[1-2]聖獣の願い


 母が元精霊、父が稀代きだいの魔術師といっても、ラディン自身に魔法の才はない。学問として学ぶほどには興味を持てず、父から学ぶ前に父を奪われたため、封印と聞いて思い浮かぶのは程度のお粗末なイメージだ。

 それでも、精霊と日常的に親交のあった父のおかげで学んだこともあった。


 六種族がとして特別視されるのは、魂を持つのが六つの種族だけだから、という理由がある。人のようなかたちをとり、人の言葉を理解し、人と愛し合うことができる中位精霊であっても、その本質は『魔力の塊に自我こころが宿ったもの』に過ぎないのだという。

 人族と違い、精霊は魂を持たない。つまり何かの要因で身体を壊されたら、何も残すことなく完全消滅してしまうし、当然転生することだってない。

 精霊に縁深い両親を持つだけに、学問的な知識はなくても、そのことをラディンは知っていた。


「もしかしてさ、……あんた自身を、うーん、犠牲に? するものじゃないのかなって」


 上手い表現が思いつかず疑問形になってしまったが、聖獣はラディンの言わんとすることを察したようだ。藍の両目を瞬かせ、それからゆっくり頭を揺らす。


なれは……ルウィーニの子なのだな……』

「うん? 父さんも同じようなこと聞いたの?」


 聖獣の言葉は質問への答えではなかったが、急かしても仕方ないと思って、ラディンはかれの話に合わせてみる。おそらく、思考を人族ひとの言葉にするのが難しいのだ。

 物理的な世界に住む人族と違い、精霊たちは魔力的な世界に住んでいる……らしい。理屈はサッパリだが、自分の右目と左目が見る世界の違いは、人族と精霊たちの世界の違いに似ているのではないだろうか。

 辛抱強く答えを待っていると、しばらくののち聖獣がひとことひとことを確かめるようにゆっくり、話し出した。


われらが身は人にためり、人の望みを叶えるためされるものだ。だが――、そうだな……、汝の問いに正しく答えるとすれば、消滅の可能性はゼロではない、というべきか』

「結果的に人の目的に役立てば、それはってこと? でも……それはなんか嫌だよ」

『――……むぅ』


 思ったままを答えると、白い獣は視線をうつむかせ、思考に沈み込んでしまった。

 可能性はゼロではない、なんて曖昧な言い方をするということは、おそらく聖獣は『瓶の蓋を提供する』立場なのだろう。封印をする術者のやり方次第で、結果が左右されるのかもしれない。

 なるほど――だから、『取り戻してくれ』につながるのか。


「聖獣、つまりさ。父さんなら間違いなく、上手いやり方でできるってことなんだね」

『……おそらく、最良の結末を導けるのは、ルウィーニしかいない』

「わかった。おれにそのやり方はわからないけど、あんたを犠牲になんてしなくていいように、絶対に父さんを連れてくるよ」


 非道を犯した者を塔に閉じ込め、命の限りその自由を奪う。それが法的に相応ふさわしい処遇なのか、ラディンに判断することはできない。正直、何かが違うと思う気持ちも自分の中にはあって、けれど言葉にするにはまだ足りていないのだ。

 だからそういう理由ではなく、両親が親しくしていたこの美しい獣を助けるためだと思えば、迷いなく動ける気がした。

 聖獣はラディンの宣言に藍の目を細め、懐かしむようにしみじみと囁く。


われらを道具ものと割り切る人族は多い。――……が、ルウィーニはわれらを、家族と呼んでくれたのだ』

「父さんが? 母さんの家族みたいなものだから、かな。それとも、生きとし生けるもの全部が家族、みたいな精神……まぁいいや、よくわかんないけど、何となくわかるし」


 記憶の中を探っても、父が怒っている姿はあまり覚えていない。母は感情的で子供っぽいところがあったから、今思い起こすと夫婦というより親子のような空気感もあったと思う。そんな父が選ぶ手段であれば、間違いはない、気がした。

