[6-2]王家の真実


「なぜ黙っていたっ、ジェスレイ!」


 激情を抑えることができず、フェトゥースは騎士団長の胸倉をつかみ上げて問い詰めていた。苦渋の表情で押し黙ったまま、老騎士はされるがままになっている。

 主要港を荒らす海賊を退けた功労者として、彼らの情報を持ってきたのはジェスレイだった。褒美を与えるという名目で王都に呼び、実際に会ってみるのはどうかと提案したのも。

 その全てが、狂王脱獄に悩む自分をおもんばかってのことだと思っていた。


 ラディンの出自については最初こそショックを受けたが、エリオーネの言うように今問題にすべきはそこではない。その事実、そして臣下が彼を殺そうとしたこと、何一つ自分は聞かされていなかった。

 エリオーネが怒るのも当然だろう。

 事実だけを見るなら、自分は彼らを騙して呼び寄せ、厄介な案件を押し付けた挙げ句、彼女の仲間を排除しようとしたのだから。知らなかったなどと、言い訳にすらなりはしない。


「ジェスレイ様」


 黙したままのジェスレイに、ドレーヌが低い声で呼び掛けた。手の甲が白くなるほど固く握っていた手にそっと指を重ねられ、ジェスレイと引き離される。普段は手厳しい彼女だが、今、とがめるような目を向けている相手は自分ではなく騎士長だ。


「私にも聞かせてください」


 ドレーヌに促され、ジェスレイは無言で襟を正し、沈んだ表情で深く息を吐いた。元より若くはない彼だが、その表情に刻まれた皺が彼の苦悩を表しているようだった。

 ゆっくり顔をあげ、フェトゥースとドレーヌを交互に見て、観念したように口を開く。


「エリオーネ殿の話は、事実なのです。ラディン君はディニオード公爵の息子であり、前王統の血族であり、……それを知ったロッシェが先走って、彼を亡き者にしようとしました。私はそれを止めはしましたが、結果的には余計に彼を追い詰めてしまったのです」


 共謀したわけではない、という事実に、少しの安堵が胸を軽くした。

 ひと息を飲み込み、フェトゥースはジェスレイに尋ねてみる。


「彼は私を恨んでいるわけではない、とエリオーネ殿は言っていたはずだ。それなのに……なぜロッシェが?」

「現政権に反対する者らが彼を利用するに違いないと、考えたからでしょう。しかし彼は、簒奪者である我々には知り得ない情報……狂王封印の方法について、何か知っている可能性がありました。私はそれを聞き出したかったのです」


 明かされた真意にフェトゥースは思わず瞠目どうもくした。

 ロッシェの凶行を止めたのは情報が知りたかったからだと、彼は言っているのだ。つまり、情報さえ聞き出せば――ロッシェの意図に任せるということなのか。


「ジェスレイ、話が……わからない。なぜそこまで、ラディン君を警戒するんだ。なぜ彼の生殺与奪を私ではなく、ロッシェに任せるんだ?」

「陛下、いつか話さねばとは思っておりました。切っ掛けを見いだせず、ここに至るまで伏せたままにしてしまったのは、私の罪です。貴方様のお父上――ルードウェル様を殺害したのはこの私と、ロッシェなのです」


 その一瞬に、世界は凍りついたのだと思った。

 そうでなければ、全ての音がやむなんてありえない。

 どんな事実にも向き合おうと決めていた覚悟が、あっけなく打ち砕かれてしまった。あの日の朝、ジェスレイによって届けられた衝撃的な報せが、今また脳裏によみがえる。

 言葉を失うフェトゥースを哀れむようにジェスレイは見、それから重い声で続きを語り出した。


「今より十年前になります。当時は将軍職にあったルードウェルが当時の国王ラスリードから王位を奪ったのは。そのとき私は、将軍側につき謀反に加わりました。彼なら、この帝国を動かす新たな風になるだろうと、期待をしていたのです」


 政変時、フェトゥース自身は十六歳。今のラディンと年齢的には同じくらいだ。国を二分する内乱だったが、父含め当時の政権関係者はその叛乱はんらんを全て、話し合いにより収めたと記憶している。前王統の国王も、家族や親族も、処刑されたものはいなかったはずだ。

 将軍職にあった頃の父は勇壮な指揮官であり、有能な施政者でもあった。だからこそ父は多くの支持を集め、流血をともなわず王権を委譲されたのだと思っていた。

 しかし、自らも皇太子という立場につき、政務に関わるようになるにつれ、フェトゥースは父の危険な面を知ってゆくことになる。


 裏切りによって権力を手に入れたからか、父王は臣下の裏切りを極度に恐れた。

 話し合いにより決したはずの約定をたがえてディニオード公爵を捕らえ、監獄島へと送っただけではない。反対派を炙り出しては投獄し、反逆者を容赦なく処刑した。

 猜疑さいぎ心による圧政はとどまることなく、その姿勢は国民へ恐怖をばら撒いていく。


 圧政的な独裁者、力を手にした獣。

 陰日向に囁いていたのは、市井に住む者ばかりではない。正妃であるフェトゥースの母もいつしか恐怖に心を病み、身体を壊し、夫を恐れ怨みながら早逝してしまったのだ。


 向けられる誹謗ひぼうに父自身が気づかぬはずがない。母の死を切っ掛けに、父は変わっていった……と思う。そうだとしても、フェトゥースにとって父王が敬愛すべき存在だったことに変わりはないのだが。

