[1-3]告死鳥の領域


 ラディンが村に戻ったのはまだ早朝と言っていい時間だったが、村ではすでに人々が慌ただしく活動を始めていた。獣人族ナーウェアの朝は早いんだな、と呑気に考えたラディンだったが、どうも理由はそれだけではないらしい。


「ラディンー――っ!」


 村に入った途端、向こうからパティロが駆けてきた。のんびり屋の彼にしては珍しく、頬が紅潮するほどの全速力でだ。必然、ラディンの胸に悪い予感が湧き起こる。


「どうしたのさ、パティ」

「ラディン、大変だよぅ。ギアと、ロッシェさんが、いなくなっちゃった!」

「えっ」


 ハァハァと荒い呼吸を整えながら、パティロが補足の説明を加えてくれる。


「あのね……、なんか、足跡とか見るとラディンより早く村を出たみたいなんだけど、見張りのオジサンたちは気づかなかったって……。ラディンは、一緒じゃなかったんだよね?」

「アニキとは約束してたけど、時間になっても来なかったんだ」


 言葉にすると、一気に不穏さが加速した。せめて様子を確認してから出れば良かったと、後悔が募る。そこへ、パティロの父親とフォクナーが走ってきた。


「ラディン君! 良かった、無事だったんだね」

「おれは何も問題なかったよ。無事に聖獣とも会えたし。それより、ギアたちがいないって」

「そうなんだよ」


 頷いて答えるパティロ父の表情は険しい。


「足跡と匂いが水鏡みかがみ湖のほうへ続いていた。それだけでなく、血の匂いが……今はだいぶ薄まっているけど、湖のほうから流れてきたから、心配で」

「ボク、森に捜しに行くって言ったんだけどさー、シツゲドリが出るっていうからさぁ」


 何やらモジモジしていると思ったら、フォクナーはまだ死告鳥に怯えているのか。

 湖にはさっきまでいたが、ラディンは何も気づかなかった。獣人族ナーウェアの感覚の鋭さはやはり桁違いのようだ。


「おれ、湖に行ったけど、死告鳥なんていなかったよ。ユニコーンならいたけど」


 フォクナーを安心させようとそう言ったら、パティロ父が怖い顔をする。


「死告鳥はいるよ、この森に。湖から向こうはの領域だから、入っちゃいけない」

「え、本当に!?」


 御伽噺おとぎばなしではなく、実話伝承だったのだろうか。ラディンは悪寒に背中を撫でられて表情を引きつらせ、フォクナーは震えながら長杖を両手でしっかり握りしめている。

 パティロだけは動じた様子なく、父を見あげて首を傾げた。


「父さん、シツゲドリって精霊さんなの?」

「うーん……、どうだろうね? 禁忌を破って村にわざわいが降りかかったら困るから、誰も湖に近づきたがらないし、詳しく調べたこともないんだよ」


 困ったね、と呟いて顔を見合わせている狼父子を見ながら、ラディンは考えた。もしかして死告鳥とは、狂王のことだろうか。村と湖はかなり近いし、方向的にも貴石の塔がある場所と『死告鳥の領域』とは重なるように思う。

 伝承や御伽噺おとぎばなしには大抵、何らかの真相が隠されているものだ。


「そっかぁ。……ラディンは、捜しに行く?」

「え、あぁ、うん」


 あれこれと思考を巡らせていたら、パティロがこちらを見あげて尋ねてきた。が、傍らに立つパティロ父がそれを許しそうにない雰囲気だったので、つい中途半端な返事になる。

 湖の場所なら覚えてはいるが、さっきまでいたのに見なかったのだから、二人は別の場所に向かったに違いない。

 貴石の塔か。それとも、他のどこかか。

 聖獣が言っていた流血沙汰とパティロ父が言う血の匂いは、同じものだろう。二人はどこへ、何をしに出掛けたのか、はたして無事なのか、ここでぐるぐる考えていてもわかるはずがない。


「ラディン君!」


 甲高く強い声に意識を叩かれ、振り返れば、インディアがこちらに走ってくるところだった。手には魔術杖を持ち、しっかり旅装に着替えている。

 彼女は来るなりラディンに詰め寄って、叫んだ。


「馬鹿な男二人が深夜に帯剣してこっそり抜け出して、湖に行ってすることって何だと思う!?」

「え……っと、することって……?」


 唐突な振りと彼女の剣幕にたじろぎながら、ラディンは何か答えようとするも、何と言えばいいのかわからない。魔物退治や探索といった感じではないし、彼女はひどく怒ってはいるが悲しそうに見えたからだ。

