[10-3]炎姫よ挽歌に舞え


 精霊王の統括者とうかつしゃと、人間族フェルヴァーの王。規格外の存在が対峙たいじするさまに、サイドゥラの亡霊たちも圧倒されたのだろうか。

 あるいは、無限に思えた亡者の群れをすべて倒しきったのだろうか。

 今はもう、視界内に動くものは何もなかった。


 炎の王はしばらくの間、無言でウラヌスが去った方向を見つめていた。凍りついたような空気の中で誰もが動けずにいたが、やがてルウィーニが低くゼオ、と呼びかける。


「申し訳ないが、ゼオ。彼の……ジェルマの遺体をきみの炎で送ってくれないか」

「……オレでいいのかよ」

「だって、このままにしてはおけないだろう?」


 傍らで交わされる会話が聞こえたのだろう、ザレンシオがゆっくりと振り返る。

 炎を連想する双眸そうぼうに涙をたたえている彼を見て、ルウィーニは穏やかに微笑み言った。


「俺は、あなたが間違っているとは思いませんよ。我々の王がこんなに情深く民を想ってくれていると知れたのは、純粋に嬉しいことです」

「そう言ってくれるのか。……ありがとう」


 かすれる声で応じて、ザレンシオは片手で目元を覆う。それを見守るルウィーニの隣で、灼虎しゃっこのゼオがいらついたように言った。


「湿っぽくなってんじゃねェよ、仮にもテメーは王だろうがッ! 泣いてんじゃねー!」


 びくっと肩を震わす彼のもとへゼオは遠慮なく近づくと、ジェルマの身体に突き刺さったままの魔術杖をつかみ、慎重に引き抜いた。

 ちらりと振り返って、それをルウィーニのほうへ放り投げる。


「ゼオ?」

「マスター、炎の精霊王フェニックスぶんだろ?」


 血にまみれた杖を左手で拾いあげたルウィーニは、ゼオの無茶振りに苦笑した。


「確かに、統括者にはそう言ったけどね……さすがの俺でも何の準備もなしに今ここで、精霊王を召喚するのは無理だよ」

『ルウィーニ。われもゼオの意見に同意だ』


 ラディンの手の内でずっと沈黙を保っていた白い剣が、そう声を発して淡く光った。剣の形が手元から失せ、白く大きな一角獣ユニコーンがラディンの隣に姿を現す。

 穏やかながらも強い意見を向けられて、父は困惑した表情ではははと笑った。


「クレストル、きみまで無茶を言うかな……」

「大丈夫だって、マスター。試しに、炎の王が泣いてるからなぐさめて欲しいってんでみろよ。すぐに飛んでくるだろうーぜ」


 猛獣じみた金の瞳が、睨むようにザレンシオを見た。びくりと身を震わせ、彼は顔を覆う指の間から透かすようにゼオを見返す。

 ボゥ、と口から炎の息を吐いて、ゼオは不機嫌そうな声で言い捨てた。


「ウジウジしてやがる奴は大嫌ェだ。オレは今からこの湿気たヤローを燃やしてやるぜ」

「やめなさい、ゼオ」


 どこまで本気かわからないゼオを、困っているのか笑っているのか判別できない表情でルウィーニがたしなめる。

 矛先を向けられたザレンシオは、あぁとかうぅとか言葉にならないうめきを漏らすと、衣服の袖で目元を拭い前髪をかきあげ、深くため息を吐きだした。


「ああ、わかっているさ……。でも、俺だって、まだ飲み込めていないのだ」

うるッせェ。そんなに言うならはじめから手ェ離すンじゃねーよ!」

「そうさ。あのとき無理を通してでも――聖地へ連れ帰ればよかったと思っているさ!」


 血を吐くような後悔の言葉をゼオも、今度は揶揄やゆしたりはしなかった。しん、と沈黙が落ちる中、炎の王は横たわるジェルマの貫通跡が隠れるように両手を組ませ、屈み込んで頬を撫でる。そして立ちあがった。

