+ Scenario4 狂王対決編 +

1.聖獣と告死鳥

[1-1]真白き聖獣


 がばりと、飛び起きる。


 窓の外にはまだ濃い闇が満ちていて、割れた雲間から差す月光がいやに明るい。

 二、三度慌ただしく瞬きをし、上半身を起こす。同じ部屋に寝ているフォクナーの規則正しい寝息が聞こえた。

 未明の時刻にはまだ早い。熟睡力の高いフォクナーのことだから少しの物音で起きたりはしなさそうだけれど、念のために息を潜めて着替えをし、森へゆく支度を整える。

 そろそろギアが迎えにくるだろうか、と期待しながらの準備だったが、時間だけがゆるやかに過ぎてゆく。


 どうしよう、部屋まで迎えに行こうか。

 ふわっと浮かんだ考えを、頭を振って払い除けた。昨晩の宴でギアは深夜まで飲まされていたし、ここまでずっと神経を張り詰めっぱなしだったに違いないのだ。起きられず眠っているのなら、休んでいてもらいたい。


「アニキも、疲れてるもんな」


 自分に言い聞かせるように呟くと、気合を入れてまっすぐに立つ。

 白月の森の精霊たちが自分に味方してくれるだろうことは、昨日の件で十分に思い知った。だからきっと、大丈夫。


 夜明け間近の空は青みを帯びて白んできており、村の入り口にある見張り小屋からは細い煙が立ち上っている。

 聖獣に会うという話は昨日のうちに村の長へ通してあるので、黙って出て行っても引き止められることはないだろうけど、やっぱり少しどころかかなり緊張する。

 雷獣ライレットは、日の出の時間に来れば聖獣に会えると言っていた。

 精霊たちの語り方は独特で意味をつかむのが難しいけれど、場所はチェアリーの樹で間違いないだろうか。


 聖獣が何者かを、ラディンは知らない。宴で盛り上がっていた村人たちにも聞けなかった。何のために会うのかも明確にわかっているわけではない。

 それでも何かに呼ばれるような胸の高鳴りがあって、会うべき理由を疑う気持ちは起きなかった。


 境界の柵を越え、森の中に踏み込んだ途端。ぼうっと青白く輝く小さな光の球が現われた。ウィスプと呼ばれる光の下位精霊だ。

 ウィスプは、ラディンを先導するかのように足元と周りを照らしながら、ふよふよと森の奥へ漂ってゆく。見失わないよう足を早めつつ追って行くと、やがて不意に視界が開けた。思わず、息を飲む。

 白々と透明感を増してゆく空に漂う朝霧の下、幻想的に浮かびあがる大きな湖が広がっていた。


 ――ぱしゃり。


 水音のような音が聞こえて、ラディンは反射的にそちらを見やる。

 そして再度息を呑んだ。

 大きな大きな、白い獣だった。長い前髪の間から際立つ額の一本角。首から背にかけ流れる、真白な長いたてがみ。


一角獣ユニコーン……?」

今宵こよいは、騒がしい夜だ』


 獣がそう、言葉を発した。

 鼓膜を通して届く肉声とは違う、イメージをそのまま受け取った、という感覚に近い。


『来たか、……トゥリアの息子。真実の瞳を持つ者』

「あんたが、聖獣……?」


 押し出すようなラディンの声は震えていた。怖い、とか、嫌い、とかではなく、極度の緊張ゆえに。


如何いかにも。われはいにしえよりこの地に住まう者。――聖獣と言うのは、人が呼んだ名だが』


 言葉を返して二歩、三歩。歩み寄るほどに白い獣は大きく、美しかった。思わず後退りしそうになるのをラディンは懸命に堪える。

 腕を伸ばせば触れるほどまで距離を詰め、獣は歩みを止めた。白く長い前髪の間から覗く深い藍色の瞳が、ラディンをじっと見据えている。


『人とは面倒な生き物だな』


 獣が落とした呟きに、思わず「え」と聞き返したラディンだったが、聖獣は首を傾けただけで続きは言わず、代わりに藍の目を懐かしそうに細めて囁いた。


なれはルウィーニより、ラスリードに似ている。名は、何と言ったか』

「ラディン、だよ」

奇跡の恵みを受けし宝ラヴェリア・ディア・ラー・ウィン。そうか』


 二度目ともなればラディンにだってわかってくる。あの火蜥蜴サラマンドラも、この聖獣も、ラディンの名に込められた意味に気づいていたのだ。共通語コモンではない響きはラディンには理解の及ばないものだったが、そこに両親の深い愛情を感じてつい涙腺がゆるみそうになる。

