10.愛を唄う葬送歌

[10-1]混沌のおわりに


 ルウィーニには迷いもためらいもなかった。身体の芯を貫かれ、こみ上げる鮮血がジェルマの口からあふれる。

 そんな状況でも反撃とばかりに、彼は手に握っていた刺突剣エストックを突きだした。

 至近まで近づいていたため避けきれず、肩を裂かれたルウィーニが、杖を手放して大きく体勢を崩す。


「父さん!?」

「ラディン、ステイ君、――行きなさい!」


 駆け寄ろうとした二人にルウィーニが鋭く指示を飛ばす。その意味を聞き返す必要はなかった。

 一瞬だけ二人で視線を交わし、互いの瞳に同じ決意を見て地面を蹴る。

 ラディンは長剣ごと体当たりするように突っ込み、ステイは両手で握った大剣に全力を乗せてなぎ払った。

 肉を断つ感触が手から伝わり、人体が焼ける嫌な臭いが鼻をつく。

 返り血が飛んで顔に当たり、生ぬるいぬめりが視界を狭めた。吐き気をもよおす鉄みたいな味。

 狂王の身体が力を失い、膝をつくように崩れ落ちる。身体を貫通したままの杖を伝い、赤黒い染みが地面に面積を広げてゆく。

 自分が止めを刺すべきだろうか。迷いに揺れる心に押されてつい父を振り返り、右腕を血に染めたルウィーニが立ちあがって近づいているのを見た。


「ステイ君」


 同じように硬直していたステイに、ルウィーニが呼びかけて左手を差しだす。その意図を察し、ステイは燃える大剣を黙って手渡した。

 動く様子のないジェルマの側へ慎重な足取りで近づいた父は、少し観察してからもう数歩を進める。


「あとは俺が引き受けよう。……なに、どちらもただの剣ではない。ゼオは破壊に、クレストルは浄化に特化した者たちだ。おのおの二撃で……十分だ」


 含みを込めて呟き、左手で大剣を掲げる。右腕は傷が深いのか、添えるのみにとどまっている。

 十分というのは、彼の不死能力が失われたという意味なのだろうか。ルウィーニが掲げた剣先は、ジェルマの心臓に定められていた。その先を想像すれば心は震えるが、見届けようと決意し、ラディンは目をらす。――その瞬間。


 ゆらりと、太陽が陰った。

 潮が満ちるように濃さを増してゆく、不可視ふかしの圧と強大な魔力の気配。ルウィーニが動きを止め、険しく瞳をすがめて空を見る。

 父の視線を追ったラディンは、そこに見た姿に思わず息を止めていた。


「――統括者とうかつしゃ、ウラヌス様。何をしにこられたのですか」


 父らしからぬ敵意を帯びた声の先にるのは、闇をまとった人のかたち

 不機嫌そうにつり上がった双眸は真黒で、額には精緻せいちな模様が描かれている。絹のように滑らかで長い黒髪、袖と裾の長い黒衣。その姿は闇を体現しているといっても過言ではない。

 その闇が、低く重々しい響きのを発した。


『そこまでだ、人間族フェルヴァー魔術師ウィザードよ。その者を私に引き渡せ』

「それはできません」


 身体の内側に響き腹の底に潜り込むような威圧感にさらされても、ルウィーニは一歩も引かず、精霊王の統括者を睨み返す。

 ラディンにはそのやり取りが意味するところはわからないが、これが口を挟んでいい場面ではないことは理解していた。

 不安が内側でぐるぐると渦巻いているのに、足も身体も押さえつけられているように動けない。

 ルウィーニの返答に、統括者ウラヌスはわずかに眉を動かした。

 そういう仕草だけは妙に人間臭い、と思う。


『その者のは地奥の炎であろうと浄化しきれぬ。大地蛇ミッドガルドは受け入れを拒否するだろう。狂った魂のまま不死者になられては迷惑だ。よって、人の手により生を断つことは許さぬ』

「いいえ、統括者よ。灼虎しゃっこの炎により歪んだ闇は打ち砕かれました。加えて、炎の精霊王フェニックスの浄火により魂の歪みは正されるはずです」


 つまり、このまま狂王が死亡すれば、サイドゥラの地にさまよう亡者たちのようになって、正常な転生ができない……ということだろうか。知性を失った亡者たちとは違い、もっと強力な存在になるのかもしれない。

 父はそれを理解した上で統括者と問答しているようだから、その救済についても考えがある、のだろうけれど。

 どうやらその手段は、統括者にとっては不愉快なもののようだ。

 細い両眼が冷たい怒りを映して光る。


『貴様は人の身でありながら、精霊たちの力を利用しことわりを踏み越えようというのか。魂を歪めるまでに罪を重ねた害悪者に、精霊の力は及ばぬ。それを、強要するつもりなのか』

「いいえ、統括者よ。……大地蛇ミッドガルドも、不死鳥フェニックスも、精霊たちの願いは、人と関わり人の幸せを守ることです。強要などしなくとも、かれら自身が、悲劇からの救済に力を貸したいと望んでいるのです」


