9.悲劇の幕引き

[9-1]決戦の朝


 朝だ。

 いつも通り訪れる、明るい陽射しと意識の覚醒。


 もしかしたら今この瞬間にも、世界のどこかで悲しい出来事が起こっているかもしれないけれど。

 そのすべてを知ることはできないから、自分にとっては変わらずいつもの朝なのだ。


 待ち望んでいた再会を果たし、知らなかったことをたくさん知って、今の時代の自分が見ることなどないはずの過去も見た。

 この世界に産まれて生き、朝を繰り返して当たり前の時間を過ごし……、それで、悲劇を経験する人としない人、その分岐はどこにあるのだろう。


 やりきれなさを、ラディンはまだどう受け止めていいかわからない。

 それでも今日が……決戦の日なのだ。




 

 起きたらすでに父の姿はなかった。起こしてくれればいいのにぃとぼやきつつ、あわてて着替え、急いでキッチンへと向かう。

 ルイズとシャーリーア、インディアが朝食の準備をしていて、父はカミィとテーブルで何か打ち合わせをしていた。


「おはようっ、何か手伝うことある?」

「ああラディン、おはよう。俺はもう少しかかるから、先に食べてしまいなさい」


 父が顔を上げて応じる。……とは言われても、皆それぞれ忙しそうで食事とか気まずいのだが。

 と、そこに、


「おッス! いい朝だなッ、おはよー!」


 場違いに明るい声が響く。ステイだ。

 シャーリーアの額に青筋が浮いて何か言いたげに口が開いたが、その前にカミィが顔を上げて言った。


「おはよう。悪いがおまえたち二人、今のうちに食べてしまってくれ」

「そうそう、ステイ君も一緒に朝ごはん食べちゃいなさい」


 発言が不発に終わったシャーリーアは、無言で二人分の冷茶をテーブルに置くと奥に引っ込んで行く。

 うかがうように傍らの妖精族セイエス青年を見あげると、あっさり彼は言った。


「だってさ、食おうぜ」

「あー、うん」


 ここで遠慮する意味はない、というか、各自それぞれでやるべきことを終わらせるほうがいいだろう。そう思って、ステイと一緒に客間へ行く。

 テーブルに所狭しと料理や飲み物が置かれていて、すでに起きた者たちはめいめいに座って食べたり話したりしていた。

 その中にギアの姿を認めて、安堵感が一気に胸へと押し寄せる。


「おはよー、アニキ!」

「おぉ!? ラディンおはよう! いやぁ、なんかいろいろ悪かったなァ」

「ううん、ギアこそ無事で良かった、。心配したんだよー? 父さんのこと、本当にありがとう」


 大怪我をしたものの無事だったことも、ロッシェと一緒に監獄島へ父を迎えに行ってくれたことも、話で聞いてはいた。でも、ここまで慌ただしくって、ゆっくり話す時間もなかったのだ。

