[9-2]亡者の街
もしかしたらこの場所は、時間が
そうでなければ、自分たちが産まれるより前に起きた戦いの残骸と腐臭が、これほど鮮烈に残っているのはなぜなのか。
「うぅっ」
思わずえづきそうになるのを、口を覆って我慢する。眼前に広がる光景は正視に
死臭と硝煙に満ちた空気。黒く汚れた人型の残骸。戦場慣れしているであろうギアでさえ我慢ならなかったのか、服の袖で口元を覆っていた。
五感による不快感だけでなく、身体中の全感覚がこの場に立つことの不快さを訴えている。――この感覚は、何なのか。
「ここは、まだ終わっていない戦場だ。身体が忌避を訴えるのなら、それは正常な精神活動の証拠だ……、耐えられない者は空間が閉じないうちに戻りなさい」
カミィの言葉で、この地を満たしているのが可視性のものだけではないことを知る。
この恐怖感、おぞましさは、見えずとも感じられる怨念や
彼の言葉どおり、一歩後ろに退がれば空間の穴を通ってこの場から逃れることができる。
けれど、そうしようとする者はいなかった。
ここに立つと決めたのなら、
あの悲劇で命を奪われたサイドゥラの
ギアが愛用の
インディアがパティロとモニカとフォクナーを自分の近くに招き寄せ、
フェトゥース国王が
リーバがスターロッドを掲げ、シャーリーアの隣で
「ルウィーニ」
カミィが短く呼びかけ、
顔すら見わけられない距離だとしても、それが誰かは疑いようもなかった。
「終わらせてくれ」
カミィの言葉にルウィーニが頷くのと同時、狂王がゆらとこちらを見た気がした。それとともに、ルウィーニが動く。
ガツッ、と鈍い音が至近から鼓膜を打ち、驚いたラディンは思わず一歩さがった。
さっきまで遠方にいたはずの狂王が、
ラディンにとっては予想外だった動きも父は想定していたらしく、長い魔術杖で受け止め腕力に任せて払いのける。
金属がこすれる耳障りな音が響き、狂王が間合いを取るように離れた。動じた様子のないルウィーニとは違い、ラディンもおそらくステイも動くことができずにいる。
「来てくれると思っていたよ、ジェルマ」
「貴様が、エイゼルの血の者か」
こんな時でも柔らかな父の声音と対照的に、感情の抜け落ちた無機質な声音。
「そうだよ。五十年前は、我が父が失礼をしたね」
「フン、……貴様も私を封じるつもりなのか」
ルウィーニが、長い魔術杖を両手で持ち直した。対するジェルマが構えるのは、細くて鋭い
精霊の剣を持つ二人は、まだ動けない。
動かねばならないことはわかっていて、気持ちは焦るものの、体がまったく言うことを聞いてくれないのだ。そんな二人を庇うようにルウィーニは一歩踏みだし、まるで影のようにカミィがそのあとに
「俺は、父が果たせなかった決着をつけにきたのさ。ジェルマ、俺が死ぬかきみが死ぬかの、どちらかだ」
「剣も持たずに、その杖で……私を殺すだと? 面白い。やってみるがいい、やれるものならな」
「そうだとも。だが、
低くささやいたルウィーニの言葉が終わらぬうちに、傍らのカミィが動いた。狂王がはっとしたように視線を走らせ、銀の刃を閃かせる。
あろうことかカミィは手にしていた
「貴様ッ!?」
怒りを込めて吠えたジェルマが突き出した
鮮血が散り、大きくよろめいたカミィはそれでも踏みとどまって、後方へと跳び距離を置く。
「効果が続くのはわずかな時間だ、ルウィーニ。私にはもうできることがない。死ななかったことを褒めてくれ」
致命傷でなくとも、傷口は深いらしく血がどんどんあふれ出している。カミィは手のひらでそこを押さえ、崩れるように膝をついた。
リーバの慌てたような詠唱が響き、治癒の魔法光がカミィを包む。
「
シャーリーアの呟き。初歩の闇魔法だが、魔法を得意とする
カミィは自分の全
「ありがたい! カミィ、わずかの時間で十分だ!」
ルウィーニが杖を掲げ、叫ぶように答えた。先端にはめられていた赤い魔法石が輝き、燃えあがる。
父の得意武器は棒杖ではない、とラディンは気がつく。あれは、長槍だ。間合いを保ちながら刺し貫く戦い方とゼオが変じた大剣とでは、確かに相性が悪いだろう。
しかし、父は勝てるのか――疑念と焦燥が胸を焦がすものの、
「ジェルマ、俺はきみを逃すつもりはないし、負けるつもりもない。さあ、来なさい!」
「貴様らッ……
怒気を込めて叫んだジェルマが無軌道に
剣身を打ち据えるように杖を叩きつけ、ジェルマが怯んで退がったところに踏み込んで、燃える先端を鋭く突き出す。
闇の属性が苦手とするのは、炎の魔法だ。
槍の間合いと魔法炎の威力に
「あいつ、剣士じゃねぇな。オヤジさんは槍使いか。ラディンとステイは何やってんだよ」
「狂王は
ギアとカミィが会話している。かろうじて視線だけ動かし見れば、手負いの死神を
「
「ああ。一体一体は強くないが、なにせ数が多いし亡者はしぶとい。油断はできないな」
ギアだけでなく、フェトゥース国王も、リーバやシャーリーアも、子供たちさえも、覚悟を決めて向き合っている。
自分も、早く一歩を踏み出さなければ。
でもどうやって。
『動けぬのか、ラディン』
ふいに聞こえた声は鼓膜を通してではなく、脳内に直接届いた感覚だった。優しく穏やかな声が、胸を
ぎりりと奥歯を噛みしめて、ラディンは念じるようにクレストルとの会話を試みた。
(どうしよう、クレストル。金縛りにあったみたいに、動けないんだ)
『
わかっている。
このままではいけないのだ。
ぐっと手のひらに力を込めれば、冷たい剣の柄を通して
穏やかながらも張りつめた緊迫感をにじませ、クレストルは告げるのだ。
『ルウィーニの技量は狂王に勝るが、加減可能なほどに優位ではない』
その意味は、わかっている。
手のひらと背中に嫌な汗が噴き出した。
全身を絡めとろうと貼りつく魔力は、狂王によるものだ。手のひらから伝わるのは、クレストルが宿す浄化の魔力。
どちらかを選んでどちらかを拒絶できるような器用さを持てず、ただ必死で相棒の声に意識を集中する。
共鳴するように響く内なる声が、導いてくれることを願って。
『ラディン、この刃を一撃、彼の身体に届かせれば良いのだ。ルウィーニを妨げる心配は不要だ……
行きなさい、――その意志を感じる。
ただ一撃、ただそれだけを成すために、この位置は遠すぎる。
(狂王の『不死性』を失わせるには、クレストルの魔力が絶対に必要なんだよね)
教えられた知識を、確認する。
クレストルが頷いたような気がした。
それはつまり。
『我身の刃が届かぬままルウィーニの槍が狂王を殺せば』
(父さんが、死ぬ)
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