[3-3]氷月の似顔絵


 炎帝ルードウェル。ラスリードが国王時代に将軍を務めていた人物で、十年前の叛乱はんらんにより王座に就き、三年前に急死したという。

 死因については様々な噂が囁かれてはいるが、公式な発表では病死となっている。


「なるほどね……ライヴァンっていうより、炎帝お抱え暗殺者アサシンだったワケ。そりゃ、組織ギルドでも素性がつかめないのは当然だわ」

「ラスリードさんは、撃退できたんだね」


 それぞれの感想で相槌を打つエリオーネとルインを見ながら、ラスリードは大きく頷く。


「剣帝と呼ばれた英雄エイゼル王に並ぶか超えるかと言われたルードが手ずから仕込んだ、懐刀の暗殺者アサシンだ。当時殺されなかったから今生きているわけだが、当然、互いに無傷では済まなかったさ」

「それでどっちも死んでないのが、あたしにはびっくりだわ」


 エリオーネがどういう意味で言ったのかルインに想像することはできないが、ロッシェがラスリードの命を奪うことができなかったのは理解できた。つまり、両者は互角かラスリードのほうが優位か、なのだろう。

 自分たちはとんでもない人物を前にしていたのかもしれない、と思ってルインは思わず身震いする。

 ラスリードが淡々と言い加えた。


「斬り合いでは勝てないと思ったから、腹を刺させて腕を折ってやったのさ。エティアの祝福キスもあったし、まあ、死にはしないだろうと」

「いや、ソレ、普通死ぬわ」


 エリオーネが淡々と突っ込んだ。聞かなければよかった、とルインは後悔したが、時すでに遅しである。にやりと笑ったラスリードが、先を続けた。


「確かに、あの時は死ぬかもとは思ったな。どちらも死に掛けで、丸二日ほどまったく動けず一緒に転がっていた」

「……何でそこで友情が芽生えるのよ。そんな吊り橋効果、聞いたことないわ」


 聞いただけでも泣きそうになるくらい痛々しい話を楽しげに語る精神性がわからない。

 つい想像しそうになるのを無理やり振り払い、大きな吊り橋の上でエリオーネに寄り添っている自分を妄想して……そのまま突き落とされそうな予感がしたので、ルインは考えるのをやめた。

 黒い二人はラスリードのブラックな武勇譚をまだ語り合っている。


「別に、友情など芽生えてはいないさ。両腕を折ってから叩きのめして、すぐには動けないようにしてやっただけだ」

「腹に穴あけた状態で? アンタ獣なの?」

「だから、エティアの祝福ヒールのお陰だと言っているだろう。……殺せと請われたから、嫌だと答えた。運良く生き延びられたなら、自力で帰れと言ってやった。その時に見た顔、というか目だな。あの青い目を覚えている」


 瀕死で治療も受けられず、丸二日も飲まず食わずって……どんな苦行なのだろう。

 自分なら、逃げるよりもショック死してしまうだろうと考える。いくら治癒魔法が使えるとしても、外傷に適切な処置をしなかったり折れた骨を正しく整型しないまま魔法で傷をふさげば、後遺症に苦しむことになるのだ。

 それを生き延びて自力で逃げ帰ったというのだから、ロッシェの精神力の強さもルインには想像し難い。


「それで、……女じゃないのに女と思われてた根拠ってのは?」

「彼は人間族フェルヴァーのわりに体格に恵まれていない。だが、暗殺対象は大抵が大人の男……私の場合もそうだったようにな。だから、油断させるために女の姿で近づく。それでそんな噂がたったのだろう」


 本人のいないところでプライベートを覗いているような気がして、ちくりと良心がうずいた。平然と女装をこなしていたシャーリーアのことを唐突に思いだす。

 舞台劇などで男性が女性を、女性が男性を演じることがあるのはルインも知っていた。

 同じくとして自分を偽ることだが、目的は真逆だ。それは、上手く言えないけれど、とても息苦しいことのように思えた。


「まあ、アイツ……背ばっかり高くて腕細いもんね。……驚いたわ、業界でもずっと謎に包まれてた人物の情報を、あんたから聞けるなんて。で、雇い主死亡で自由になった氷月が、何でまだコロシをしてるのよ。あんた、アイツが『人殺しの自分を嫌悪してる』って言ったけど、矛盾してるわ。だって今は誰もんでしょ?」

「えーっと、ジェスレイ氏からの命令ってことは?」


 思わず口を挟んだルインは、二人から同時に視線を向けられて思わず息を飲み込む。生きる世界が全然違う二人だというのに、彼女と彼はどこか似ていた。それが髪色や目の色といった外見的なものでないのはわかった。

 ただの感傷や想像ではなく、二人は知識と実感を持ってこの事態に取り組もうとしているのだ、と気づく。


「それはないな。氷月がジェスレイの言いなりになる理由はない」

「それはないわ。ロッシェを力でねじ伏せられる人なんて、この城にいないわよ。唯一の天敵はこういう――利き手ダメにして剣を握れない状況ですもの」

「……そっか。じゃ、自主的に?」


 呟いた自分の言葉が呼び水になって、思いだしたのはケルフのことだ。組織に忠義を尽くそうとして先走り、失敗してエリオーネに捕らえられた暗殺者アサシンの少年。

 キラキラ目を輝かせて彼女に取り入る彼の様子が脳裏に浮かび、ルインの中で諸々がストンと腑に落ちた。


「あ、そっか。ロッシェさんはフェトゥース国王が大好きなんだね」


 思い至ってしまえば、単純なことだった。ケルフと同じくロッシェも、国王のためと言いつつ国王自身が望まぬ方向へ突き進もうとしているのだ。それは炎帝に教え込まれたやり方なのだろうけど、続ければいずれフェトゥース自身を追い詰めることになってしまう。

 だからラスリードは、という形に持っていきたいのだろう。

 しかし、現状それがどれだけ難しいことかも想像がついた。その首謀者とやらは闇組織とつながりがあり、ラスリードが逃亡したことで警戒を強めているに違いないからだ。


「……もう。とか今さらうそぶくくらいなら、どうしてその時にナントカしてあげなかったの」

「仕方なかろう。私は逃亡者、向こうは追手だ。私だって自分が生き延びるのに必死で、当時はどうしようもなかったのだ」


 エリオーネの言うことはもっともだし、ラスリードの言うこともわかる。

 ルイン自身はロッシェの境遇については何も言えないが……フェトゥース国王の気持ちを思うと、何とかしてあげたいと思うのだ。

 自分に自信が持てず、難題山積みで行き詰まっているときに、心底の好意から助けてくれる誰かがいたら――それはどんなにか心強いだろう。

 フェトゥースにとってロッシェは、そういう存在になり得るんじゃないだろうか。


「うん、やるしかないよ」


 自分の中で結論づいたら、やる気が出た。ラスリードが紫水晶アメジストの目を向け、上機嫌なふうに口角を上げる。


「そうだな、やるしかないだろう」

「……ま、いいわ。問題山積みだけど目撃者もここにいるし、あたしも付き合ってあげるわよ。その分、請求は上乗せするけどいいでしょ? 財産無い? 問題ないわ。足りない分は連帯責任でラディンから取り立ててやるから」


 エリオーネも腹を括ったようだ。何か恐ろしい宣言が飛び出したような気もしたが、ルインは聞き流した。

 彼女の言う身内価格がどれだけのものか想像もつかないが、こと報酬の件に口出しするのは絶対の禁忌だと学習したからだ。


「……それは、何か間違ってないか?」

「煩いわ。あたしを頼るなら、それくらい覚悟することね。今から、めぼしい情報がないか外を当たってくるから、あんたはルインやケルフと犯人の似顔絵でも描いてて」


 苦笑しつつ苦言を呈したラスリードだったが、エリオーネにぴしゃりと言われて表情が固まった。察したルインは、恐る恐る口添える。


「えーと、でも、ラスリードさん……利き手が無いのに?」

「放って置けないなら、それくらいやって貰うわよ。絵なんて左手でも、足の指でだって描けるでしょ。できないんなら、助けるなんて妄想はやめなさい」


 絶対零度の一瞥いちべつを向けられて、ルインがそれ以上何かを言えるはずもなかった。ラスリードが、渋々といったふうに頷く。

 彼女の言は理に叶っていたとはいえ、それがどれほど高難易度な要求だったかをルインは直後に知ることになる。





 ――そういう経緯いきさつで。

 広げた紙面にのたうつ線画を睨みながら、ラスリードは深くため息をついていた。


「左手で絵を描くというのが、こんなに難しいものだとはな」

「ラスリードさん、もしかして絵が苦手?」


 覗き込むルインが遠慮がちに尋ねる。白い画紙には黒炭で丸や三角や曲線が複雑に入り乱れた図が描いてあり、かろうじて絵のような何かを形成していた。説明されなければ――いや、説明されたとしても、人物の似顔絵とは思えない惨状だ。

