[5-3]精霊たちの愛し子


 樹霊リーフィのいた場所の後方には簡素な香壇がしつらえてあり、その上には乾燥した植物の束が燻っていた。パティロがハンカチで鼻を押さえたままギアと場所を交代し、ギアは軽く地面を掘って香壇の上に土をかぶせていく。


「よし、これならもう煙は出ねえだろう」

「何これ、焼きイチゴ?」


 ラディンも近づいて覗き込み、周囲に散らばっているイチゴに気がついた。そういえばさっきギアが、マヨイイチゴとか言っていたような気がする。

 ギアはそれをブーツのつま先で集め、さっき掘った穴に埋めながら言った。


「このイチゴはな、平衡感覚や方向感覚を狂わす毒を持ってるんだ。火を通せば毒成分は追い出せるが、適切に処理しねえと蒸気に混じって大変なことになる。魔術式と組み合わせて迷いの森を演出してたんだろなぁ」

「なるほどー。じゃ、もう結界は解けたってこと?」

「確言はしないが恐らくは、な。だからって森が危険なのは変わんねーから、勝手な行動してはぐれるなよ? フォクナー」


 埋めた穴を踏み固めながら呼び掛けたギアの声に、答えがない。ハッとしたように素早く辺りを見回したギアの顔が一気に蒼ざめた。


「いない、だと!?」

「……そういえば君らが地図を書いてた時、フォクナー君が暇を持て余してて、探索に行こうと隙をうかがってたって、話したっけ?」


 慌てたように皆が周囲を探しはじめる中で、ロッシェだけが余裕の表情を保っている。ギアが軽くひと睨みし、散開しかけていた全員を呼び集めた。こうなったらもう、方針を変更するしかないだろう。


「道理でなんか静かだと思った」


 ラディンが率直な感想を言えば、ギアからは魂でも抜けてしまいそうなほど深く重いため息が返ってきた。今にも崩れ落ちそうなアニキを心配してオロオロしていると、インディアが長い杖で地面をトンと叩き、発言する。


「とにかく、捜しにいきましょ? 地図を書いてた時にはロッシェが見てるんだから、それまでは確かにいたんだし。さっきの場所に戻りましょうよ」

「だな、……しかし元の場所ったって、魔法が解けてるからどれが元かもわからねぇ……イヤ、元々モトなんてなかったしなア。ん? 俺、何言ってんだ?」


 ギアの混乱がひどい。しかしインディアは動じない。


「あたしが【道標アースフィンガー】の魔法使えるから大丈夫よ。そこから、足跡探すなりパティロ君に匂い辿ってもらうなり、どうにかしましょ」


 土属魔法の【道標アースフィンガー】は目的地の方向を示す魔法だ。サクサクと仕切る彼女に助けられて、ギアもようやく気力を取り戻したのだろう。


「わかった、戻るか! あのヤロウ、取っ捕まえたらがっつり説教して、それからパティロを村に送り届けて、今夜は村に泊めてもらおうぜ。調査はもう明日以降でいいだろ」

「それでいいと思うわ。夜の森はさすがに危険だもの」


 方針を決める大人二人の会話を聞きながら、ラディンはひっそりとため息をつく。真実を見分ける瞳といっても、フォクナーがどこへ行ったまでは見抜けない。ロッシェが嘘を言ってないと分かったのは、良かったと思えるが……。

 インディアの魔法を導きに来た道を逆に辿ってゆく。

 その途中で、何か赤い影がラディンの目の前を駆け抜けていった。


「え?」

『お?』


 思わず足を止めたラディンと一緒に、それも歩みを止める。全身を炎に覆われた大きなトカゲのような生き物――いや、精霊?

 尾の先端をマヨイイチゴの束に巻きつけて、どこかへ運んで行く途中のようだった。


『うへ、本物やァ!』

「え、おれ?」


 トテトテと近づいてきた炎獣が、ルビーのような瞳でラディンをしげしげと眺めている。さっきの樹霊リーフィといい、自分は精霊たちの間で噂の種にでもなっているのだろうか。


火蜥蜴サラマンドラだねぇ」


 音もなく隣にきたロッシェが小声で言った。名を聞けば誰でもわかるような、なじみ深い炎の下位精霊。火の気がある場所ならどこにでもいるが、こんなふうに実体化しているのは珍しい。

 先を行っていたギアとインディア、ロッシェのそばにいたパティロも集まってくる。ギアは目ざとく、火蜥蜴サラマンドラが持参していたマヨイイチゴに気がついたようだ。


「ダンナ、それをどうするんだい?」

『契約なン。結界張るンりゃと。それよりオマエ、例のアレやにゃ?』


 一般的に、下位精霊は人語が苦手だという。結界を維持するために精霊たちが使役されていたことはわかったが、例のアレがわからない。

 チラと視線を傾けてみたが、ギアの表情にも困惑が浮かんでいる。


「ダンナ、その契約は破棄になったからさ。行けばわかると思うが、樹霊リーフィは森を元に戻したって言ってたぜ」

『あよ? そりゃ良かったン。でよ、アレのカレな、なんてン?』


 火蜥蜴サラマンドラの知りたいことがよくわからない。ラディンがギアと目で相談し合っていると、隣でロッシェがポツリと言った。


「〝真実の瞳〟を持つ者なら、ラディンって名前だよ」

『ラディン!』


 我が意を得たりといったふうに、火蜥蜴サラマンドラの尻尾が枯れ草積もる地面をパシリと叩いた。軽く火の粉が舞って消えてゆく。


奇跡の恵みを受けし宝ラヴェリア・ディア・ラー・ウィン。そやったにゃ。おっきくなったンみゃア』

「もしかして、母さんを知ってるの?」


 人語としては崩壊しているが、この火蜥蜴サラマンドラとは人並みの会話が望めそうだ。一つの可能性に思い至り、ラディンはしゃがみ込んで炎獣のルビーみたいな瞳と視線を合わせる。