 国王に父の必要性を説明し、父を監獄島から連れ戻し、父を連れてここを訪れ、聖獣と話して方針を決める。言葉にするとシンプルだが、そのための説得を自分がしなくてはいけない……というのは重圧でもある。

 一人では無理なことだ。

 けれど自分には、ギアやエリオーネが味方してくれている。もしかしたらインディアも、国王の説得に口添えしてくれるかもしれないし、国王が決めたことならロッシェだって妨害はしない、だろうし。


『……感謝する』


 ぐるぐる考えていたことが幾らか伝わってしまったのだろうか、聖獣はそう言って深く首を下げた。

 精霊は意識の表層を読むことができるらしいので、やっぱりかれは精霊のような何かなのだろう。そしてこういう物理障壁に左右されない能力を、魔法的というのかもしれない。

 と、そこまで考えてふと思いつく。父が監獄島にいると知っていた聖獣ならば、同じく縁深いであろう母の行方を知っているんじゃなかろうか。


「こっちこそ、ありがとう聖獣。ところでもしかして、母さんの……エティアローゼの居場所も、聖獣にはわかったりするの?」

『エティアローゼは……鱗族シェルクの聖域に、いるようだ。人間族フェルヴァーが――行くのは難しいだろう」


 あまりに想定外な答えに、ラディンは数秒ほど固まってから、つい声を上げてしまった。


鱗族シェルク……って海の中!? 何でそんな所……」

『魔獣の監獄は絶海の孤島だ。エティアローゼは、何とかしてルウィーニに逢いたかったのだろう』

「えー、だとしても父さんだって、海の底には潜れないだろうって言うか、海の底なら会える、……ってことなの?」

『――……む、……』


 意味深な間があった。聖獣を責めたつもりはなかったが、困らせてしまっただろうか。

 ラディンは仕切り直そうと、「とにかく」と言い添える。


「国王陛下の協力があれば、取り戻せるんだよね」

『王権を介せば、踏み込むのは造作ない。門さえ開けば、取り戻すことは可能だ』


 ただ、と、獣は続けた。


『ラスリードと汝は、王権を定められた者らだ。しかしどうか、――戦禍せんかを起こさず、ルウィーニを取り戻してくれないか』


 真摯しんしな藍の目に見つめられ、ラディンは即答できずに返事をためらってしまう。流血や争いが毒になると言ったかれの言葉を思い出し、自分を殺そうとしたロッシェの瞳を思い出す。

 この先に待ち受けているものを、予想することができなかった。

 それでも。


「……約束する」


 相手の出方がどうだとしても、自分は頑張ろうと決意する。理由はわからないがひどく消耗しているらしい聖獣に、これ以上の心労を与えたくはなかった。

 いっそ言葉にしてしまえば、覚悟だって決まるというものだ。

 聖獣が、長い首を深く垂れる。そして続けた。


『近い内に、が汝の元を訪れるはずだ。われらで不十分な説明は、彼に求めてくれ』

「うん、ありがとう」

『感謝する。汝に順風の追い風と、幸運が有るように。それではわれは暇乞いをさせてもらおう』


 答えを返すと聖獣は安心したように頭を上げ、ゆるり背を向けた。白い体躯たいくが波打ち際まで歩を進め、ぱしゃりと水を踏んで立ち止まる。


「本当に、ありがとう!」


 ラディンが叫んで手を振ると、獣は振り返り、もう一度だけ頭を下げた。そして、波間に溶けるように消えて行った。

 しばしの間その余韻を見送っていたラディンだったが、いつの間にか陽が高くなっていることに気づき、黙って拳を握る。やるべきことは決まったし、覚悟も決めた。もう、ロッシェに怯えているわけにはいかない。

 できればフェトゥースとは衝突したくないが、もし分かり合えないとしても――向き合うしかないのだ。


「さて、どうしよか」


 独白のように呟いて、ラディンはひとまずは村へ帰ろうと歩き出す。



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