 どこか危うげな様子を心配してだろう、ルウィーニが気遣わしげにそっと声をかける。


「炎の王……」

「大丈夫だ、わかっているさ。俺が、フェニックスをぶよ」


 本来ならライヴァン帝国の宮廷魔術師たちと帝都学院の識者たちが、炎の精霊王を召喚する儀式を行なう予定だったのだろう。

 だが、今ここで召喚可能だと言うのなら儀式を待つ必要はない。一刻も早くこの呪われた地を浄化し、さまよえる魂たちをゆくべき場所へ送る。それが最善だからだ。


 父は頷き、ゼオを促してラディンの側まで戻ってくる。

 炎の王は紅晶剣ローズクォーツソードを地に突き立て、その前で両手を広げ、空に向けささやきかけた。


炎翼ほのおの舞姫、フェニックス。来てくれるかい?」


 ゆるやかに風が輪を描き、きらめく火の粉と紅蓮ぐれんの羽毛が舞う。

 燃える金翼、すんなりと長い首、輝き広がる豊かな尾羽根の大きな鳥が、ザレンシオの剣にとまるように舞い降りた。

 ここに集う者の誰もがはじめて目にする、炎の精霊王フェニックスだ。


 不死鳥は一度その金翼を収めると、ゆらり発光して人の姿を取る。腕の部分が翼に、胸から上は美しい女性の姿をしており、腹から下は羽毛と炎に覆われて、長くあでやかな衣をまとっているようにも見える。

 彼女はきんいろの瞳を炎の王ザレンシオに向けて、蠱惑こわく的に微笑んだ。


「いかがいたしましたか? 炎のきみ。泣いておられましたね」

「君までそういうことを言うのはやめてくれよ」


 苦笑しようとしたのだろう、中途半端な笑い方をしてザレンシオが答える。

 炎翼の舞姫は鳥に似た仕草で首を傾げ、くるりと視線を巡らせルウィーニとゼオを見、目を瞬かせてクレストルやラディン、場に集った全員を見渡した。


「ずいぶんと稀有けうな出来事があったのですね。人の世の事象というものは時として不可解です。それゆえにも、後悔や自責を背負ったままでは、生きてゆけませぬよ」


 そして、地に横たえられた魔族ジェマの遺体を見る。


「けれど炎のきみ。その不甲斐なさこそ、貴方が愛を知り愛を語る根源でもあるのでしょう。ならばわたくしは、貴方の慚愧ざんきを灰に還すため、舞いましょう」

「ありがとう、炎翼の舞姫フェニックス


 ザレンシオの声は、やっぱり涙で湿っているようだった。





 ゼオの指示により、全員がサイドゥラの外れまで移動する。

 不死鳥がこれから降らせるのは、純粋で強力な権能による炎の雨だ。人の身では、そのただ中にいて耐えることなどできない。


 炎の王はあの場所にとどまり、ジェルマや亡者たちを見送るつもりだと言った。

 離れた場所とはいえ炎の影響があるだろうと判断したルウィーニが、簡易だが炎魔法を緩和する結界を造り、全員がその中に避難しつつ燃えあがる瓦礫がれきの町を見ていた。


 天を舞う金翼の精霊王が羽ばたくたび、紅蓮の羽毛が散って炎となり、雨のように地表へと降りそそぐ。瓦礫も遺体も等しく呑み込む浄火の魔法は、亡者たちの身体を焼き尽くし、魂を遊離させるだろう。

 そこから先はもう、人族では関わることできない領域だ。


 歪んだ魂が浄化され正しく転生の眠りにつけるよう、ライヴァン帝国の魔術師たちも準備を進めているらしい。

 いずれ大掛かりな慰霊いれいの式をとりおこなう必要があるそうだが、それも含めて任せておいて大丈夫だ、とルウィーニは説明してくれた。


 傍らに立つ白い聖獣クレストルを意識しながら、ラディンは、この地で散っていった多くの人たちの来世に思いを馳せる。

 とても長い間、呪いに縛られていた魂たちは、その過去から今ようやく解放されたのだ。





[Scenario4 Complete! & to Scenario5]

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