[10-2]炎と闇の問答


 しばらくの間、誰も何も言わなかった。


 ルウィーニが無言のまま手を胸に当て、祈るように目を伏せる。

 ゼオも隣でそれに倣っていた。

 ラディンは力が抜けてしまってその場に座り込んでいたし、ステイも黙ったまま真面目な顔で様子を見守っている。

 亡者たちに向き合っていた他のメンバーもそれぞれ、自分の持ち場に留まったままだ。


 炎の王はその場を動こうとしなかった。うつむいたまま、もしかしたら泣いているのかもしれない。

 ややあって、その沈黙を破ったのは統括者とうかつしゃウラヌスだった。


『これで十分だろう、ザレンシオ。その者のごうは深い。その者に、転生の輪にとどまる資格はないのだ』


 統括者には、裁きの宣告をくだす権威がある。ラディンは父がまた何か物申すのではないかと心配したが、ルウィーニは事態の成り行きを二人の権威者に任せたようだった。特に口を挟むことはせず、黙って見守っている。

 炎の王はジェルマの身体を抱えたまま顔をあげ、ウラヌスを睨みつけて言った。


「ウラヌス。彼は幼少時に巻き込まれた悲劇ゆえに、歪んだ生を強いられた者だ。そんな彼に来世こそは幸せになれと願うのが、許されないことだと言うのか?」

『不遇であれば罪を重ねても構わぬなどという道理があるか、愚か者。王たる立場の貴様が私情に振り回されて害者の側につくなど、不公正はなはだしいと思わんのか』


 一切の私情を排した統括者の断罪に、炎の王は肩を震わせた。

 抱えていたジェルマの遺体をそっと地面に横たえ、まっすぐ立って統括者と向かい合う。


「我々が情に流されてはいけないか?」


 空気がぜるような怒気を込め、しかし口調はあくまで穏やかだ。それでもゼオは何かを感じたのだろう、眉をしかめてルウィーニを退がらせる。

 統括者は眉間に刻んだしわを深くして、炎の王の燃える瞳を見返した。


『情けをかける相手を間違えるなと言っているのだ。勘違いするな』

「勘違いなどではないさ。貴様は業が深いと言ったが、現世の罪は現世の行為だ。ゆえに報いとして、彼はこのような形で命を絶たれたのだろう? だが、それ以上のとがめを負わせるのが――来世の権利を奪うことが、正道であってたまるか!」


 炎の王はどこから、今日この地で起きたことを見ていたのだろう……とラディンは思う。

 統括者に物申すという体をとりながらも、彼が怒りをぶつけているのは別の何か――運命とかことわりとか何もできなかったことへの後悔とか、そういう形のないものに思えるのだ。


 もしかしたらウラヌスも同じように感じているのかもしれない、彼は答えず、冷めた目で炎の王を見返すのみだ。

 ザレンシオは構わず、言葉を重ねてゆく。


「現世で不幸だったのなら、来世では幸せになれと。現世で誰からも愛されなかったのなら、来世こそ愛に満たされよと。俺は、そう願いたいよ。そうでなければこんなの、哀しすぎるじゃないか」

『私は私怨で言っているのではない。その者が奪い続けた命の重さが、この結末を招いたのだ。それに手心を加えようなどと、いったい何様のつもりか』


 統括者の宣告は正当だ。私情も私怨もそこにはなく、到るべくして到った結末をただ告げているに過ぎない。

 それでも炎の王は言葉をひるがえそうとはしなかった。


「ウラヌスよ。贖罪しょくざいを理由に人の魂を永劫えいごうに消し去ることが、創世主の望みではないはずだ。今生の巡りが辛く苦しかったのであれば、来世でこそ幸せに……、そのために人は、永劫の時を同じ魂をいだいて流転るてんするのではないのか?」


 この大陸に生きる六種族の民は、転生ということわりにより同じ魂を抱いて世界を巡る。しかし、創世主が何を意図しそれを定めたのかを語れる者は、誰一人としていない。

 それでも、人間族フェルヴァーの王たる彼は確信的にそれを語り、ことわりを統べる王に立ち向かうのだ。

 無論ウラヌスとしても、その主張を認められるはずがない。


『貴様のその甘さが世界に混乱をもたらす要因となるのだと、なぜ気づかぬか』

「甘いと言われても構わないさ。人というものは愛されなければ生きてはいけないのだ――……、それは魔族ジェマだろうと、精霊だろうと同じだ。愛されなかったゆえに愛を知らぬまま果てた魂が来世こそ愛され幸せを求める権利を、なぜ奪う!?」