 顔を見て、短くとはいえ言葉を交わすことができたからか、ほっとして一気に空腹が迫ってきた。

 ステイが適当な場所に陣取ってもう食べ始めていたので、ラディンも彼の隣へ行き、パンを口に詰めてお茶で流し込む。


「うわー、オマエ早食いだな」

「うぐっ!?」

「オイ! 大丈夫かよ?」


 ステイの大声に思わず変な飲み込み方をしてしまい、あわててお茶を取ろうとジタバタしていたら、彼も慌てたらしく背中をさすってくれた。なんとか飲み下し、息をつく。


「だって……なんか、落ち着かなくってさ」

「なに言ってんだよー! どんな状況だろうと、メシはきっちり食うもんだぜ? 腹が減ってはハンティングできねぇって言うじゃん!」


 妖精族セイエスのことわざだろうか。単に、親兄弟からの教えかもしれない。言葉通りがっつり食べる気らしい彼を横から観察して、これは大物かもしれない、と思う。

 と、そこへ、扉の向こうから話し声が近づいてきた。


「朝から忙しくさせて悪いね。落ち着いたら妻と一緒に、酒を土産に遊びにくるよ」

「こんな事態だ、仕方あるまい。私のほうはここ数日ずっと賑やかで、むしろ楽しませてもらったさ」

「まったく何から何まで、きみには世話になりっぱなしだね」


 入ってきたのは、ルウィーニとカミィ。ラディンたちが食べている間に来た者もいるのだろう、いつの間にか客間には全員が顔を揃えていた。

 ギア、フェトゥース、ドレーヌ、インディア。パティロとフォクナー、モニカとクロノス。シャーリーア、リーバ、ラディンとステイ、そしてルウィーニとカミィ。

 ここにいない者たちは、パティロの故郷である獣人族ナーウェアの村にとどまっているはずだ。

 ルウィーニは、手にしていた数枚の紙を手近な棚に置き、その場にいる全員を見渡すと口を開いた。


「早速だけれど、これからの予定と各自への指示を与えるよ。不服な者は遠慮なく言って欲しい」


 喉の奥に引っかかっていたパンのかけらと緊張を冷茶と一緒に流し込み、ラディンは話しだす父を注視する。ステイは食べながら聞くつもりのようだ。

 全員の視線を受けて、ルウィーニは大きな一枚紙を取りあげ掲げた。地図らしい。


「すべての決着は、サイドゥラの地にてつける。狂王……ジェルマの操心の能力マインドコントロールは非常に強い。だから、彼と対峙たいじするのは俺とカミィ、そして精霊の剣を扱う二人だけだ。人選は、最後に言うよ」


 白い剣と、炎の剣。

 フェトゥースとラディンとシャーリーアは、白い剣の使い手が誰になるかを知っている。


「残りの者たちは、サイドゥラに縛られたままでいる亡者たちの、負の生を断ち切ってもらう。極端に数が多い、ということはないけど、それなりに強い亡者たちだ。魂が歪んでしまった状態では浄化もままならないのでね」


 ギア、フェトゥースをはじめ、それぞれが頷いた。

 歪んだ生にすがりつく亡者たちは、理性や思考を失っているだけに手強く、一般人や兵士たちには脅威となるのだ。


「移動手段は今日に限り、光の王を介して土の王に、特例を許可していただいた。クロノス君に空間ごと、こことサイドゥラをつないでもらう。リスクもタイムラグもなく直行できる、一番確実な方法だからね」


 クロノスが、緊張した表情で頷く。

 精霊王である彼が魔法を貸せるのは道をつなぐところまでなのだろうが、転移魔法の副作用――酔いとか魔法力MP消費を考えれば大きな助けだ。

 ルウィーニはそこでいったん話を止め、立てかけてあった魔術杖をつかんで水平に掲げた。杖の先端にはめられた魔法石にあかい光が点る。


「クレストル、時が来たよ。力を貸してくれ」


 低いささやきに応じて、部屋の中央に、螺旋らせんの一本角と光の翼を持つ白い獣が現れた。

 獣は長い首を巡らせ、藍の瞳でラディンを見て答える。


『感謝する……ルウィーニ、ラディン。われで役立てることがあるのなら、如何いかようにでも』

「ありがとう、クレストル」


 全身を淡く発光させて獣が姿を変じた。水晶のように剣身が透明な、ましろき長剣。

 それを空中で受け取るようにつかんで、ルウィーニは紅玉ルビーの双眸をラディンに向け、差しだす。


「さぁ息子よ、任されたぞ」


 笑みを込め告げられた言葉に心臓が早くなる。

 クレストル、という名の一角獣ユニコーン。彼と心を合わせることで、相殺そうさいの消滅を防ぐことができると父は言った。

 生真面目で優しいかれのことが、ラディンは好きだ。消えないで欲しいと思う。


「うん、任された。とにかく頑張るよ! おれは父さんと一緒にいけばいいんだよね」

「そうだよ。おまえは俺と一緒に来なさい」


 頷いて立ちあがり、白い剣を受け取る。ルウィーニはざっとその場の全員を見回して、ステイに目を留め手招きした。


「ステイ君、ちょっといいかい」

「うぇ、オレ? なんだ?」


 首を傾げつつステイが近づくと、ルウィーニは杖を掲げ虚空に向かって呼びかける。


「ゼオ。協力を頼んでもいいかい」


 ごォ、と、途端その場に強い熱のかたまり現出げんしゅつした。

 不可視の熱気が金色に輝き、現れたのは炎をまとった大きな赤い虎――灼虎しゃっこのゼオだ。


『マスター、呼ばれてきたぜ』


 精霊独特の脳内に直接届く声で応じると、虎の姿の精霊は人の姿をかたどる。

 濃い褐色の肌、燃えるように逆立つ赤金の短髪、きんいろの猫目。首筋から肩、腕と手の甲に至るまで、虎の縞模様がくっきり描かれていて、獣耳と先端で火の粉を散らす長い尾も虎の形だ。


「ゼオ、きみは、ステイ君を助けてくれないか?」


 ルウィーニに言われ、灼虎しゃっこは、ぽかんと自分を見ていたステイに視線を向ける。ややあって、炎混じりの息をひとつ吐きだし答えた。


おうよ。宜しく頼むぜ、相棒。うまくやれよ」

「お……? おゥ!?」


 突然の振りによくわかっていなさそうなステイだったが、相変わらず返事の良さは一級品だ。それを聞き届けた灼虎しゃっこの姿が、再び変化する。今度は、剣身の燃える大振りの剣へと。