 その酷さは本人もよく自覚しているのだろう、不機嫌そうに鼻を鳴らしてラスリードは答える。


「苦手だ。というより、嫌いだ。じっと座って対象を観察し描き写すなど、面倒でやってられるか」

「うわー、元国王サマとは思えない教養のなさっていうか!」


 傍らでもう一人、大概たいがい失礼な台詞を連発しながら見守っているのは暗殺者アサシン少年のケルフだ。彼が仕込まれた訓練には似顔絵を描くことも含まれているとかで、見ていられないのか隣に張りついたまま、両手の指をしきりに動かしている。


「仕方ないだろう、今さら。好きでもないものに精力を傾けるなど、面倒でやってられるか」

「あぁぁ、あー、オレが見てりゃ描いてやるのにィッ」

「少し黙ってろ、気が散る」


 当人にやる気がないわけではないが、技術的な面は利き手欠損以前の問題だ。それを告げるのは心が痛むことだったが、このままでは貴重な時間を無駄に消費するだけだと思い、ルインは思い切ってラスリードに宣告する。


「この画力じゃ、似顔絵は無理だと思う」

「……そうだよな。私にもわからん」

「じゃ、さ! 城の関係者で絵が上手そうな奴に、条件に合う疑わしい貴族を片っ端から描いてもらえば!?」


 がくりと肩を落とすラスリードを慰めようとしたのか、フォローしようとしたのか、ケルフが肩をバシバシ叩きながら明るく言った。そんな彼の気遣いを無下にするのも心が痛んだが、事実は事実として伝えねばならない。

 ルインは心を鬼にして発言する。


「実はさっき、ラスリードさん……執務室で思いっきり国王陛下を殴って! だから、たぶん……協力してくれる人はいないと思う」

「ぐえ、マジで……?」


 四方八方手詰まり状態なのは今さらどうしようもないが、もう少し上手く事を運べなかったのだろうか。

 ルインは朝からの流れをざっと思い返して、密かに嘆息した。執務室に文字通りの殴り込みを掛けておきながら、捕らえられもせず、とがめられてさえいないのだから、やはりフェトゥースは優しい国王なのだろう、と思う。

 自分にも何かできることがあればいいのだけど。

 いつもいつもエリオーネに頼ってばかりなのは、さすがに心苦しい。


 その時、部屋の扉がふいに開いた。思わずケルフと一緒に顔を上げたルインは、覚束おぼつかない足取りで入ってきた人物を見て目をみはる。

 四、五歳くらいの瞳の大きな女の子だった。赤みの強い金髪を両側でちょんと括り、赤いリボンを飾っている。

 どこかで見た覚えがあるのにとっさには思い出せず、ルインの反応が遅れる。その間に少女は、抱えていた大きな布包みを可愛い掛け声とともに床に置き、三人のところへ駆け寄ってきてにこりと笑いかけた。


「ルベルです! えーと、ルインおにーさん、です……?」

「ああ、ルベルちゃん! うん、ボクがルインだけど、どうしたの?」

「パパから、ルインおにーさんに、おとどけものです」


 少女の言葉に促されて視線をさまよわせたルインは、床に置かれた荷物に目を留めて立ちあがる。側まで行って包みを解くと、大量の紙束がばらけて床に広がった。


「何スか、それ」

「パパが、見てもらいなさいって」


 同じく立ちあがって寄ってきたケルフに、ルベルが律儀に答えた。つられるようにラスリードも側までやってくる。

 三人三様に拾いあげて覗き込んだ厚めの画紙には、木炭で人の顔が描かれていた。はっとしたようにケルフが声を上げる。


「これ、似顔絵っスよ! すげぇ量だし、めっちゃ上手いし」

「本当だ、木炭のラフ画……だけじゃないや。水彩画かな、色付きもあるね。これ、ロッシェさんが描いたの?」


 神妙な顔で三人を見守っていたルベルにルインが尋ねると、少女はこっくりと頷いた。

 線画は木炭、彩色は水溶性インクで、用紙の端に日付と人物名が書き込まれている。ざっと見ただけでも最近のものから20年以上前のものまであり、丁寧に完成させてあるものもあれば、描きかけのような絵もあった。


