4.闇に呑まれた血の記憶

[4-1]光の導く道の先


 光の王、妖精族セイエスの王、ラヴァトゥーン。精霊たちは何度かその名に言及していた。しかし、まさか本人が直々にこんな気軽に会いに来るだなんて、予想できるはずがない。

 眼前の扉から突然現れたとんでもない人物を前に、ラディンは棒立ちのまま固まっていた。


「な、な……な……」


 にこにこと微笑みながら返事を待っているらしい光の王に、驚きのあまりか呂律ろれつが回らなくなったインディアが威嚇いかくするように杖を向ける。冷静に考えればだいぶ失礼な行為だが、ラディンにも指摘する余裕はない。

 奇妙な間が流れ、やがてラヴァトゥーンが目を瞬かせて首を傾げた。


「すみません、驚かせてしまったみたいですね。光精霊たちが、私についてはもう伝えてあると言っていたもので」

「あっ、はい! 聞いてました! ただ、ちょっといろいろあって、心の準備ができてなく……」


 確かに聖獣も『に光の王が訪れる』と言っていた。まさか当日中、それも直後の時間だとは思わなかったし、ギアとロッシェに気を取られたこともあり、不意を打たれたが。

 ラヴァトゥーンはそれを聞くと、安心したように優しく微笑んだ。


「そうでしたか。実は、この扉……土の王ラジェスからの借り物なのですが、自律稼働してまして。ラディン君に一番近い所まで行かせてください、って頼んだら、こんな場所に出ちゃったんです」

「……はぁ。光の王と土の王が親しいって噂は、本当だったのね」


 王、といってもただ一国の王などではない。彼は妖精族セイエスという種族の最高権威者だ。にも関わらず、少年期と青年期の狭間のような容姿とふわふわした雰囲気が、彼から威厳や迫力といったものを消し去っていた。

 それに毒気を抜かれたのだろう、さっきまで苛立っていた――あるいは泣きそうだったインディアも、すっかり気がゆるんでしまったようだ。そそくさと杖を持ち直し、しずしずとラディンの背後にさがってゆく。あとは任せた、ということらしい。

 正直ラディンは彼にどんな口調で話せばいいのかわからなかった。とんでもなく高位の人物だと理解しているが、なぜか相手が自分に敬語で話すのだ。距離感が、難しい。


「えっと、今朝、聖獣と話をして、父を連れてまたここに来ることを約束しました。聖獣は、詳しい話はあなたから聞くようにって言ってましたけど……その件ですよね」

「はい、聖獣から事情は聞いています。私たちは原則的に、人々のことには手出ししないことになっているのですが、今回は事情が特殊なため、こうして赴くことになったのです」


 ラヴァトゥーンの柔らかな声音に、ほんの少しかげりが混じる。インディアがラディンの後ろからこそっと顔を出し、尋ねた。


「特殊、って……悪い方向に、ですか?」


 不安を噛み殺すような、硬い声。光の王は、ひなたに揺れる光のような柔らかい微笑みを彼女に向ける。


「望ましい状況ではありませんが、最悪を回避する道はあります。統括者ウラヌスもこの件については重く見ているらしく、彼なりに行動を起こしてますが……私としては、彼の介入は回避したいところでして。ウラヌスの説得はラジェスが引き受けてくれましたので、お二人はこれから私とともに、シザー・カミィという魔族ジェマと会っていただきたいのです」

「え、……はい」


 思った以上にスケールの大きな話についていききれず、ラディンは歯切れ悪く返答した。統括者といえば、シャーリーアが精霊王クロノスの家出に巻き込まれていたはずだが……この話と関係あるのだろうか。彼は妖精族セイエスだし、ラヴァトゥーンに会えるとなればきっと大喜びするに違いないのだが。

 理解が追いついていないのと思考が脱線しているだけで、ラディンに彼の求めを拒否する理由はない。

 しかし、インディアは困惑げに表情を歪めた。


「ごめんなさい。あたしは、二人を捜さないと……」


 光の王は彼女が返した言葉の意味を考えていたのだろう、少し沈黙し、それからにこりと笑んだ。


「昨夜の事件であれば、この森で死者は出ていません。深夜の争いを収めたのはカミィですから、彼に会えば事情は知れるはずですよ」

「え、ラヴァさん知ってるんですか!?」


 思わずラディンは叫んでしまい、声に出したあとに敬意のかけらもない呼び方だったと反省したが、ラヴァトゥーンは気分を害することもなく――むしろ自分で名乗っただけに嬉しそうな様子で、頷いて言った。


