5.真実の瞳

[5-1]万に一つの望みでも


 二十年ほど前に話題になった『公爵と光精霊トゥリアのシークレット・ラヴロマンス』についてなら、ギアも知ってはいた。


 当時まだ子供だった自分が断片的にとはいえ憶えているほどの話題性だったのだ。とはいえ興味を持つ年頃でもなく、兄も他国王族の恋バナに振り回されるタイプではなかったので、詳しく思い出せるわけでもなかったが。

 余り知られていなかったトゥリアという光の中位精霊が、それで一気に有名になったのだけは、強く印象に残っていた。


 真実の瞳トゥリアル・アイズを持つ子供。

 おそらくラディンが、そうなのだろう。

 公とトゥリアの女性の間に産まれた特殊な力を持つ『精霊の子』。そして帝国の正統なる王位継承権を持つ。





 地上に残ったメンバーからは少し離れた樹上に、ギアとラディンは腰掛けていた。下で悲鳴なり戦闘音なり起きれば聞こえるほどの距離を保ちつつも、ロッシェやインディアの耳には届かない絶妙な位置どりだ。

 暗殺者アサシンのロッシェには不審に思われてしまうかもしれないが、彼もラディンへの敵意を隠すつもりがないのだから、お互い様ということでいいだろう。


「ギア、それって魔法道具マジックツール?」

「ああ。これは『風読の羽根ザナリールス・フェザー』と言ってな、【他者浮遊レビテーション】の魔法を一度だけ発動できるんだ。結構高いが買ってて良かったぜ」


 ギアは指で挟んでいた物をかざすようにしてラディンに見せる。青い風切り羽根が、魔力を帯びて燐光を放っていた。価格は一般の労働職の給金一ヶ月分。効果は発動から一時間ほど続き、その間は飛ぶことも地面にゆっくり降りることも可能になっている。


「ごめんね、ギア」


 泣きそうに自分を見るラディンに「気にするな」の意味を込めて笑いかけ、ギアは羽根を内ポケットに仕舞い込んでから、改めて傍らの少年に向き直った。


「謝るなよ、ラディン。それより、俺は驚いたぜ。まさかおまえが王族だったなんてな」

「え、……知ってたの? アニキ」


 悲しそうだった表情が途端に驚きへと塗り替えられていくのを面白く感じつつ、ギアは胸中でこっそり謝罪の手を合わせる。自分も一応王族だが、まだ仲間の誰にもそのことを話していないからだ。


「ロッシェの野郎が言ってたこととか、俺の持ってる情報とか総合すると……な。俺が気づいたくらいだし、姉御も知ってんじゃねぇか?」

「さすがだなぁ、うん。エリオーネも知ってるみたいだった」

「だろ? だからおまえさん、あの時、城の求人に興味持ってたんだな」


 冒険者の酒場で掲示板を見ていた後ろ姿を思い出す。あれからそれほど経っていないのに、もう何年も一緒に組んできたように思うのだから、感覚というのは不思議なものだ。

 ラディンは頷き、それから頭を上げて遠方へ視線を向けた。

 その先にあるのはライヴァン王城だろうか。それとも、監獄島バイファルだろうか。


「おれは……血筋は建国王の直系なんだろうけど、お城で育ったわけじゃないし実感なくて。ただ、十年前に城へ連行された父さんが、今どうしているのかを知りたかったんだ」

「ディニオード公爵、だっけ」

「そうだけど、今はその身分に意味はないと思う。父さんの名前はルウィーニ。おれのフェールザン姓は、父さんがいなくなってからおれの面倒を見てくれた、元近衛騎士のおっちゃんから貰ってるんだ」

「……なるほどなぁ」


 十年前と言ったら、政変の直後だ。当時ラディンはまだ五、六歳の幼児だろう。

 ずっと隠蔽されていて探れなかったと言ったロッシェの話を思い出す。広いとはいえ同じ帝国内、元近衛騎士に預けられた。そこに隠蔽の跡はうかがえない。であれば、稀代の魔術師と呼ばれた父親か、元光精霊トゥリアである母親が関与していたのだろうか。


 思い返せば、まだ実家で王子をやっていた時代にギアはラディンの両親に会ったことがある。互いに王族ならそういう機会は少ないとはいえあるわけで、詳しくは覚えていないが会話だってしているのだ。

 赤髪で、背が高く柔和な人物だったことは思い出せる。傍らに立っていた金髪の小柄な女性が、ラディンの母親に違いなかった。

 そういえば、当時のライヴァン王も現国王フェトゥースよりまだ若いくらいの、青年王だったように思う。政変に際し姿をくらませたと言われる元国王は、ラディンの叔父だったわけか。あれから十年、彼は今どこで何をしているのだろう――。


