[9-3]赤と白と


『おいッ! なに、ボーッとしてンだ、早く行けよ!』


(わかってんだよ! でも、身体が動かねェんだって!)


 思うように手足が動かない。踏みだしたいのに進めない。そんな自分を腹だたしく思っているのは、何よりステイ自身だ。

 頭の中に響くゼオの声が、焦りをにじませながら急かしてくる。

 コイツ精霊のくせに人族ヒトっぽいな、と思う。言いたいことはちゃんと理解しているけれど、どうすれば動けるのかさっぱりわからないのだ。

 気合いとやる気でどうにかなるならとっくにやっている。


『ちぃッ、ホント人族ひとってーのはその辺メンドーだよな! よし、ステイ、目ェ瞑れ』


(はァ! 敵を前にして目ぇ瞑ってられるかよ!?)


『時間がねェんだっつってンだろ! 素直に聞けよな!?』


 なんだコイツ、口悪いな。言葉遣いがなってないとかガサツだとか小言ばかり食らう自分と、あまり大差ないかもしれない。

 そう思ったら妙な親近感が湧きあがってきて、これが友情の始まりってやつか、と気分が上がってきた。


(おうよ、瞑ればいいんだな? 瞑ったぜ、……って、うわ!?)


 燃え盛る紅蓮ぐれんの炎に全身をめられる幻を見た。ゴォと空気を震わす炎の音と鼻をつく匂いを感じたのに、熱さはない。


『よし、いい子だステイ。目ェ開けていいぜ』


(お、おう……なんだよ今の)


 恐る恐る開いた視界に別段大きな変化はなかった。自分の髪も衣服も、焦げた跡など見当たらない。

 ただ、さっきより身体が軽くなった気がする。


『行け、ステイ』


 大剣を握る右手の手首を、ぐっとつかまれたような気がした。


『余計なことァ考えなくていい。オレはおまえの楯で、剣だ。信じて任せて、突っ込め!』


(ああ、了解したぜ、ゼオ!)


 ゆっくり掲げた大剣の剣身が火勢をまして燃えあがる。自分の中にも、同じ炎が燃えているのを感じる。


 このカンジは好きだ。

 理屈なんて軽く超越しちまえる気がするからだ。




 ***

 