 真っ向から反対する意見をルウィーニは、よりによってこの世界の最高管理者に対し唱えている。背筋に冷たいものがうのを感じつつも、ラディンは父の覚悟の強さを改めて思い知った。

 闇が歩を進め、その圧に耐えかねたように、ルウィーニが首から下げていた魔術具がパキリとひび割れて落ちる。


『そこを退け、魔術師。人ごときが私に逆らえると思っているのか』

「脅しつけられようと、俺は退きませんよ」


 ならば力尽くで、とでも言うように、ウラヌスが右手をあげる。

 ルウィーニは無言で目を伏せ、炎の剣を手放した。途端に剣が姿を変えて、人型のゼオがその場に現れ吠えた。


「マスター!」


 灼虎しゃっこのゼオは、可能かどうかはともかくルウィーニを庇おうとしたのだろう。しかし、そういう事態になる前に思いがけない横槍が入った。

 突然どこかから飛んできた剣が、勢いよくウラヌスの足元の地面に突き刺さったのだ。

 剣身を紅水晶ローズクォーツで造られた、炎をまとった大剣。ゼオが変身していたものとは意匠も形状も違っていたが、明らかに魔法製の剣だとわかる。

 異変を察してルウィーニが目を開き、ウラヌスは不快げに視線を傾けた。


『何をしに来た、ザレンシオ』

「遅くなった。手間取ってしまい申しわけない。――ウラヌス、ここは私に収めさせて貰えないか?」


 見あげるほどに大柄な、人間族フェルヴァーの剣士だ。風に吹きあげられた癖の強い髪は、燃えたつ炎を連想させる。どこかで見た姿だ、と思い、大地蛇ミッドガルドと共有した記憶に出てきた炎の王だと気がつく。

 あのとき見た陽気さは今は影を潜め、彼は悲しげとも苦しげともつかない表情で統括者を見ていたが、ウラヌスの返答はにべもなかった。


『貴様に任せたら、収まるものも収まらなくなるだろうが』


 統括者と炎の王は仲が悪いのだろうか。もちろん聞けるはずもなく、ラディンを始めその場の全員は見守ることしかできない。

 炎の王ザレンシオは苦笑をこぼし、しかし統括者には構わず、倒れたジェルマと隣に立つルウィーニのほうへと近づいた。ルウィーニは一瞬眉を寄せたものの、炎の王の表情に何か感じるものがあったのだろう――無言で場所を空ける。

 ゼオはルウィーニの側に、彼を庇うように立っていた。


「ウラヌス、此度こたび限りは俺も譲らぬ。手を出したら、本気で斬るぞ」


 睨むような視線を向け、ザレンシオが告げた。不穏な宣言にウラヌスは不機嫌なしわを眉間に刻み、怒気を込めた声で言い返す。


『そうか。元凶は貴様だったか、ザレンシオ』

「否定はしないさ。貴様、ジェルマの魂を粉砕するつもりでいるのだろうが、そんなこと俺が許さぬ。力尽くでというのなら、貴様の魔法で俺を退かせてみたまえよ」


 ウラヌスは黙って、ザレンシオを睨む。炎の王は統括者が黙ったのを見てとると、ジェルマの横に膝をついて屈み込み、手を回して彼の身体を抱え起こした。

 びく、と身じろぎして、彼の片方だけの目が開く。

 うつろな瞳が焦点を結び、唇が動いて鮮血がこぼれた。


「……れ、だ」


 突き刺さったままの杖は内臓を深く損なっており、胃から逆流する血のかたまりで言葉はいくらも声にならない。

 ザレンシオは片腕で力を失った身体を支え、耳を寄せてそれを聞き取り、大きな手のひらを頬に滑らせながら耳元にささやき返す。


「たいそう遅くなってしまったよ、悪かったな。今、ようやく迎えに来た」

「……ふ」


 失笑のような吐息が血液とともにこぼれ落ちる。


「……き、さまが……私、……うのか」

「いや? 俺は人など食わぬ。――そうだろう? ジェルマ」


 呼び掛けられた名前にも、彼の表情は変化しなかった。

 ――が。


愛しき我らの子Ler Mere Jema-ysha. 。……ジェルマJe-Le-m-a


 唄うように、ザレンシオがささやく。共通語コモンではなく、精霊たちの話す言葉でもない、不思議な響きを持つ言葉だった。

 感情を映さない虚無の穴のような瞳が、瞬いてザレンシオを見る。無機質に見えたその片目から、ふいに一筋、涙が落ちた。


「……なん、の……まじない、……だ?」


 ごふりと鮮血を吐き、ジェルマが笑う。

 投げだされたままの手がひくりと痙攣けいれんした。瞳から光が失われ、全身が震え、やがて動かなくなる。


 幼き日に名をくれた炎の王の腕に抱かれ、最期にはその名をささやかれ――、狂王と呼ばれた魔族ジェマは、その混沌に満ちたいのちを終えたのだ。




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