[5-2]結界の起点へ


 上空から見た貴石の塔はその名称の通り、白い壁面に大小様々の宝石が模様を描くように埋め込まれた美しい尖塔だった。ラディンの左目で見ると魔力を帯びているそれは、何かの効果を持つ魔石なのかもしれない。窓もあるが、ここからでは中まで見えなかった。


 塔の周囲の木は元々、切り倒されていたのだろう。長らく手入れされなかったため下草が伸びきって、道も塔の土台も何もかもを覆っていたが、通れないほどではなさそうだ。塔の傍らには小屋があったが、そちらも長く使われていなかったためか蔦と草に呑み込まれそうだった。

 視線を遠くに向けて見下ろせば、塔の周りを囲い込む六つの魔法点に気がつく。

 それぞれが塔から歩いて数分ほどの直線距離だが、歩きにくさを考えるならもう少しかかるだろうか。


「ラディン、何か見えるか?」

「うん、見える。ちょっと待って……今描いてるからさ」

「おう」


 ギアは魔法を使うが普通人らしいので、魔力や精霊を視覚で感知することはできないのだろう。ラディンを支えるように手を添えながら、ノートに書きつける手元を興味深げに覗き込んでいる。


「これ、何だろ」

「行ってみれば判るんじゃね? たぶん、迷いの結界の起点だろうとは思うが」

「……とりあえず、降りないとだよね」


 地上に戻ってロッシェと顔を合わせることを考えれば、気分が沈んでしまう。

 と、いきなりギアが背中をバァンと叩いたので、思わずラディンはノートとペンを放り出しそうになった。


「痛ッ!? 危な……いきなり何!?」

「シケた面してんじゃねえ、俺様がついてるだろ!」


 ニカリと至近で笑う、ギアの顔。悪目立ちする斜め傷でさえ損なうことのない人の好さが、満面に浮かんでいた。

 屈託ないその笑顔につられて、ラディンも自然と顔がゆるんでいく。


「うん。頼りにしてる」

「おうおう、遠慮なく頼りにしてくれい」


 父をよく知らず、兄弟もいないラディンにとって、ギアは『こんなオトナになりたいランキング』第一位だ。

 ギアの保証を後押しに、ラディンもこの先の覚悟を決める。願いも目的も果たさぬまま、こんな所でロッシェに殺されてやるわけにはいかないのだ。


 ちょうど、【他者浮遊レビテーション】魔法の効果も切れる頃合いだ。うっかりバランスを崩したりしないよう注意を払いながら、二人はゆっくり地上へと降りていった。





 物言いたげなロッシェの視線をあしらいつつ、ギアはインディアに描いた見取り図を見せている。瞳の秘密についてまだ知らない彼女には、ギアが持っていた【魔力感知ルーンサーチ】の魔法道具マジックツールを使ったことにした。

 長く傭兵稼業を続けてきたからだろうが、ギアが高価なアイテムをあれこれ常備していることには驚かされる。


「で、お嬢はどう見る? 俺は、この六つの地点に触媒となる何かを置いて、それによって【森迷宮ラビリンス】の魔法と似た効果を発動させてンじゃねえかと思うんだが」


 ラディンが図を描いたノートを手にし、食い入るように見つめていたインディアが、ふぅむと考え込む。


「あたしもその見立てに同意。とにかく現場まで行ってみましょ? 何か見つかるかも」

「でもこれ、上空からの図だから、下に降りちゃうとどこかよく解らないよ」


 ラディンが懸念を口にすると、ギアがにいと笑った。


「それくらい、この俺様が見落とすはずないだろ。現在地はこの図のココだ、これで大まかな方向を特定できるな?」


 ノートはギアの手に渡り、熟練の傭兵ならではの鮮やかな手並みで色違いのラインがいくつも引かれてゆく。手持ちの地図と突き合わせながらコンパスと角度計算でおおよそのルートを書き出すまでに、それほど時間はかからなかった。


「完全に正確、とは言い切れないが。近くに行けば【魔法感知ルーンサーチ】で判るだろ」

「でもギアさん、迷いの森の魔法はまだ有効なんでしょ? 正しい方向に進んでいるかどうか、わからなくならない?」

「ま、何とかなるだろう。他に手もねえしな」


 インディアの心配はもっともだったが、ギアは意味深に笑って答えた。その言外に自分への期待を感じ、ラディンもつい姿勢を正して気を引きしめる。この結界が精霊の力によるものならば、自分の瞳がその偽りに惑わされることはない。