「……なァ、ラディン」


 打ち合う父と狂王に視線が釘づけになっていたラディンに、ステイが声をかける。視線だけ動かし見ると、彼は炎の大剣を掲げ、真剣な目でこちらを見ていた。


「オレらも、行かなきゃなんねーんだろ?」

「ん、そうなんだけど」


 ぐ、っと白い剣を握る手に力を込める。流れ込む魔力と、内側に響く共鳴を感じる。


「あのさ、オレ、すっげー急かされてんだ……ゼオに」

「うん、おれも同じだ」


 ――ということは。打ち破れ、というのだろう。

 精霊の剣は人の意志が介在かいざいすることで、真価を発揮するという。であれば、この呪縛を打破するのは彼らの魔力ではなく、自分たちの意志力なのだ。


「よし! ステイ、行こう! 足手まといになる心配とかは考えなくていいって。ただ、行け――……ってクレストルは言ってる」


 動けないから進めない、と考えるのではなく。


「おう、行くぜ! 一、二の三で、気合だッ!」


 ステイが吠える。その力強さを頼もしく思い、ラディンは頷いて息を吸い込んだ。


「一、……二」


 二人の声が重なり合い、剣から伝わる共鳴がさらに強くなる。


「さんッ……!」


 きっと、掛け声なんてどんなものでも良かったのだ。


 全身に絡みついていた干渉が途切れ、嘘みたいに身体の自由が戻った。勢い余ってつまずきそうになりながらも、二人は掛け声をそろえて一緒に狂王へ斬りかかる。

 二人と狂王との間にはルウィーニがいたし、あの激しい打ち合いに割り込んで上手くやれるかはわからなかったが、精霊たちかれらは信じろと言ったのだ。だから、迷わない。


 ルウィーニが一瞬振り向き、ギリギリでかわして二人に道を空けた。もしくは、剣の意志が避けたのかもしれない。

 驚愕きょうがくの表情でこちらを見る狂王と、目が合った、気がした。胸中に恐怖が湧きあがるよりも早く、腕を引っ張られるように全力で剣を振り払う。

 閃く白い光と、舞う火の粉。

 硬くて弾力のあるものを断つ感触と、肉の焦げる匂いが、嫌にはっきりと感覚に焼きついた。


「ぐあぁぁ!?」


 狂王にとっては不意打ちだっただろう。鮮血と絶叫をほとばしらせ、彼は大きくよろめいた。

 炎の剣によって利き腕を穿うがたれ、白い剣によって脇腹を裂かれ、同時に繰りだされたルウィーニの燃える穂先に肩口を削られて、怒りに満ちた彼の片目がこちらを睨む。


「その剣は、魔法製……か!」

「ああ、そうだよ。先に言った通りだ、俺はここできみのいまを終わらせる、と」


 くるりと杖を返して先端を狂王に突きつけ、ルウィーニの紅玉ルビーの両眼が鋭く細められた。


「果たしきれなかった後悔を子らに負わせるなんて、俺はごめんだ。それにもうこれ以上、きみが狂行を重ねるのも終わらせたいと思うよ」

「狂行……? 貴様が、私を裁くというのか? いったい誰が、貴様に権威を与えたのだ」


 うつろな穴の瞳があざけるようにわらった。狂王は身体を引きずるようにまっすぐ立ち、刺突剣エストックを持ち直す。

 再び絡みつく呪縛に、ラディンはあらがおうと手のひらに力を込め、奥歯を噛みしめた。狂王は焦点の合わない目をこちらに向けて、ぽつぽつと言葉を吐きだしてゆく。


「強者が生きるために弱者をらい、利用する……、ここは、それが、許されている世界だろう。それにならうことが狂行だと言うのなら、世界そのものが……とうに狂っているのだろうよ」


 ざらつく声が耳から侵入し、頭の中をかき回すようだ。彼の言うことに同意はできなくても、彼がそういう生を強いられたことは真実なのだから。

 伝わる魔力と共鳴が、熱さをともない身の内をくような錯覚を覚える。精霊の剣など手放してしまえば楽になると、ささやく呪詛じゅそが聞こえるような気がする。


「世界に、美しいものなどあるものか。生など所詮、他者の死を集め寄せて維持される、いまわしい狂気だ。狂った世界で狂ったモノを狩る、……当たり前の、道理ではないか」


 それは違う。心に思う拒絶こたえを、口にすることができない。心は嫌悪を覚えているのに、身体が自由を明け渡してしまえと訴えている。

 白い剣から、強い叱咤しったの意志が届く。


「違う、違うよ……!」


 振り払うためには、もくしていてはいけない。

 壊れたように笑う狂王を、全気力を動員して睨み返す。額から汗が噴きだし目に入るが、拭うだけの余裕がない。


「守られるだけの子供に何がわかる」

「うるさい、うるさいうるさい、絶対に――それは違う!」


 心を乱す雑音に夢中で首を振ってあらがい、とにかく腹の底から声を出して吠えた。

 鼓膜を突き抜ける声は自分のものではない錯覚を覚えたが、それでも少し意識がはっきりした気がする。

 隣に立つステイが同じように、大声で叫んでいるのも聞こえた。


「うっせェんだよ! 世界がどうとか、知るかよコノヤロウ! オレは、オレの、約束を――果たすだけだアッ!!」


 ゴォと火勢を増す炎。強い魔法力に熱された空気が陽炎みたいに揺らめいた。

 クレストルが、ゼオが、負けるなと言っているのを感じる。


「世界、か。……たとえば世界が狂ってて、ひとを殺戮さつりくしながら生き抜いたきみの行為が正当で、我々のこの行為が傲慢ごうまんだとして、」


 平坦へいたんな声で呟きながら、ルウィーニが一瞬だけ二人を見た。紅玉ルビーの瞳に映る強い意志に気づき、ラディンの胸に覚悟が決まる。

 腰を落とし杖を強く握り込んだルウィーニは、挑むような強い声をジェルマに向けて言い放った。


「きみは、人をらい操りそうして絶対的な力を蓄えてきたきみは! それで――幸せだったのか!?」


 問いと同時に渾身こんしんの力でまっすぐ突きだされた杖の、燃える穂先が。


「――――しあわせ……?」


 きょをつかれたかのように避け損ねたジェルマの、鳩尾みぞおちを、刺し貫いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る