6.地下の暗闇へ

[6-1]姉御の覚悟


 執務室の扉が叩かれ、応対のため立ち上がったジェスレイが部屋の外へ出て何事かを尋ねている。戸惑っているような近衛騎士の声と、抑えたような女性の声。しばらくして戻ってきた騎士長が連れていたのは、冒険者一行の獣人族ナーウェアの女性――エリオーネだった。

 意外さに驚いて思わずペンを止めた国王に、彼女はにこりと愛想笑いを向ける。そして言った。


「お話があって来ましたわ。国王陛下、ちょっと宜しいかしら?」


 問いの言葉ではあるが、是非を尋ねたいわけではなさそうだ。ジェスレイを通し、暗殺の企みを知らせてくれた彼女の話といえば、それに関する追加の情報、だろうか。

 フェトゥースが返答をためらっているうちに、その沈黙をマイナス方向に受け取ったのだろうドレーヌが立ち上がり、エリオーネの前に立った。


「ここは陛下の執務室です。一般の方は立ち入りを控えてもらいたい」

「関係者になる予定だから、気になさらないでくださる?」

「ドレーヌ、他所ではできぬ話ということだ。気持ちはわかるが、私とおまえがいる限り陛下に害をなすことはできんだろう」


 女性二人の間に剣呑な空気が張り詰めるのを、騎士長が割って入ってたしなめた。

 ジェスレイの物言いは失礼ではないかと案じたフェトゥースだったが、エリオーネは気にした様子もない。そして、ドレーヌも騎士長に言われてしまえば退くしかなかった。

 彼女の深紅の瞳が何か言いたげに自分を見たので、国王はうなずき、エリオーネの方へと向き直る。


「どうしたのかな、エリオーネ殿」

「もちろん、お察し通りの情報よ。でもその前に、ジェスレイ卿――あなた、ロッシェと仕組んでラディンを手に掛けようとしたわね?」


 唐突な爆弾発言に、一瞬落ちる沈黙。騎士長が目を見開くのと、フェトゥースが驚愕のあまり立ち上がったのとは一緒だった。執務机についた手が、無意識のうちに爪を立てる。


「どういうことだ、ジェスレイ!」

「……仕組んだ訳ではありませぬ。あれは一種の、事故のようなものだったのです」

「もしやロッシェが……?」


 苦渋の表情でうつむくジェスレイの様子に、ドレーヌが何か思い当たったのだろう、呻くように呟いた。しかしフェトゥースは、なぜそんなことになったのか理解できない。


「ロッシェがなぜ、ラディン君を? 彼らは海賊討伐に尽力してくれた者たちで、現在も狂王の件に関し力を尽くしてくれているじゃないか」

「それは……」


 子供が多かったりグラスリード国の王子がいたりと個性的な一行だったが、ラディンは純朴なごく普通の少年に思えた。ロッシェは個人行動の多い人物だけれど、彼がラディンに対し殺意を抱く理由は思い当たらない。

 困惑する国王と煮え切らない様子の騎士長に、痺れを切らしたのだろう。エリオーネがすっと一歩進み出る。


「それはねぇ国王サマ。ラディンがディニオード公爵の息子だからよ。あの子はあんたたちを少しも恨んじゃいないのに、あの男はラディンを殺そうとしたのよ。……そうでしょ、ジェスレイ卿」

「……言葉もない」


 騎士長が否定しないということは、エリオーネの言が事実であるということだ。心臓に衝撃が走った気がして、フェトゥースは何も言えずに立ち尽くす。自分は今ひどく蒼ざめた顔をしているに違いない。

 ディニオード公爵、が前王統の王兄であることは知っている。ラディンがその息子であるということは、つまり――、


「では、彼はこのライヴァン帝国の正統……」

「あのねぇ国王サマ。今はそういう話はしてないわ」


 押し出すように発したフェトゥースの声はかすれていたが、エリオーネはぴしゃりと言い返して、ジェスレイを鋭く睨んだ。


「言っておくけど、あんたたちがラディンを邪魔だって排そうとするなら、あたしたちは仕事を降りるわ。けど、あたしはあんたの暗殺依頼を受けて動いている組織について、情報を持ってる。だから、取引しましょう?」


 すっと腕を上げたエリオーネが、フェトゥースの鼻先に指を突きつけ言い放つ。


「さぁ国王サマ、ここで選んで頂戴。まだあたしたちをアテにするって言うなら、今すぐここで監獄島への旅渡りょと券を発行しなさい! それと引き換えに、あたしがを突き止めてあげるわ」




 ***




「オレらの組織ってさ、実力主義なんだ。だから、偉くなりたけりゃ、他人を蹴落としてでも実績を挙げてくしかなくて。オレみたいに半端なヤツは、万年使いっ走りなのさ」


 淡々と語るケルフの言葉を、ルインは何だか新鮮な気分で聞いていた。


「じゃ、年齢とか縁故とかはあんまり関係ないの?」

「まるっきり関係なくもねーけど、実力なきゃ、結局は誰かに蹴落とされちまうしな」

「ふーん。貴族社会とは全然違うね……」

「当たり前だろー? まぁ、組織に属さねえ盗賊とか暗殺者アサシンもいるし、山賊や海賊……ありゃ別次元の組織かな。宮廷専属の暗殺者アサシンとかもいるらしいぜ」


 なぜこんな話になったのか。エリオーネが席を外している間の暇つぶしにあれこれ話しているうちに、お互いの身の上話とかになって、気づけば闇組織の話に。ルイン自身が命を狙われていることもあり、興味はあった。