 気にはなったが、ギアはそれ以上思考するのはやめた。時間は有限で、やるべきことも迫っている。

 せっかくロッシェを出し抜いて作った時間なのだ、伝えるべきことを伝えられずにタイムリミットなんて無駄もいいところだ。


「ラディンは、親父さんを捜すんだろ? ならまず、現国王に恩を売っとかねぇとな」

「……でも、ギア。ジェスレイ卿は、生きてはいないだろうって」


 遠くを見つめていた鳶色の目が翳る。

 監獄島に送られたのだろうという予測は、誰に聞いたわけでもないがギアも考えていた。

 炎帝の時代、政敵になり得る人物やはん意を示した人物は、ことごとく捕らえられ、投獄され、処刑されたという。しかし各地を傭兵として旅歩いてきたこの十年に、ライヴァン帝国で王族が処刑されたという話は聞いたことがなかった。

 それなのに城の牢獄へ囚われていないのであれば、監獄島以外に考えられない。


 だが、とギアは思う。

 様々な仕事でともに働き知ったことだが、魔法職は晩成型の職業だ。


 初歩の魔法は下位精霊によるものが多く、初心者魔法職に対しては近接職の者がはるかに優位に立ち回れる。

 しかし、魔法使いが真価を発揮するのは中級者以上になってからだ。強力な範囲魔法や、森羅万象に影響する魔法、精霊王の分身カケラを召喚する魔法……など、まさに一騎当千の存在となるのだ。

 稀代の魔術師と呼ばれるほどの人物が流刑地で何もできずに死ぬ、なんてことがあるだろうか。


「おまえさん、その言葉を全面的に信じるのか? あいつらにとっておまえの親父さんは『都合の悪い相手』だろうよ。素直に情報渡してくれるはずねえって」

「でも、おれは……バイファル島、とかいう場所のことは全然知らないんだよ」


 やはりか、と思いながら、ギアはうつむくラディンを覗き込む。


「その場所のことなら、俺も姉御も情報を持ってるぜ」


 虚ろに揺れていた目の光が一瞬のうちに焦点を結んだ。ラディンは顔を跳ね上げて、真剣な表情で詰め寄ってくる。


「アニキも知ってんの!? だったら、おれにも教えてよッ!」

「待て待て押すな、落ちるからやめろって!」


 必死の形相にたじろぎつつも、ギアは迫ってくるラディンを押し留めた。いくら魔法の効果中とはいえ、バランスを崩して落ちたら立て直す前に怪我をする。

 気持ちは、痛いほどに、わかるのだが。


「ご、ごめん」

「焦るなよ、ラディン。まずは目の前のことを一つずつ片付けていくんだ。バイファル島への道を開くために、国王へ恩を売って信用を得るんだよ」

「……わかった」


 できるだけ事務的にならないようにと、優しく言い諭す。気持ちは痛いほどわかるが、監獄島が関わっているなら国王の協力は必須なのだ。

 だから何としても、この調査で成果を上げなくてはいけない。


「それとな、これだけは言っておく。俺もたぶん姉御も、おまえの父親は生きてるだろうと読んでるが、絶対に無事だという保証はできない。けどさ、ラディン」


 厳しいことを言っていると自覚しつつも、ギアはできるだけ言葉を選んで続ける。

 どこか切なげに瞳を細めるラディンの肩に手を置いて、問いかける。


「万に一つの可能性だとして、それでおまえさんは、あきらめるのかい?」

「……ううん、あきらめない」


 鳶色の目に涙があふれる。

 ここに来るまで、きっと色々な可能性を考え、期待し、恐れてきたのだろう。ギアが言うまでもなく、そんなことはラディン自身がよくわかっているはずなのだ。

 あきらめなかったからこそ、彼は今ここに至ったのだから。


「そうだね……、ありがと、ギア……」


 てのひらでこすって涙を拭い、ラディンは笑う。それは痛々しくはあるが、吹っ切った潔さも感じる表情だった。

 その笑顔につられて、自然とギアの口角も上がっていく。


 ロッシェの意図を察するに、彼との対決は避けられないだろう。それがまだ先のことだとしても。

 覚悟は決まっている。

 どんな形であれ全力で彼と向き合い、ラディンを守るだけだ。

 

 ――やってやろうじゃねえの。


 心中に決意を呟き、ギアはひっそりと笑みをこぼすのだった。




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