に閉じ込めた奴でしょ! 放っておけばいいじゃない」

「放っておけるか。それに、彼が氷月なら……私は彼にもう人を殺させたくないのだ」

「何言ってんのよ! てかアンタはアイツの何なのよ! ラディンの身内の癖に、何でそんなにアイツに肩入れするのよ!?」


 腹の底からの恫喝どうかつだった。エリオーネは、本気で怒っているのだ。どうしていいかわからずオロオロするルインの横で、ラスリードも何かの覚悟を決めたのだろう。

 紫水晶アメジストの強い瞳が、怒りに燃えた彼女の視線を受け止める。


「今の氷月は、。人殺しの自分を嫌悪する、ただのだ」

「あんた、いったい何を知っているの」


 低く問うエリオーネの怒りは幾らか鎮まっているようだ。ラスリードの言い方が、彼女の好奇心を刺激したのかもしれない。

 よほど相手を知っているのでなければ、こんな強い確信を込めては話せない。だからだろう、エリオーネがルインと同じ問いを向けたのは。


「ロッシェは、氷月なの?」


 少しの沈黙があり、やがてラスリードが頷いた。そして続ける。


「ルゥイが監獄島に送られて間もなくのことだ。隠れ住んでいた私に、炎帝ルード暗殺者アサシンを差し向けた。……それが、氷月だ」


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