 くるりと空中で一回転し床に突き刺さった炎の大剣を、ステイが恐る恐るといったふうに引き抜いた。

 燃える剣が突き刺さっていたはずなのに、床に傷は残っておらず焦げ跡もない。剣をつかむステイも、熱さを感じてはいなさそうだ。けれど間違いなく刃は炎そのものだった。


「すげエ……」


 空色の瞳をキラキラさせて、ステイは燃える大剣を見つめている。

 剣士にとって少なからず魔法剣というものは憧れだろうし、まして中位精霊の変じた剣など金銭で買えるものではない。感動に震えるステイをシャーリーアが心配そうに見つめているのは、いつもの光景だ。

 ルウィーニは少しの間その様子を微笑んで見ていたが、やがておもむろに杖を掲げ、続きを語りだした。


「闇を相殺そうさいし歪みを浄化するのは、光。闇をめっし魂を解放するのは、炎。――頼むよ、ラディン、ステイ君」

「うん、わかってる」


 ラディンが頷き、ステイが我に返ったかのように目を瞬かせ、自分自身を指差した。


「あぁ、任せろ! って言いたいけど、なんでオレ?」

「うーん……理由を聞かれると困るんだけど、直感、みたいなものかな? きみなら任せられる気がしたんだよ」


 そんなこと言ってるけど最初から目をつけてたんじゃ、とラディンは思いつつ、隣で得意げに胸を張る妖精族セイエスの彼をそっと観察してみる。

 昨日はあれだけごねていたゼオが二つ返事で了承したのだ。絶対、父はわかって指名したに違いなかった。


「さて」


 魔術師用の長い杖を縦に持ち直し、ルウィーニはクロノスに目を向ける。


「俺たちが向かうのは、かつて悲劇的な滅びを迎えたサイドゥラの地。かの地で引き起こされた悲劇は、まだ終結していない。だから、終止符ピリオドを打つのもあの地でなければいけないんだ」

「本当に、ジェルマは来るの?」


 昨夜の一方的な果たし状を思いだし、ラディンは父に尋ねる。ルウィーニは確信めいた瞳でラディンを見、はっきり頷いた。



「ああ、間違いなくね。彼は感情が欠落していて自分の危険に無頓着だ。死ねない体、という自覚があるのだろうけどね。それでも、彼にとって英雄王エイゼルの名は特別で、看過かんかできないものなんだよ」

「――もし来なくても、呼び寄せるつもりなんだね。父さん」


 父の強い視線が、今は少し痛かった。ラディンだって、終わらせねばと強く思うし、願いの本質に父との相違はない。それなのに、なぜこんなに胸が痛むのだろう。

 ルウィーニは黙って、両脇に立つ二人の肩に、片方ずつ手を置いた。口を開き、言い含めるようにゆっくりとささやく。


おぼえておきなさい、子供たち。もしもそれしか方法を見出せないのであれば……他人ひとの命を奪う選択に、過剰な罪悪感を抱える必要はない。だが、他人ひとを殺す苦しさに無感覚になるほど、慣れてはいけない。ただ、ありのままの苦さと不快さを、胸に刻んで生きなさい」


 ステイは黙って、まっすぐな瞳でルウィーニを見ている。ラディンは手の平で目の端をぐいと拭った。

 誰かを殺すこと。その重さを自分はまだ知らないけれど――、もう知らないままではいられないのだと悟る。


「世界なんて理不尽だ」


 震える声で吐きだすように言ったラディンに、ルウィーニは柔らかい笑みを向けてうなずいた。


「そうとも、ラディン。人の世界は決して、優しくなどない。痛みだって死だって……さもそれが当たり前のようにあふれているさ。でもね、そうだとしても……壊してはいけないんだよ。美しいものや、優しいもの、それを守るために」

「――ん」

「なんかよくわかんないけどさ、やるしかないんだろ?」


 ステイの出した答えを聞いて、ルウィーニは笑う。


「はは、きみはそれでいい、ステイ君。俺は、今ここで俺たちがやるしかないし、そうすべきだと信じて疑わない。さあ行こう、クロノス君、かの地へ空間をつないでください」

「……はい」


 震えを抑えた声で、幼い精霊王は応じた。そして。

 世界がぐらりと揺れて歪み、様相が変化する。森の中の一軒家から――凄惨せいさんな、瓦礫がれきの跡地へと。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る