 ケルフの話からすると、自分を狙って来たブルッグという暗殺者アサシンは一匹狼タイプ、だろうか。もしくは義母が個人的に雇っている専属暗殺者アサシンとも考えられるが。


「アサシンって、依頼を受けたら遂行するまで何度でも来るのかなあ」

「当たり前だろ。成功しなけりゃ、報酬もらえねーもん」

「それってすっごい勝手な仕事っていうか職業だよね! 殺されるほうの気も知らないで、報酬も何もないよねっ! 仕事じゃなくて犯罪だよ!?」


 そこは否定して欲しかった、という気持ちが先行して、つい愚痴みたいなことを言ってしまう。が、ケルフは顔色を変えることもなく淡々と答える。


「そんなの皆知ってんだよ。でも雇うヤツがいるから仕事があるんじゃねーか。それに一番多い依頼って、王族とか貴族からなんだぜ」

「でも、人殺しは良くないよっ!」


 ついつい涙目で畳み掛ければ、ケルフはぎょっとしたようにルインを見つめた。


「なんだよ泣くなよ、オレに言ったってどうにもなんないだろ!?」

「泣いて悪いかっ! ううっ、早く世界が平和になればいいのに……っ、……うぇ……」

「だから泣くなってばッ! てかオレだって泣きてーよ……ううう」


 ルインの精神年齢とケルフの実年齢は近いのか、外見上はほぼ同年代に見える。お互いの抱える事情に共通点などなかったが、この年齢が気安さを感じる理由かもしれない。

 二人で手を取り合って泣いていたら、扉が開いてエリオーネが帰ってきた。


「……何なのよ、もう」

「あ、エリオーネ」

「姐さん!」


 入り口で腰に手を当て立っていたエリオーネは、子犬のような目を二人から向けられて呆れたようにため息をつく。


「本当、あんたたち頼りなさすぎて留守を任せるのが心配だわぁ」


 え、と聞き返す間も与えず、ツカツカと歩き寄ってきたエリオーネはビシッとケルフを指差して言った。


「いいこと、ケルフ。あんたの保護については警備課のほうに掛け合ってあげたから、ルインと一緒に彼らの指示通り動いて頂戴。わかった?」

「は、ハイ!」

「それとルイン、あんたはこれを預かってて」

「え、な、何?」


 エリオーネに全身には殺気のよう空気が纏ついていて、口を挟める雰囲気ではない。思わず身体を緊張させて差し出された紙を受け取ったルインは、その紙面に視線を落として目を剥いた。


「これって」

「そう。監獄島バイファルへの立ち入り許可証……旅渡りょと券よ。今すぐいくって訳じゃないけど、必ず必要になるから、王族でもあるあんたに預かってて欲しいの」


 彼女の言わんとしていることを察し、ルインの全身から血が引いていく。これが必要になるということは、監獄島へ渡るということだ。あんな恐ろしい場所へ、いったい誰が、何のために……?

 聞きたいことが色々と頭を巡るのに、肝心の言葉は何も出てこない。


「姐さんは、どこいく気なんですか」


 不穏な空気を感じていたのはルインだけではないようだ。ケルフの震える声に、エリオーネは鮮やかな笑顔を返してから、踵を返す。


「アタシは別行動よ。潜入捜査はあんたたちじゃ無理でしょ?」

「潜入って、まさか! 支部に潜り込む気じゃねーでしょうね!?」


 無言は肯定ということだろうか。と口走ったケルフは、彼女が行こうとしている先を知っているのだろう。そしてその危険性も。

 だから、二人の会話の意味を正確には掴めなくても、声を上げずにはいられなかった。


「危険だよ、エリオーネ! せめてギアたち帰って来てから相談しようよ」

「そうっスよ! いくらなんでも支部はヤバイっス!!」


 必死の思いを込めたルインの言葉とケルフの援護射撃に、エリオーネは足を止める。聞いてくれた、と安堵したのも束の間で、エリオーネは細めた紫の瞳で少年二人を交互に睨みつけ、低い声で言った。


「あーんたたちィ? アタシを誰だと思ってんのよ!」


 その迫力に竦み上がった二人にくるりと背を向けると、出掛けに彼女はくすりと笑う。


「ありがと、心配してくれて」


 そうして足早に行ってしまった後ろ姿をぼうっと見送っていたら、隣でケルフが身を震わせた。


「支部はヤバイって……。いくら姐さんでも、個人で立ち向かえるモノじゃないのに……」

「ケルフ……エリオーネならきっと、無茶はしないよ」


 不安な気持ちはルインだって変わらない。けれど、自分がついて行っても足手まといになるだけで彼女のを楽にはできないと、わかってもいる。だから今は彼女の無事を祈りつつ、託された使命を全うするしかないのだ。

 そう自分自身に言い聞かせ、ルインはそっとてのひらを握りしめた。



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