3.王城の混乱

[3-1]王城殴り込みと、その顛末


 もう、ここまで来たら後はない。

 ライヴァン王城の執務室の前に立ち、ルインはこくりと唾を飲み込んだ。


 朝早く起きて身支度を整え、オルファの店で腹ごしらえをし、戦地に赴くような気分で王城へと戻ってきた。エリオーネに言わせれば、ライヴァンの警備体制は対魔族ジェマや対裏家業という面で甘いのだという。そういう部分にも、現政権の人脈不足が現れているのか。

 宝剣を奪われたり、ケルフがパーティ会場へ忍び込めてしまったりも、つまりそういうことなのだろう。


 そのケルフは昨夜、なんとか自力で夕食を調達し、二人が不在な状況も上手くごまかしてくれたらしい。

 療養中とはいえ囚われの立場にある彼にそこまで気を遣わせるのもどうかと思うが、ここまで来てしまったらもう仕方がない。あとは、運を天に任せて……だ。


「最後に確認するけど、あんた、本ッ当にいいのね? 執務室に乗り込んで直接国王と話す……正気とは思えないけど、本当に行くのね?」

「勿論だとも。それが一番手っ取り早い解決策だ」


 きっぱりとしたラスリードの答えにエリオーネはため息をつき、呆れたように頭を振った。そして、ルインのほうに視線を流す。


「いいこと、ルイン。国王側がどう出るかはわからないけど、あたしたちは何としてでもこの人を守るわよ? 最悪、あんたのテレポートで脱出、いいわね?」

「う、うん。わかった」


 この行動が引き起こす反応を、ルインは当然ながらエリオーネも想像できないようだ。それでも彼女の言う通り、この人物はラディンの身内で、狂王に関する貴重な情報提供者でもある。いざとなったら素早く離脱できるように、そう考えて、心を引き締める。


「さ、行くわよ」


 エリオーネがそう言って執務室の扉に手を掛け、思いきりよく押し開けた。大帝国の王、そしてその側近たちがいるであろう部屋に、姿勢を正して一歩踏み込む。


「失礼するわ、国王サマ」

「エリオーネ殿! 謁見希望でしたら、事前に私のほうへ申請を――、」


 扉の向こうでジェスレイの驚いたような声が響いたが、ラスリードは皆まで聞かず、遠慮する素振りもなくエリオーネの後に続いた。誰かが息を飲むのを聞く。ルインも出遅れないよう早足で二人を追う。

 エリオーネは扉を支えるように押さえてその場にとどまっていたが、ラスリードは彼女の横を通り過ぎ、ぼう然と立ち尽くす老騎士へと近づいていった。


「――何者だッ」


 ドレーヌが鋭い誰何すいかの声を上げ、剣を抜く。国王は執務机に着いたまま、踏み込んできた黒髪長身の男を見あげている。

 ジェスレイが、呻くように声を押しだした。


「……ラスリード」


 その名一つで、それ以上の説明は不要だったのだろう。ドレーヌが警戒を強め、フェトゥース国王が怯えたように立ちあがる中、ラスリードは余裕のある様子で部屋を見渡し口角を上げた。


「大層久しぶりだな、ジェスレイ。覚えているか、フェトゥースにドレーヌ。何だ、その、幽霊でも見るようなひどい顔は」

「前王統の、ライヴァン王……なのか?」


 震える声で応じたのは、国王だった。ジェスレイが苦り切った表情を隠しもせず、口を開く。


「何をしに来た、ラスリード。ここにはもう、貴公の居場所などないのだが」

「ほう。以前の主君に対し、なかなかの言い様だな」


 対するラスリードのほうは、どこか楽しげな声音で言い返す。彼が帯剣していないのを見て取ったのか、ドレーヌがわずかに殺気を鎮めて姿勢を正した。が、その瞬間ラスリードは、思いもよらぬ行動に出た。

 物言いたげなジェスレイを一瞥いちべつし、執務机の前に立ち尽くす国王へと向き直り、早足で近づいて机越しに拳を握り――、


 ――ガッ……!