「こういうのって一箇所でも見つけて壊すなり何なりすれば、効果は消えるんだろ?」

「そうね。設置型っていうのは効果が持続する代わり、全部揃ってなければ意味をなさないものだから」

「なら、行こうぜ」


 ギアの促しに反対する者はいない。地図を見ながら進むギアとラディンにインディアも加わり、すぐ後をロッシェと子供たちがついて行く――そうして歩き出した一行だったが。

 ここで点呼を取っておけば良かったと、のちに彼らは後悔することになるのだ。





 それはさて置き――、

 目的の『結界の起点』は拍子抜けするほど簡単に見つかった。


「これ、なのか?」

「そうね……ここだと思うわ」


 塔から方向を変えて道をかき分け歩くこと数分ほど。仰々しい装置があるわけでもなく、そこそこ樹齢の高そうな老木の根本にイチイの枝が突き立てられていた。

 地面は草に覆われており、魔法陣などは見わけられない。枝に寄り添うように、緑の肌と緑の瞳という少女の形をした精霊が佇んでいる。


樹霊リーフィだわ。……可視化してるから、契約下にあるのかも」


 インディアが言うように、少女は土属性下位の樹霊リーフィと呼ばれる精霊だ。一般的に下位精霊は魔法の才能がある者にしか見えないのだが、普段は見えないはずのギアにも見えているということは、そういうことなのだろう。

 このイチイの枝も、何かの役割を持った魔法道具マジックツールかもしれない。


「精霊の使役か……どうやって役目を解くかだな」

「ギアなら、風魔法をぶつけて強制的に相殺できるんじゃないかな?」

「えぇー……かわいそうだよぉ」


 ギア、ロッシェ、パティロがそれぞれの所見を述べているが、樹霊リーフィはなぜかじっとラディンだけを見つめている。人ではないだけに瞬きもない注視にはなかなかの圧があり、悪意は感じないもののどうしていいかわからなくなったラディンは、そっとしゃがみ込んで視線の高さを合わせ、尋ねた。


「おれが、どうかした?」


 その、瞬間。

 幼い少女の形をした樹霊リーフィの表情が、まるで花開くようにほころんだ。


『はなした。いきてる。ほんもの?』

「……え?」


 断片的な言葉にどんな意図があるのかつかめず、ラディンは戸惑ってインディアに助けを求める視線を送る。ロッシェに説教していたらしい彼女だったが、すぐに隣まで来ると、ラディンと同じように膝を屈めた。


「ラディン君、このこ、キミのことを知ってるみたい」

「どういうこと?」


 さっきから疑問ばかり口にしている気がする。魔法系の技能スキルを持たないラディンは普段から精霊と交信する機会などないし、下位精霊の知り合いもいない。あるいは、父がいた幼少時に会ったことがあるのかもしれないが――まったく思い出せなかった。

 インディアが何か言おうと口を開きかけるが、樹霊リーフィがす、と近寄ってきたからだろう、言葉を飲み込んだようだ。


『だいすきよ。だから、おねがいきいてあげる。この森もとにもどす。うれしい?』

「嬉しいって答えて」


 樹霊リーフィの問いかけは謎かけじみていたが、インディアが小声で口添えてくれた通りに答えてみる。


「嬉しいよ」

『ほんと? よかった! 森、もどったよ? ほめてね!』

「凄い……一瞬で景色が一変しちゃった」


 本当に嬉しそうに破顔して、樹霊リーフィはラディンを見あげていた。どんな仕掛けが働いたのかサッパリわからないが、インディアが言うなら確かに結界は解けたのだろう。

 それを実感した途端、言葉では言い表せない感情が胸にこみ上げて、ラディンは樹霊リーフィの瞳を見つめ返しながら囁いた。


「ありがとう。すごく、助かったよ」

『どいたしまして。あのね、おかえりなさい』


 それは破壊力あるひと言だった。疑問符に埋れかけていたラディンの思考が、ついに完全停止する。樹霊リーフィはそれだけ伝えると満足したのか、ラディンの返事は待たずにイチイの枝を地面から引っこ抜き、傍の老木の中に消えていってしまった。


「あ、コレが臭いの原因だっ」

「おぉ? マヨイイチゴじゃねぇか。こりゃ、鼻も利かなくなるだろうよ」


 ラディンがぼう然としている間に、ギアたちは周囲の調査をはじめたようだ。ラディンも急いで立ち上がり、ぱしんと両手で顔を叩いて気分を入れ替える。

 気になることはあっても、今は後回しだ。


 森の結界は解けた。であれば次は塔を調査して、成果を持ち帰らなくてはいけない。

 それが自分に今できる最善、なのだから。



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