 彼の剣はいずれ罪なき者へも向けられるだろうと、誰もが思っていた。

 フェトゥースでさえ、漠然とそう考えていたくらいだ。


 隣国との戦争という可能性さえはらんだ危うい日々が突然の終わりを迎えたのは、穏やかに晴れた朝。


『お父上が、昨夜心臓の発作により、亡くなりました。お辛いでしょうが、貴方は王位を継がねばなりません。どうか、気をしっかり持たれてください』


 その報せを持ってきたのは、ジェスレイ自身ではなかったか。

 自分はそれを素直に信じた。しかし、彼の嘘は既にそこから始まっていたのだ――。


「しかし三年前のあの夜、私はロッシェと共謀し、ルードウェル様を暗殺しました。私は、彼が国を滅ぼすのを阻止したかった……言い訳です。もっとも、ロッシェの意図は私とは違いますが」


 新たな風を期待した主君は、制御できぬ暴風だった。ならば排してしまえ――と、そういうことか。

 王の本分を考えれば、その判断を下したジェスレイを咎めることができようか。と、思った途端、膝の力が抜けてフェトゥースは床にくずおれた。身体の内側から歪んだ笑いが迫り上がってくる。

 父王が誰よりも信頼していたジェスレイが、父を討ったのだ。自分も、いずれ同じ道を辿るのかもしれない。

 それでも一縷いちるの望みにすがりたくて、フェトゥースは顔を上げ騎士長を見た。


「ロッシェは、なぜ」

「それを私の口から申し上げる訳には」

「話せ!」


 剣幕にたじろくジェスレイの様子を見て自分を奮い立たせ、フェトゥースはふらつく足で立ち上がる。気力だけで詰め寄り、眉間に力を入れて睨み据えた。


「どうせ、僕には知られたくない事だろう? 今さら中途半端に伏せるのはよしてくれ」


 同席しているドレーヌにも聞かせることになってしまうが、もう構うものか、と思う。聞くまで退かないという決意は、正しく騎士長にも伝わったのだろう。ジェスレイはわずかに表情を歪ませ、囁くように言った。


「ロッシェは――陛下の、母違いの兄であり、ルードウェル様の懐刀ともいうべき暗殺者アサシンでした」

「あいつが、陛下の……?」


 予想外の暴露に絶句するフェトゥースの背後で、ドレーヌが呟く。


「ジェスレイ様。私は幼い頃、彼と何度も会ったことがあるのですが」

「当時、ロッシェの母親はフィナンシェ家の世話になっていたのだ、ドレーヌ。だが、おぬしの父が亡くなる少し前、私の家で二人を引き取ることになってな。……その数年後、私と彼はお父上を殺害し、私が書類を改竄かいざんしてレジオーラの家と共に爵位を与え、あなたと引き合わせたというわけです」


 ドレーヌとフェトゥースに説明を加え、ジェスレイは視線を落として沈黙してしまった。

 明らかにされた事実が多い上に重すぎて、なんとか飲み込もうとするものの、すぐに全部を受け入れるのは難しい。

 なぜレジオーラ家だったのか、なぜ父の懐刀とまで呼ばれていた彼が暗殺を決意したのか――わからないことばかりだが、この先はジェスレイではなくロッシェ自身に聞くべきだと、動揺しながらもフェトゥースは理解していた。


「ジェスレイ様。それが事実であるのなら、ロッシェには王位継承権があるということです。貴方は……誰の味方なのですか?」


 重苦しく不快な沈黙を破ったのはドレーヌだった。フェトゥースの胸にわだかまっていた聞きにくい疑念を言葉にして、彼女は険しい瞳で見つめている。ジェスレイの返答いかんでは、上司であろうと剣を向けることをためらわないのだろう。

 そんな彼女に後押しを得て、フェトゥースは沈黙を貫こうとする騎士長に問いかけた。


「ロッシェは王権を望んでいるのか? ジェスレイは、ロッシェのほうが僕より優れた王になるだろうと考えているんじゃないのか」

「王は貴方以外にあり得ません、フェトゥース陛下」


 返答は短く、しかしきっぱりとしたものだった。

 怪訝そうに眉を寄せるドレーヌに目を向け、それから視線を転じてフェトゥースを見返すと、ジェスレイは低く呟く。


「ロッシェは、貴方が王であることを望んでいるのです。彼は、弟である貴方が誰よりも大切なのです。だからこそ、ラディン君を殺そうとしたのでしょう」

「何だ。それは……」


 戸惑いを隠せず声を漏らせば、ジェスレイは低い声のまま続けた。


「貴方の命を狙う者が前王統派だというのは、事実なのです。しかし、それにラディン君の父であるルウィーニや、当時の王であったラスリードが関わっているかまでは、私にも掴み切れていない。ですからそれを確かめるためにも、エリオーネ殿が動いてくれるのは都合がいいのです」

「……卑怯だ、私たちは」

「そうだとしても。それが、国主の在り方というものなのです」


 身勝手なジェスレイの言い分に、フェトゥースは苦く呟いた。

 冒険者であれば使い捨てても構わない、などという考えを、信頼している騎士長から聞くことになろうとは。


 淡々とした、情を殺した彼の声音を、フェトゥースはその時はじめて怖いと思った。

 そして、わかっていながら止めることのできない自分はなんて無力なのだろう、とも思った。



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