「ちゃんと整理できてなくてごめんなさい」

「いや、大丈夫だ。ありがとう、ルベル。多すぎて時間が掛かりそうだが、しっかり見てからおまえの父に報告するよ」


 おずおずと言う少女に、ラスリードが努めて優しい声音で返答している。それを聞いたルベルは安心したように笑った。


「りょーかいです。それじゃ、ルベルはサヨナラするです」

「ありがとうね! ルベルちゃん」


 来たときと同じようにするりと扉を抜け、少女は子猫のように軽やかな足音を残して去っていく。ラスリードが床に広がった絵を拾い集めながら、さっきとは一転した楽しげな様子で呟いた。


「これは、かなり量があるから重労働だな。あまり古い物も該当外だろうし、近いものから手をつけるか」

「すげぇっスね。ここまで緻密な似顔絵は、支部でも見たことねぇや」


 ケルフがため息混じりに感嘆し、ルインはラスリードの絵とそれを比較しながらしみじみと感動を吐きだす。


「凄いなぁ、上手いよねー」


 直後、戻ってきたラスリードに容赦ないデコピンを見舞われて、涙目になったのだが。




 ***




 少女の父は昔から、絵を描くのが好きだった。

 自宅の玄関には大きな絵画が飾られていて、父と祖母と自分、そして今は亡き母の姿が描かれている。それを描いたのが父なのだと教えてくれたのは祖母だった。


 少女だって、母がいないことを寂しく思わなかったわけではない。

 それでも少女は知っていたので、その想いを口にすることができなかった。


 どんなときだろうと片時も離れず一緒にいてくれる父が、時々、遠いどこかを見ていることを。

 言葉にして問い尋ねなくても、なんとなくわかっていた。父が見ているどこか――それはきっと、母のいる場所なのだ、と。


 きっといつか、父は母を追って、自分の手が届かないどこかへ行ってしまう。

 そんな予感を口に出すことなどできず、けれど心のどこかで本物だと悟ってもいたから、どうか父が自分を捨てないようにと祈りを込めて、少女はでいようと思った。

 それは幼心による決意を超えた、誓いのようなもので。

 だから、父の仕事を手伝えることは、嬉しくて誇らしかった。


 父は人物を描くのが好きだった。小振りのスケッチブックを広げ、カリカリと絵を描く父の姿が、少女は好きだった。

 そうやって今まで描き溜めていた沢山の画紙を束にして大きな布に包んで、手渡されたから、これはとても重大な任務なのだと、少女は胸に使命感をたぎらせる。


「これをルイン君の所に持っていって、ラスリードという男の人に渡してくれないかな」

「うん。りょかいです、パパ」


 名前は覚えていた。

 国王さまが雇ったという冒険者のひとり、優しそうな魔族ジェマのおにいさん。

 どんな小さなことでも役立てるのが嬉しくて、うきうきしながら引き受けた。父は元から細い目をもっと細め、いつものように笑って。


「ちょっと遠方まで、人を迎えに行かなきゃなくてね。帰りが遅くなるかもしれないから、今日はおばあちゃんの所に帰っていなさい」

「はい」


 こっくり頷いたら、てのひらでくしゃりと頭を撫でてくれた。

 大好きな父の、温かくて大きな手。くすぐったいような気がして、えへへと笑う。


 父の笑顔は、いつもと変わらなかった。


「行ってくるよ、ルベル」

「いってらしゃい、パパ」


 返した言葉もごくごく普通の。


 だって、少女は微塵みじんも疑っていなかったのだから。

 それが、長い別離わかれのはじまりだなんて――このときは夢にも思わずにいたのだから。




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