[6-3]地下の囚われ人
エリオーネは
さすがに正確な体内時計までは持ち合わせていないが、地下にいてもおおよその時間を感じることもできる。
そろそろ日暮れの時刻だろうか。少なくともまだ夜にはなっていないはずだ。
彼女は今、王都の地下道を一人で進んでいた。
硬い岩盤を掘り進めて固めただけの人工的なトンネルは、とある闇
ケルフの話、独自の情報網により、国王暗殺に関わっている
エリオーネも一応は別の
しかし、ケルフの場合は違う。
彼は《闇の竜》の諜報員であり、本来ならあのパーティーの夜に支部へ帰還し、『国王が雇い入れた冒険者一行』についての情報を持ち帰っているべきなのだ。それが、今に至るまで音信不通の状態。
支部としては事情を探るため、あるいは先手を打つため既に動いているだろう。
裏帝国とも言われる《闇の竜》に、単身で立ち向かうつもりはない。
エリオーネの恋人だった男は、大きな仕事の際に失敗して命を失った。彼が死の間際に望んだのは彼女の幸せであり、
それでもあえて支部に潜入することに決めたのは、知りたい情報があるからだ。
国王暗殺を目論んでいるのは《闇の竜》自体ではないかと、エリオーネは睨んでいる。少なくとも、今は監獄島にいるはずのラディンの父が首謀者であるわけない。そこさえ突き止めれば、ライヴァン王宮側はラディンを殺す正当な理由を失うはずなのだ。
自分はギアのような
塔へ出かける前に会ったラディンの泣きそうな表情を思い出し、怒りの感情がざわつく。
今は冷静に――、そう自分に言い聞かせ、エリオーネは音を漏らさないよう大きく息をついた。あれこれ考えながら進んできたため、通路の終わりはもうすぐそこだった。
前方は大きな鉄扉で閉じられていたが、絡みつけられた鎖も鍵穴も錆びてはいないようだった。盗賊用ツールで器用に鍵を外し、音を立てないようそっと押し開ける。扉の向こうは暗がりが続いているようで、見張りの心配もなさそうだ。
わずかに開いた隙間から身を滑り込ませ、慎重に扉を閉めてから周囲を見回し確認する。
「…………」
周囲の壁は、隙間なく丁寧に石煉瓦が埋め込まれている。その壁に等間隔に並ぶ、分厚い鉄扉。顔の高さくらいに鉄格子のはめ込まれた窓があり、そこから見る中の様子は洞窟内の小部屋とでも言うべきか。
そこは、
今はもう使われていないらしく、扉は錆びつき金具は腐食して、人の気配もない。薄気味悪い空気はそのままだが、掃除はされているのだろう、汚らしさはなかった。
意を決して踏み出し、足音を立てぬよう通路を進む。
しばらく歩くと通路向こうが明るくなっているのに気づいた。おそらくあの辺りに、上階への階段があるのだろう――、
「――――ッ!?」
不意に背の翼をつかまれて、驚きと恐怖に心臓が跳ねた。喉元まで込み上げた悲鳴を無理やり噛み殺す。
血の気が引く思いで振り向き見れば、窓から白い手が伸びて翼をつかんでいる。鉄格子の間から覗く色の濃い双眸が、じっと自分を見ていた。
「……誰だ?」
つかんだ指先に力を込め、それが声を発した。左手だった。少しかすれてはいるが、まだ若いであろう男の声だ。
予測の外から降って湧いた謎の囚人に、エリオーネが絶句したまま固まっていると、彼は再び言った。
「おまえは、外からの者だな? 頼む、私をここから連れ出してくれ」
「…………あなたこそ、だれなの?」
やっとそれだけ聞き返し、数歩を戻って格子窓から中を覗き込む。彼はエリオーネの翼から手を離し、鉄格子を左手でつかんで扉の向こうに立っていた。牢につきものの独特な異臭に眉をひそめながらも、対面した相手の顔に既視感を覚えてエリオーネは首を傾げる。
長く伸びた黒い前髪、真剣な輝きを宿した
「言って信じて貰えるとは思えないが、嘘ではない。私の名は、ラスリード。狂王ジェルマを封じる手立てを知る者だ」
「……ラス、リード?」
告げられた名を反復し、エリオーネは息を飲む。
それは、その名は。
「なぜ、あなたがここに……!?」
「話は後でだ、どうやら信じてくれたな? ならば頼む。おまえ、魔法は使えないか?」
切迫した声音で畳み掛ける彼に、エリオーネはフフンと得意げな笑顔を向けた。
「仰せのままに、前々王様陛下。普通、地下牢では魔法なんて使えないものよ。でもご安心を。こんな扉くらい、あたしの手に掛かれば……朝飯前だわ」
先ほどと同じ要領で鍵を外し、音を立てないよう慎重に扉を開ける。ここに彼が囚われているということは、向こうの明かりには看守がいて、いつ異変を悟ってここへ来るかわからない、ということだ。
逃亡するなら来た道を、なるべく急いで戻るしかない。……と、その前に大事なことを確認しておく。
「見事な手際だな。感謝する」
「ふふ、そうでしょ? でも気持ちだけじゃ何にもならないのよねぇ……。報酬、支払っていただけますわよね?」
「……私は財産などないが。この通りの囚人だぞ?」
困惑した声は、拗ねているようにも聞こえた。地下牢から現れたのは、背が高く姿勢の良い黒髪の男性だった。髪も髭も伸び放題だったが、紫の両眼は光を失ってはいない。
左手には千切れた鎖が付いた手枷を嵌められていて、右は手首から先を失っていた。
「いやぁん、酷い格好ね」
「看守が来る前にここを出なくては……、ン? 何か言ったか」
「何でもないわよ。私、目的あってここに来たっていうのにぃ。……でもいいわ、こっちの方が大きい戦果だものね」
前王統の王族が《闇の竜》に囚われていた、この事実だけでは現国王に強く出ることはできない。それでも、彼を確保できたという事実は大きい。経緯や現状について、当事者から詳しく聞くことができるからだ。
「あたしが案内するから、地下道から逃れるわよ。怪我はない?」
「無傷とは言わないが大丈夫だ。歩く、走る、程度なら問題はない」
「良かった。……それにしても、臭いわねぇ」
「それは私のせいじゃない」
エリオーネの判断では、閉じ込められて半月程度といったところか。地上はもう夜だろうが、王都の市街地を浮浪者みたいな格好でうろつくのは目立ち過ぎて危険だ。立場上、ライヴァン王城に連れて行くわけにはいかないのだし。
とにかく、宿をとって身綺麗にしてもらい、身なりを整えるのが先決だ。
そのためには――。
地下道へ続く鉄扉を開けて彼を押し出し、自分も滑り出てから、元の通りに扉を閉めて鎖と鍵を掛ける。訪れた暗闇はエリオーネにとっては親しみ深いものだが、
荷物から小型の
「あのね、あなたにもあたしのことを信用して欲しいの。我らが
彼は黙ってエリオーネを見返した。酷い外見で判断しにくいが、さっきの既視感はラディンだろうと思う。ラスリードはラディンにとって叔父に当たるのだから。
「わかった。私の背景や狂王の件に通じているおまえは、敵か味方かのどちらかだ。ならば、これ以上に状況が悪化することもないだろう」
「ありがとう。念のため、気をつけて進んで頂戴ね」
時間を、無駄にはできない。
短く言い交わし、エリオーネはできるだけ急いで地下通路を入り口へと戻るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます