[7-3]黒い翼の彼女


 そういえば、とシャーリーアは思う。

 ここまで来ても軟化しないリティウスの態度には既視感がある。思い返せばエリオーネも、ニーサスへの警戒心が強かった。本能が優れている獣人族ナーウェアは、言葉の説得力より自身の五感や直感を信じるものなのかもしれない。


 カミィがどんな人物だったとしても、こちら側には精霊王であるクロノスがいる。肝心な時に頼りにならない疑惑のある彼だが、をつかさどるだけに危険感知インスピレーションの能力は間違いないはずだ。だから大丈夫だろう……とシャーリーアは判断しているのだが、それをリティウスに伝えられないのは残念だ。

 不審なモノを見張るようにカミィを目で追っているリティウスを見て、同じく魔族ジェマであるエアフィーラが彼にとって特別な存在なのだろうと察する。なるほど、この警戒心にはいくらか嫉妬心も含まれているのかもしれない。


 不粋な詮索をするつもりはないので、シャーリーアは別の、気になっていたことを尋ねてみることにした。


「失礼かも知れませんが……リティウスさんは、雪豹の部族なんですか?」


 青みがかった白髪はくはつに埋もれる小振りの獣耳と、時折り心情を映してひくつく尻尾はともに、白毛に薄い金斑が描かれている。雪豹なのか、普通の豹なのか、見た目だけでは区別できなかった。

 ずっと気になってはいたのだが、本人に直接尋ねていいものか決めかねていたのだ。


 はたしてリティウスは、気分を害した様子はなく、しかし幾らか瞳をかげらせて答える。


「……オレは、アルビノで。……色素が薄い。そういうわけだ」

「なるほど。それで、あまり身体が丈夫ではない、というわけですか」


 内心の驚きを気取られないよう注意しつつも、シャーリーアは納得した気分でリティウスに応じた。黒色色素の欠乏であるアルビノは、闇精霊力の欠乏に由来すると考えられている。鳥や動物に時々見られる先天性の色素異常だが、人族にも起こりうるのだというのをはじめて知った。

 個々の体色は各自の属性――個人の体内で最も主軸になっている精霊力に影響されるので、似たような白毛だとしてもパティロは正常カラーということになる。水属性は雪の要素を包含しており、パティロは雪の精霊力が強いらしいからだ。


 リティウスは風属性らしいので、本来の正常カラーは青系統。言わなければわからないことではあるが、アルビノは体内の精霊力バランスが偏っているということであり、抵抗力や回復力に劣ってしまう。無理をしなくて済むよう、仲間の理解を得るのは大切だ。

 それなのに、同伴があの体力バカなステイと、あの毒無効体質なエアフィーラ。

 ……これは。


「いつもステイが、申し訳ありません……」


 彼が毎日どれだけの苦労と心労にさらされているのかを改めて思い知り、シャーリーアは謝らねばという強迫観念に駆られる。冷静に考えれば今の彼らと自分は無関係なのだが、冷静に考えれば考えるほど境遇の不憫さに泣けてしまいそうでもある。

 リティウスは苦笑し、それから深い深いため息をついた。


「……これも、経験だしな。それに、ステイはオレの弟捜しを手伝ってくれていて、感謝もしてるんだ」

「……そうなんですね」


 テーブルのほうには、ルイズが出してくれたお菓子を頬張りながら楽しげに盛り上がっている、ステイとモニカが見える。あんなふうに面白おかしく生きられたら、どんなにか楽だろう……と思ったところで、エアフィーラと話し込んでいたカミィが不意に顔を上げ、発言した。


「ここに翼族ザナリールはいない。心配せず、出てきなさい」


 ステイとモニカまでもが食べるのをやめ、彼を注視するほどの唐突さ。傍らのリティウスがぴくりと耳を動かしたので、シャーリーアはカミィが声を掛けた相手が彼の聞いたの主であると気づく。

 少しののち、カミィがかぶせるように、言葉を続けた。


「迷いの結界が解けたとはいえ、独りで森を通り抜けるのは無謀すぎる。私も、ルイズも、許さないよ」

「わかっています。でも……」


 部屋を仕切る扉の向こう、返る声は平坦な、女声ソプラノ

 森に囁く葉ずれのように密やかな声だった。足音も、気配も、まるで息を潜めるかのように。静かに開けられた扉を自然と全員が注視する。

 ゆっくりとした足取りで入ってきた女性を見て、皆が思わず息を呑んだのがわかった。


「私は、あの子を捜さねばなりません」


 伏せがちな夜の瞳。長くまっすぐな黒髪を飾り気ない革紐で一括りに束ね、地味な旅装を身に纏った、黒い翼の。


「アルティメット」

「森に迷った私を助けてくださった上、ここに住ませてくださったことは、感謝してもし切れるものではありません。でも私は、この森で会った獣人族ナーウェアの子を捜さなくては。結界が解けた今なら……」


 カミィの穏やかな制止を振り切るように、彼女は静かながらも強い声で言い募っていた。

 二人の会話の中になぜか覚えのある内容を聞き取って、シャーリーアの思考回路がフル回転をはじめる。森で会った獣人族ナーウェアの子、黒い羽根の翼族ザナリール、アルティメットという名前――。


「――ッあぁ!」


 素っ頓狂な大声が浮上しかけていた記憶を吹き飛ばした。椅子から立ったステイが驚きに目をみはって、女性を見つめている。人差し指をまっすぐ彼女に突きつけて、シャーリーアが止める隙もなく彼は叫んだ。


翼族ザナリール!? それも黒い翼なんて珍しいな!」

「――――っ、…………っ!」


 場の空気が、凍りつくどころか真空状態になったようだと、シャーリーアは思った。誰も何も話さないし、動けない。

 キラキラと目を輝かせているステイとは対照的に、指を差された彼女は怯えたように目を見開いて、わずかに広げた黒翼を震わせている。

 その光景はまるで舞台の演者のようで。本当に喜劇の一種だったらどんなに良かっただろう、と考えてしまうほどには、論理的思考は中断されて分断されて寸断されて、挙句、細分化されてしまったのかもしれない。


 不自然な静寂に気づいた様子もなく、ステイは一度目を瞬かせ、それからシャーリーアを振り返った。


「あれ、翼族ザナリールって風だけじゃなかったっけ? なあ、シャリー。……ってか、おまえも何か髪色変わったよなー、染めてんの?」


 こんな状況で話を振られただけでも破裂しそうだった心臓が、ついにひび割れた、ような錯覚を覚えた。

 眼前に赤と黒の光がフラッシュし、動悸が激しくなるのに、血の気が引いていく。――髪色が変わったなんて、当たり前だ、この身体は一度死んだのだ。元の風を塗り替える闇の精霊力で、一時的にながらえていたに過ぎなくて。

 ぐらぐらと視界が回る。喉の圧迫感は泣きだす寸前に似ていた。

 世の中には、あえて触れないほうが良い事実というものがあるのだと……教えておけば良かった。


 誰にだって、どう説明すればいいかわからない理不尽はあるのだから。

 その事実を突きつけられて平然としてられるほど、すべての人が君みたいに――強いわけじゃない。


 こみ上げてきたどす黒い怒りが限界を超えて、爆発しそうになる直前。

 声を発したのは、わずかにステイの方が早かった。



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