「この森の精霊たちは、入れ替わり立ち替わり起きたことを私に報告しに来るんですよ。きっと、君たちを心配しているのでしょうね」





 先ほど彼が通り抜けてきた扉は、同じ大地でつながる場所へならどこにでも転移させてくれる魔法構築物ルーンコンストラクトなのだという。扉の枠に刻まれた魔法語ルーンのようなものを見て、インディアがしきりに造りを気にしていたが、おそらく人族が作成できるような物ではない。

 そんな不思議極まる存在物の中に足を踏み入れるのは恐ろしかったが、迷っている時間もなかった。光の王に導かれ、ラディンはインディアと一緒に思い切って扉を潜り抜ける。

 視界がくらりと揺らぎ、瞬きする間に景色が変化したが、テレポートのような気持ち悪さはなくてラディンはこっそり安堵した。


「ここからは少し歩きますね。……実は、カミィと対面するのは私も今日がはじめてなんですよ。こういうのって、緊張しますよね」

「……光の王様でも、緊張するんですか」

「ああ、ラヴァでいいですので。王様って柄ではないでしょう? 私は六人の中では最年少なので、緊張もしますし迷いもしますよ」

「は、はい」


 道中交わすのは他愛もない話だが、不安も残る。ラディンはインディアと顔を見合わせた。妖精族セイエスと言っても六王の一人、相手がどんな魔族ジェマかわからないとしても、負けることなどないのだろうが……。

 ラヴァトゥーン自身に言うほど緊張した様子はないので、危険はないと事前に知っているのかもしれない。


 森の小道をしばらく進み、やがて、ひしめく木立の向こうに一軒の家が見えてきた。狩人小屋に似ているが、わりと大きい。一般的にはこういうタイプの家はログハウスと言うんだったか。

 物珍しさも手伝ってつい観察していると、光の王はまっすぐ玄関まで行き、心なしか緊張した表情で扉をノックした。ラディンたちも急いでその後を追う。

 間を置かず扉が開き、中から黒尽くめの人物が現れた。長めの黒髪、闇色の目。彼が、シザー・カミィだろう。

 二言三言何かを言い交わし、黒い魔族ジェマがこちらを見た。切れ長の両眼が細められ、口もとに穏やかな笑みが刻まれる。


「ようこそ、番人の隠れ家へ。私は告死のシザー・カミィ。用件はわかっているが、詳しい話も必要だろう。……さあ、中へ」





 もう薄々わかってはいたことだが、カミィに通された部屋の中にいた面々を見て、ラディンはあっと声を上げた。


「シャーリィ! モニカに、クロちゃんも……!?」

「ラディンだー――!」


 嬉しそうな大声を上げて立ったのは、モニカ。その後ろできまり悪そうにモジモジしているクロノスが、引きつった笑顔を向けてきた。

 シャーリーアはリンゴを剥いていたのだろう、顔を上げてこちらを見たまま固まっている。その隣には、見覚えのない剣士風の妖精族セイエス青年がいた。

 綺麗に剥かれたリンゴを片端から口に詰めていたらしい彼は、入ってきた二人を見ると、知己にするように片手を上げて挨拶した。


「……えぇ、どういうことなの」


 インディアが困惑したような声で、後方のカミィを振り返る。つられるようにラディンも見ると、黒い魔族ジェマは光の王と意味深な視線を交わし合い、それから口角を上げて言った。


「狂王の件に関われば、ここに辿り着くのは必然なのさ。とにかく座りなさい。話はそれからだ」

「ちょっと待って、……あの、ロッシェとギアさんについて、あなたなら何か知っているだろうと聞いたんだけど」


 部屋の中に二人の姿はない。さらに言えば、一緒に姿を消したリーバもここにはいないようだが……シャーリーアが平然としているので、そちらは心配ないのだろうけど。

 カミィはインディアの問いにわずかに目を見開き、それから頷いた。


「ああ、二人なら一旦ここで保護し、今はルウィーニを迎えに行くため監獄島へ向かってもらっている。ライヴァンの城には直通の『ゲート』があるはずだから、それほど時間も掛からないだろう」