『ンよ。トゥリアとワレらは同森のだよがみゃ、ワレらはオマエにょ見守るっつぅ約束してるンみゃ。契約とか約定やないンて、拘束力ないがみょ』

「そうだったんだ」


 思いがけない事実を知って言葉にならない想いがせり上がり、ラディンはしばらく無言で火蜥蜴サラマンドラを見つめていた。だからさっきの樹霊リーフィも、あんなに好意的に接してくれたのだ。

 ギアが隣に屈んでラディンに耳打ちする。


「マズかったらスルーしてくれていいんだが、おまえの母さんって今どこにいるんだ?」

「行方不明。父さんが連れて行かれて少し経ってから、いなくなっちゃったんだ」

「そうか……」


 今思えば納得なのだが、母はどこかふわふわしていて、気まぐれなところがあったように思う。あれは、人とは違う精霊の気質だったのだろう。

 気まずそうに眉を寄せたギアに「気にしないで」と伝え、ラディンは火蜥蜴サラマンドラへと向き直った。


「母さんは、エティアローゼ。今どこにいるかわからなくて……無事なのは確かなんだけど、おれじゃ捜せなくて。誰か、知ってるひといないかな?」

『そーや、見てないみゃ、トゥリア』


 ムゥと考え込んだ火蜥蜴サラマンドラだったが、すぐに何かを思いついたのか顔を上げた。


『旦那はどうしたにゃ?』

「父さんは……」


 答えに詰まるラディンを問い詰めることはせずに、火蜥蜴サラマンドラは言葉を続ける。


『「ナマエ」をくれた人族ヒトなら、繋がってン。どんな遠く在っても、精霊の心は愛した者と共にアリよ』

「どんなに、離れてても?」

『精霊の遠近のカンカクは、距離やないン。心がどれだけ近いかどうかみゃ』

「……ダンナ、詳しいなア」


 思わず、といったふうに呟いたギアのほうを見ると、火蜥蜴サラマンドラは後脚で立ち上がって得意げに胸をそらせた。


『ワレは、難しィコトわからン。長く在れりゃ、ワレな小精霊てもいろいろ知れるみゃ』

「なるほど。ところで俺たち今、人捜してンだけどさ、ちっこい妖精族セイエスの精霊使いが、この辺うろうろしてなかったかい?」


 ギアは今の話で閃いたのだろう、さすがの機転だ。火蜥蜴サラマンドラは目をパチクリさせ、ギアを見上げて首を傾げた。


『さっき会ったアレかン? ンにゃ、雷獣ライレットのチビとつるんでたみゃナ。まだその辺におんン?』

雷獣ライレットって、あいつ……どこまでオトモダチの輪を広げてやがる」


 雷獣ライレットは、小規模の雷撃を操るイタチに似た金色の獣だ。妖精族セイエスは光の民でもあるので、フォクナーとの相性がいいのだろう。

 下位とはいえこの森を熟知した精霊が同伴しているなら、いくらか安心できるというものだ。安堵と憔悴しょうすいが入り混じったようなギアの表情を見て、火蜥蜴サラマンドラはカカカと笑う。


『アレァ、精霊に愛される魂持ってン。スナオでイキオイあっておもしれィのア。んア心配げでもなさそミにゃ?』

「そう言われてもな」

『オトナは大変やノ。ワレはそろそろ行こユみゅ、ンやラディン、元気でにゃ』

「あっうん、ありがとう!」


 慌ててお礼を口にするも、火蜥蜴サラマンドラは来た時と同じくあっという間に走り去ってしまった。思わぬ有力情報ではあるが、本人フォクナーを発見できたわけではないので、やること自体は変わらない。

 行くか、と歩き出そうとしたギアが不意に足を止め、振り返ってロッシェを見た。ピリリと肌を刺すような緊張感が二人の間に張り詰める。


「さて、結界は消えたぜロッシェ。俺たちはフォクナーを捜してパティロを村に送り届けてから、調査を再開する予定だが……おまえはどうする?」

「……どうする、とは?」


 冷えた応答にはわずかだが敵意も含められていて、ただならぬ雰囲気を感じたインディアがパティロの手を引き後方へ下がった。双方ともに無言の合間、風が森の樹々の葉を騒がせながら通り抜けてゆく。

 この森はラディンの母が住んでいた場所であり、ここの精霊たちはみなラディンの味方だ。で、あれば。に殺意を抱く者が好意をもって迎えられるはずない。


「もし、あんたが、独りの方がやりやすいなら――止めねぇぜ」


 ギアにしては珍しい挑発めいた言い方に、ロッシェが目を細めて睨み返す。


「僕は君らと行くさ。君らがフェトゥースにとって害なす者なら、僕はそれを看過することはできない。それでも、君らがフェトゥースの役に立つなら、利用させてもらうよ。それが、僕のやり方だ」

「ロッシェ……」


 悲しげにインディアが声を落とす。ギアは黙って彼女を見、ロッシェを見返して、あきらめたようにため息をついた。


「あんたがそこまでこっちを警戒する理由が俺にはわからねえが……わかった、もうそれでいい。だが俺としても、あんたが悪意をもって邪魔立てするなら容赦はしない。いいな?」

「ああ、肝に銘じておこう」


 からっぽの微笑みを浮かべた彼の目は怖いなと、ラディンは思った。

 城で得体のしれぬ憎しみを向けられた時は、死ぬかもしれないという恐怖を感じたが、あの時と今とでは決定的に何かが違う気がした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る