 言葉に詰まるラディンを見あげ、インディアが泣きそうにきゅっと眉を寄せる。


「わからないなら、キミは馬鹿じゃないわ、良かった。――さあ、行きましょう!」

「行く、ってインディアさん! 行き先わかってるの?」


 ぐいと手をつかまれ、引きずられる。その様子をぼう然と見ていたのだろうパティロ父が、彼女の台詞を聞いて慌てたように二人の前へと回り込んだ。

 困惑を顔いっぱいに映し、わたわたと両手を振っている。


「行くってどこへ」

「決まってるでしょ、湖よ」

「待ってくれ、招かれてもいない者が湖に行くのは」

「だったらあなたたちは、二人を見捨てろって言うの!?」


 意志の強いとび色の双眸が苛烈な光を放つ。

 魔術職にある彼女は、村の事情も理解しているのだろう。それでも、彼女の瞳は怯まなかった。


「王族とか貴族とか、そんな肩書きに振り回される男たちは馬鹿だわ! 見栄に命をかけて何になるっていうの。曲げるくらいなら死んだほうがマシだなんて、時代錯誤もいいとこよ。死んでしまったら、わかり合うことだってできなくなるのに……」


 彼女の迫力に言葉を失って道を空けてしまったパティロ父を後にし、ラディンはインディアに引きずられながら森へと向かう。

 彼女の代わりに振り向き、パティロに小さく手を振っておいた。任せて、と口パクで言ったのは、パティロに通じたようだ。二人がどこへ向かったにしろ、こんな状態のインディアを一人で行かせるわけにはいかない。


「インディアさん」


 振り返りもしないで、ずんずんと森の奥に向かって歩くインディアの背に、そっと呼び掛けてみる。

 ロッシェをよく知っているに違いない彼女は、きっと最悪の結末を想像しているのだろう。現時点ではラディンも状況はわからないが、おそらく――最悪には至っていない、はずなのだ。

 振り返らない背中から、震える声が返る。


「巻き込んでごめん、――でも、捜しに行きたいのよ。何もできなくても、ただ待ってるだけに甘んじて、何かできたはずなのにしなかったなんて後悔するのは、嫌なの」


 泣きだす寸前のような声なのに、彼女は泣いたりはしなかった。

 長いローブと華奢きゃしゃな手足では歩きづらいだろう森の中を、魔術杖で枝葉をぎ払いながら進んで行く。


「うん、わかった。インディアさん、おれ、湖の場所を知ってるから」


 小柄な彼女の小さな手が傷ついていくのが痛々しくて、それ以上に傷ついている彼女の心が痛々しくて、ラディンは自分の指をつかんでいた彼女の手を握り返し、立ち止まる。ぐ、と腕を引かれるような感覚があり、彼女の歩みが止まった。


「案内するよ。聖獣が、流血があったけど人は死んでないって言ってたんだ。もしかしたら、アニキとロッシェさんかも」


 ようやく振り返った彼女の瞳には涙が浮かんでいて、ひどく頼りなく見えた。互いに自然と手が離れ、ラディンは湖の方角へ向かおうと振り返った。――その、瞬間。

 ふわりとかすかに鼻腔をくすぐる、甘い香りを感じた。くらり、と視界が揺らぐ。

 通り過ぎた風に明らかな変質を感じとり、ラディンは思わず瞳を巡らせて周囲を確認しようとした。そして、異変に気づいた。


「チェアリーの樹? いつに間におれたち、こんな所まで」

「え、嘘」


 さっきまでの表情こそ嘘のような鋭さで瞳に警戒をたぎらせ、インディアが魔術杖を掲げて辺りを見回す。

 森の中という環境に慣れておらず、位置関係や距離感がわかりにくくはあるのだが……これは、そういうものではない。


 ざわ、と。

 森の空気が変化した。

 嫌悪とか恐怖ではない、畏敬――? そんな強い感情が、周囲を満たしていくようだった。

 それが森の精霊たちからのものだと、漠然と気づく。


 空間が変だった。魔法的な知識に疎いラディンでは上手く説明できないが、異質というか、とにかく違和感があるのだ。

 視界の端で景色がぶれる。その奇妙さに思わず二三度瞬きをして、気がついた。

 桜の巨木の下、幻想的に花弁が舞い落ちるその場所に、ひとつのが出現していた。それは音もなく動き、空間に隙間が開いてゆく。


 白い手が現れて、扉をゆっくりと押し開けた。そこをするりと通り抜けて現れたのは、長い金の髪を背に流した細身の人物だ。先のとがった長い耳は妖精族セイエスの証で、まだ成年に達していないだろう若い男性に見える。

 予想外どころか超常的な現象を眼前で見せられ然としていたラディンとインディアの前にその人は近づくと、懐っこくにこりと微笑んだ。


「貴方に会えて嬉しく思います。トゥリアの瞳を持つ者よ、そして大地の魔力を持つ魔術師よ。私は、ラヴァトゥーンと申します。ラヴァ、と気軽に呼んでくださいね」


 年の頃はラディンとそれほど変わらなさそうな優顔の妖精族セイエスは礼儀正しくそう名乗り、二人に対して優雅に頭を下げたのだった。



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