「――えぇ! 父さんを!?」


 思わぬ名前に驚いてしまい、インディアが何かいうより先にラディンが声を上げる。カミィの真夜中色の瞳がゆっくり細められ、彼はため息をつくように呟いた。


「そうか。おまえが、ルウィーニの息子だったのか……。いろいろ聞きたいこともあるだろうし、話してやりたいこともあるが、王を待たせたまま余所事ばかりを話すのは良くない。まずは座りなさい。今から、最終ディスカッションだ」

「は、はい」


 再度促されて、ラディンはシャーリーアと一緒にいる妖精族セイエス青年の隣に腰掛けた。インディアはその隣に。

 青年はかなり嬉しそうに、ラディンが座ると顔を寄せてきて囁く。


「オレはステイだ、おまえは?」

「ラディンだよ。よろしく、ステイ」

「おゥ! よろしくな! って、痛てててッ」


 そのまま話を続けそうな勢いのステイを耳を摘んで黙らせたのはシャーリーアだ。無言で温かいお茶を回してくれた彼に、ラディンは手を合わせて謝意を示す。今はのんびり自己紹介に花を咲かせている状況ではなさそうだ。


「お邪魔しますね」


 静けさを取り戻した室内に、ラヴァトゥーンが入ってきた。流れのままに視線を向けたシャーリーアが目を見開き、無言でガタリと立ち上がる。手に持っていた果物ナイフが滑り落ち、隣のステイが慌ててそれを避けた。


「おいッ、シャリー! てめー余所見してんじゃねえよ、危ねーだろッ」

「あ……すみません」


 ぼう然自失のシャーリーアは無意識の謝罪を口に乗せ、それを聞いたステイは奇妙なモノでも見るような目で彼を眺めている。床に転がり落ちたナイフを拾い、テーブルに戻して、入ってきた妖精族セイエスを見て眉を寄せた。


「……誰だっけ?」


 ステイの知識と性格を端的に表すような一言だ、とラディンは思った。

 何か思うところでもあるのかクロノスはびくびくとモニカの後ろに隠れようとし、声を失ったシャーリーアは指先で文字か何かをテーブルになぞっている。家主のカミィは苦笑し、光の王は眩しいほどの微笑みをたたえて口を開いた。


「私は、妖精族セイエスの王、ラヴァトゥーンと申します。はじめまして、よろしくお願いしますね」


 ガタリと椅子を押し下げて、今度はステイも立ち上がった。水面に浮かんだ魚のような表情で光の王を指差し口をパクパクしているのを、シャーリーアが見とがめ猛烈な勢いで手の甲を叩き落とす。

 憧れの王を前にすれば、やはり平静ではいられないのだろう。自分は炎の王に会う機会があったらどうするだろう。たぶん顔を見ただけではわからないだろうから、やはりシャーリーアは知識と観察眼がすごいのだなと改めて実感する。

 妖精族セイエス二人が挙動不審から立ち直るまで数十秒ほど待ってから、ラヴァトゥーンは改めて口を開いた。


「ここにあなた方が集った意味、そして私がきた理由は、もうご存知ですよね。これから私が行うのは、です。ここにいる全員で今から少しの間、意識を共有します。たくさんの情報が行き交いますが、実際の時間はわずかでしょう。……クロノス様、少し力を貸してくださいね」

「……うん」


 観念したようにクロノスは頷いて、前に出てくるとラヴァトゥーンの隣に立った。子供の姿ではあるが、彼もれっきとした精霊王なのだと――久しぶりに実感する。彼が力を貸すということは、つまり、時間に関わる何かということになるのだろうか。

 ぬるりと意識の中に何かが入り込んできた。身の回りの光景が溶けるように現実味を失っていき、夢の中独特のあの感覚、上下左右が曖昧な、意識だけが遊離しているような感覚に襲われる。


える映像は各々の精神許容量キャパシティに応じて加減しますが、与えられる情報は同じものです。無理に抵抗をせず、耳を澄ませるような気持ちで意識を集中させてください」


 光の王の言葉が水の膜の向こうから聞こえるような、錯覚を感じた。

 それと同時に届いてきたのは、鼓膜を震わせるのではなく意識の中に閃き渡る、電光のような『声』だった。

 長いような一瞬の、問答がはじまる。




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