『いい加減にしろ!』


 二人の問答はどこかずれている、と思う。主張がかみ合っていないというより、根本のところで焦点が違っている。

 けれど恐らく双方とも感情がたかぶっていて、冷静な話し合いなど望めないだろう。

 もちろんラディンだって、口を挟んだり仲裁したりができるはずもない。

 それに、正しいかどうかはともかく――人間族フェルヴァーの王であるザレンシオがこれほど感情的に、故人に対して愛を語るのを聞けるのが、嬉しいという気持ちもあった。

 ただ、状況は最悪っぽいとも思う。


 ウラヌスは全身から黒いオーラでも立ちのぼりそうな形相で眉をつり上げているし、炎の王は地面に突き立っていた紅晶剣ローズクォーツソードを引き抜いて、ウラヌスを威嚇いかくしている。

 睨み合う二人の間で本気の殺気がぶつかり合っている気がして、そろそろ逃げることを考えたほうがいいだろうか。

 ウラヌスが右手を勢いよく打ち振って、声を荒げる。


『創世主の望みを語るならば、だ。そもそも、力を欲して離反し世に慟哭どうこくを招いた魔族ジェマは、種族としてその望みから外れているではないか。他種族の権利を蹂躙じゅうりんしておいて、幸せを求める権利だと!? 貴様は自分の言っていることを理解できているのか!』

「だからといって魔族ジェマのみに責めを負わせるのは筋違いだ! 命を奪い合ったのは、互いになのだから」


 話が大きくそれてきた。

 口出しするつもりはないが、なぜ炎の王が魔族ジェマをかばうのだろう、とは思う。激昂げっこうしてはいるが、売り言葉に買い言葉というわけでもないだろう。

 ザレンシオは真剣な表情で、ついには紅晶剣ローズクォーツソードをウラヌスに突きつけた。


「ウラヌスよ。力を求める他者をらって得た魔族ジェマは、その精神こころが内側から壊れてゆくのだ。俺も、セルシフォードも、ずっとそれを見てきたよ。傍観ぼうかん者である我々にわかるくらいだ、当人たちはよほどそれを思い知っているに違いないのさ」

『それを知ったところで、何の意味がある。死に際して記憶を漂白され、転生してまた同じ行為を繰り返すだけではないか』


 ザレンシオが魔族ジェマを庇う理由――そこに、闇の王との関係を知る。

 種族として離反を宣言し、行方をくらまし、人をらったおのれの民に死ぬ日を宣告するため訪れるという魔族ジェマの王。彼は今どんな思いで、この世界を眺めているのだろうか。

 闇の王と炎の王の関係性を、もちろんラディンは知らない。

 けれど真実を映しだす右の瞳が、炎の王の言葉は本当なのだと証ししていた。


「そうではないのだ。たとえ記憶が失われたとしても、魂に刻み込まれた感情こころが消えるわけではないのだ」


 燃える瞳に影が差し、ザレンシオは視線を落として地面に横たわるジェルマを見た。

 転生するとき、人はどの種族、どの属性に生まれ変わるかを選ぶことはできない。自分もいつかの時代に魔族ジェマだったことがあるのだろうか――わからない。わかるはずがない。

 で、あれば。

 狂王が強いられた悲運の生は、誰にだって起き得ることなのかもしれない。

 炎の王の言葉は続いてゆく。


「人は規定を踏み越える生き物だ。しかし、それが魂の底からせり上がる感情だとしたら、どうだろうか。同じ魂で生を繰り返してゆくその先で、魔族ジェマは、力で幸せは得られない……むしろらうほどに虚しくなるのだと、自ら気づいてゆくだろうよ」

『つまりは、貴様。狂気に落ちたその男だけでなく、この無数の悲劇を招いた元凶――セルシフォードの行為をも正当化するつもりなのだな? ふざけるな!』


 ウラヌスが、嘲笑ちょうしょうと怒りの混じり合った形相で言い捨てる。

 その怒りを正面から受け止めて、ザレンシオは口元だけで笑った。まるで自嘲じちょうのようだと思う。


「正当化など……正しさなど、俺にもセルシフォードにもわかるはずがなかろう。ただ、彼は彼なりにおのれに属する民の宿命と未来を思い悩み、その末に決断を下したのだ。他種族だけでなく魔族ジェマからも非難と恨みをかうだろうことを、覚悟してさ。親友のその凄絶せいぜつな覚悟を、俺は理解したいと願っただけだ。ただ一人の味方であろうと誓った、というだけだ」


 愚か者が、と、ウラヌスが低い声で吐き捨てた。そして黒衣の裾をさばき、炎の王へ背を向ける。

 振り返りもせず、一言だけ言い残す。


『ならば、勝手にするがいい。その者が正常な転生を果たせず不死者になろうと、それによって新たなわざわいが生じようと、私は関知せぬ。貴様がすべて責任を負うことだ』


 闇のとばりが揺らめき、黒衣の姿を覆い隠した。

 精霊王の統括者は、来た時と同じように音もなく、その姿を消したのだった。




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