 

 何の躊躇ためらもなく国王を殴り飛ばしたのだ。

 こんな暴挙、誰にも予想できるはずがない。連れてきたルイン自身やエリオーネだって予想外だし、殴られた本人だって、意味がわからないだろう。

 細身の身体が軽く吹っ飛ぶのを然と見送ったドレーヌが、怒りに燃えた瞳でラスリードを睨みつけると再度剣を抜き放つ。


「貴様、これは間違いなく反逆罪だぞ!?」

「お待ちなさい、お姉サマ!」


 今度こそ迷わず斬りかかろうとしたドレーヌの剣を、滑り込むように割って入ったエリオーネが受け止めた。


「裏切る気か!」

「いいえ、あなたの出る幕ではないわ。引っ込んでて頂戴!」


 炎のように燃える怒りと、冷たく押し戻そうとする殺気が、ぶつかり合って火花を散らしている。心臓が震えるような緊張感に喘ぎながらも、ルインは執務室の扉を閉めて内側から鍵を掛けた。いきなり暴力に訴えるとか理不尽もいいところだが、かといって今さら後にはひけないのだ。

 固まっていたジェスレイが我に返り、国王をかばうように割り込んで剣を抜く。その後方でフェトゥース国王は立ち上がり、切れた唇に滲んだ血を袖で拭ってラスリードを睨みつけた。


「ずいぶんな、ご挨拶だな」

「腹立たしいと思うのなら殴り返せばいいだろう。それとも、殴られた痛みすら他人事か、おまえは」


 フェトゥース国王の薄い桜色の目が、怒りをともすように一瞬濃さを増す。が、その熱はすぐさま霧散してしまう。


「……生憎と、僕は、感情のままに行動するのが賢いなんて教育はされていないんだ。まったく、思いつきもしなかったよ」


 視線を外し曖昧に笑って受け流そうとする国王を追い詰めるかのように、ラスリードは老騎士を押し除けて机を回り込み、国王の側へ行こうとする。それをジェスレイが押し留めようとして、再び睨み合いになった。

 自分に向けられる騎士の剣を恐れる様子もなく、ラスリードは鼻で笑って言い放つ。


「言い訳に興味はないぞ、フェトゥース。……そこを退け、ジェスレイ。それとも、ついには私に刃を向けるつもりか」

「……貴公は、既に私の主君ではないのだ」


 そうは言うものの、老騎士の声は錆びついていて覇気がなかった。ドレーヌは眼前で繰り広げられるやり取りに戸惑っているのだろう、低めた声でラスリードに声を投げる。


「何の意図だ? 例え元王族と言えど、我が主を愚弄ぐろうするなら私も黙っているつもりはないぞ」


 確か自分たちは、狂王封印の件で現政権と協力するために来た――のではなかったか。

 なぜこんな殺伐とした展開になっているのか理解できず、ルインは内心で頭を抱えたい気分だった。

 とはいえ、ドレーヌの冷静な問いにラスリード自身もいくらか頭が冷えたのだろう。


「そうだな――失礼した。私が来たのは、ルゥイを返してもらうためだ。フェトゥース、監獄島からルウィーニを連れ戻せ。狂王を封じる手段は他にはない」


 ラスリードの言葉に、国王は視線を逸らせたまま答えない。ドレーヌはぐいと力を込めてエリオーネを振り払い、剣を収めた。瞳にはまだ怒りが燃えていたが、ひとまず耳を傾けるつもりなのだろう。

 ジェスレイが、重く口を開く。


旅渡りょと券は、既に彼女へ渡したはずだが」

「彼女一人に押し付けるつもりか。これは個人の問題ではない――国難であり、現政権が担うべき責務だぞ」

「妨害はしないが、割ける人員もいない。英雄エイゼル王譲りの貴公の剣技で、彼女を護衛すれば良いだろう」

「ああ、それがな――」


 そこで言葉を切り、ラスリードは右手を持ち上げ袖を捲って見せる。


「私は利き腕を失って、どうにもならん。無論、一緒に行くつもりではあるが……手勢も貸せぬというのなら、留守中彼女の仲間たちに危害を加えたりしないと、確約してもらおう」

「……そうして、公爵を連れ戻して、そのまま復位したらいいさ」


 ぽつりと落ちた卑屈な呟きに、ラスリードが片眉を上げた。立ちはだかるジェスレイを無理やり押し除け国王に詰め寄ると、左手でその胸倉をつかみ上げる。


「甘えるな、フェトゥース。どこにも逃げ場などあるはずがない。これは、現実だぞ」

「――煩いッ!」


 悲鳴に近かった。

 フェトゥースは自分の服をつかむ腕を引き剥がすように払って、思い切りラスリードを突き飛ばした。よろけるように数歩下がる黒髪の元国王と、怯えたように息を荒げる月色の髪の現国王。年長者と若者を超えた、不思議な対照だとルインは思う。

 口出しすべきではないと理解はしている。

 どちらとも、国を背負うよう宿命づけられた者たちだ。それでも、追い詰められたようなフェトゥース国王の姿は自分自身に重なるようで、ルインの胸は痛んだ。


「何が、言いたい? 僕より貴方のほうが上手く事を運べると言うのなら、そうすればいいだろ! 僕は、所詮――偽りの血統だ」

「いい加減にしろ、ラスリード。これ以上、陛下に狼藉を働くなら……衛兵を呼ぶぞ」


 ジェスレイが非常に臣下らしい台詞を発し、それが逆にこの場に違和感のような緊張を落とす。割って入る老騎士を睨みつけて牽制するラスリードも、無論黙ってはいない。


「それでいいのか、ジェスレイ。国を預かる立場の成人した男子が、非礼を受けて臣下に泣きつくのが、今のライヴァンか!」

「黙れ!」


 老騎士の瞳も怒りのためか熱を帯びている。それを手で制し、フェトゥースは自嘲のように笑った。


「ああ、その通りだよ。軽蔑するがいいさ……、僕なんて元から、王の器ではなかったんだ」


 桜色の両眼は涙に濡れていた。ジェスレイは言葉を失って立ち尽くし、ドレーヌは沈黙を貫いている。

 ラスリードが怒り立ったのはそういう理由ではないのだろうけれど、彼の歯に絹着せぬ物言いは、フェトゥース国王が今までずっと抱えていた劣等感を暴いてしまったのかもしれない。彼はずっと、自分の腕が及ばないことを悩み続けてきたのだろうか。

 しばらくは黙っていたラスリードだったが、やがてため息を一つ落とし、執務机を挟んで向かい側に行くと、左手を机についてフェトゥースを覗き込んだ。


「血統が何だ、器が何だというのだ。この世界において正統を名乗れる王など、六王以外にはいない。……違うか」


 フェトゥースからの返答はないが、ラスリードは気にせず続けている。


「逃げる場所もないのに逃げ出すことを夢想するくらいなら、自分を助けてくれる者に頼ればいいんだ」

「……貴方に、何が」

「おまえは、おまえを想う臣下の心を軽んじすぎていると思うぞ」


 フェトゥース国王が濡れた瞳を上げ、ラスリードをきつく睨む。仇同士というよりは、兄と弟みたいだなとルインは思った。自分には兄弟がいないのでただのイメージだが、叱りつけて言い諭すとか。それにしても、こんな情動的な人物だとは思わなかった。

 言いたいことを言い切って満足したのか、ラスリードは国王の視線を受け流すと、姿勢を正して踵を返す。


「さあ、行こうか。早いほうがいい」

「……ええ、そうね」


 一連のやり取りを呆れたように眺めていたエリオーネが、ため息混じりに応じた。ルインも頷いて、執務室の扉を開ける。

 不安は残るが、城からの手勢を期待できないのでは仕方がない。戦力として不足な自分は、城に残ってケルフと待機しつつ、ギアたちが帰還したらこの顛末てんまつを伝える係だ。

 ――と。

 早足で扉を通り抜け廊下に出たところで、意外な人物を目にしてルインの足が止まる。


「姉御、ルイン、……って、どうなってんだ、おい?」


 いつ戻ってきたのか、困惑した表情のギアと無表情のロッシェがそこに立っていたのだ。




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