 ここは、母が元々住んでいた森だという。

 と、いうことは。


「あんたは、父さんと母さんを知ってるんだね」

『知っているとも。トゥリア……エティアローゼも、ルウィーニも、ラスリードも……われには縁深い者らだ』

「おれをここへ呼んだのは、何の」


 何のために、と問うつもりだった言葉が、喉の奥につかえた。まっすぐ自分を見つめる藍の瞳が何を願っているのか、直感のようにわかってしまったからだ。

 それが『真実の瞳トゥリアル・アイズ』の力なのか、人と精霊の狭間に産まれた者としての勘なのかまではわからないとしても。


「何のため、じゃないや。おれは、……おれでも、あんたの役に立てるの?」


 確かめるつもりで、問いの形で尋ねてみる。獣は藍の両目を二度三度と瞬かせ、ゆるりと首を傾げた。


『役立てなどと……われはそのような横柄な望みは言わぬ。ただ、吾は、吾らは……なんじらに幸せであって欲しい』


 なぜだろう。宝石細工のようなその瞳に、涙が浮かんでいるように思えたのは。

 聖獣は、もしかして精霊なのだろうか。魔法方面に疎すぎて思考の取っ掛かりも得られないが、獣というには感情豊かで、理知的なこの存在は――いったいどういう存在ものなのだろうか。


「つらいの? 聖獣」

『……なれは、やはりルウィーニの子なのだな』


 何となく感じたことを言葉にのせれば、聖獣はしみじみと懐かしむように目を伏せる。


『ひとの争い、流血……われにはそれが毒になる。流血や殺戮さつりくが増しゆけば、病に似た痛みが襲う。――今しがたも、此処ここで闘争が牙を剥き、汀が血を吸った』

「え、流血って」

が収めたゆえ、命はうしなわれずに済んだ。だが、われは、もう――……。ゆえに、ラディン、吾らが愛子いとしごよ。ルウィーニを取り戻してくれ』


 こんな森の奥深く、いったい誰が何のために争いごとを起こしたのだろう。起きてこなかったギアを思い、疑問が不安をかき立てる。

 誰も死んでいないと聖獣は言ったが……番人って誰だろう。獣人族ナーウェアの村に帰れば、わかるのだろうか。

 気になることはいろいろあるが、今は後回しだ。ラディンはしっかり顔を上げ、聖獣を見返して強く答える。

 

「その願いは、おれの目指すものとおんなじだよ。だから、聖獣、安心して。おれは必ず父さんを取り戻す。そうしたら、あんたのために父さんをここに……この森に、連れてくればいいんだね?」

『ああ、……頼む』


 獣は伏せていた目を細く開き、再び閉じてゆるく首を振った。それはどこか、人が言葉に迷って悩む姿に似ている。


われは、貴石の塔の管理を仕損じたのだ。嗚呼ああ――どこから話せば良いのか……。吾の望みは、ルウィーニへとつながっているのだ、ラディン。狂王を封じることも、エティアローゼを救うことも、ルウィーニでなければせぬことなのだ。しかし、吾らは彼を取り戻すすべを持たない――……』

「貴石の塔の管理? え、それって」


 ポツポツと苦悩に満ちた言葉を落とすこの獣が、狂王を閉じ込めていた……ということなのだろうか。突っ込んで聞きたいところだったけれど、段々とラディンもわかってきた。森で会った精霊たちと同じく、聖獣もまた人語が得意ではないのだと。

 何にしても、封印の鍵を握っているのが父であることはわかった。

 この事実は、国王陛下と交渉する時の切り札になるのではないだろうか。


「わかった、聖獣。狂王の件は父さんを取り戻してから、一緒に考えよう。実はもう、手は打ってあるんだ。だから安心してよ」

『感謝する、ラディン。ならばわれは持てる力と命を尽くし、の者を封じよう』


 ありがとう、と言いかけて、ためらう。

 持てる力はわかるけれど、命を――って、どういうことなのだろうか。

 そもそも、流血や闘争が苦手だという聖獣が、まるでその化身のような狂王を封印する、ということは、つまり……?


 浮かんだ考えに魔法の学問的な根拠はなかったけれど、聞き流すことはできず、ラディンは思わず聞き返していた。


「あの、聖獣。狂王を封印する手段ってさ、もしかして――、」



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