[8-3]眠れぬ夜の処世訓


 ステイのいびきがうるさかったから……だけでもないが、シャーリーアは寝つけなかった。狂王との決戦という大役を前にして、神経が高ぶっているのかもしれないし、自覚以上に緊張しているのかもしれない。

 このまま朝を迎えるのは、精神的にも身体的にもつらい。そっとベッドから抜けだし、部屋を出る。屋内とはいえ樹海の奥地は夜の空気がひんやりしていて、自分の薄着を自覚し身震いした。


 こんな時間だというのにキッチンには明かりがついていて、話し声が漏れ聞こえている。引き寄せられるように向かい、扉の隙間からそっと中をうかがい見た。

 部屋の木製テーブルを囲んで、ラディン、ラディンの父、フェトゥース国王がいるようだ。


「ん? どうしたのさ、シャーリィ。眠れないの?」


 ラディンが目ざとくこちらに気づき、声をかけてくる。少しぼんやりしていたシャーリーアはすぐに応じられず、立ち尽くしていたが、席を立ったラディンが近づいてきて、扉を開けてくれた。

 ラディンの父――確かルウィーニという名だった――が、にこりと笑って手招きする。


「眠れないのなら、きみも一緒に話でもしようか」


 どこか夢うつつの気分のままで、招かれるままに部屋へ入り、空いている椅子に腰かけた。暖色の魔法光に照らされた部屋はほんのり暖かく、不思議に懐かしい気がしたが、それが何かまでは思いだせなかった。


「皆さんも、眠れずに?」

「僕は……寝つけずに。こうと話してみたいこともあってね」


 投げかけた問いに国王が答える。最初に会ったとき感じた危うさというか、演技めいた雰囲気を今は感じなかった。


「おれは、寝るのがもったいなくってー。父さんもまだ寝ないって言うから、一緒に話聞いてた」


 ラディンが答える。だいぶ浮ついているのが声からも感じられ、待ち望んでいた再会に寝る時間も惜しいのだろうと理解する。


「はは、さすがにもう若くないんだから、徹夜するつもりはないよ?」


 二人の答えを受けてか、ルウィーニは笑いながら答える。

 最初の印象では似てない親子だと思ったのだが、こうしてみるとラディンとルウィーニ、笑い方がよく似ているように思う。


「そうだ、父さん。シャーリィは魔術師ウィザードじゃなくて賢者セージなんだよ」

「そうなのかい。それなら俺と一緒だね」


 紅玉ルビーの両眼をまっすぐ向けられ、妙に落ち着かない気分になって、思わずシャーリーアは視線をそらした。

 彼の声は穏やかで、言葉にトゲや毒はない。それなのに、瞳の奥にあるはずの本意はどこか底知れず、胸の奥がざわついてくる。

 そんな心境を察知されたくなくて、シャーリーアは話題を探しながら口を開く。


「ルウィーニさんは、これからどうされるんですか?」


 考えてみれば、地位を追われた元王族と彼を裏切った男の息子が、一つのテーブルを囲んで談笑しているという状況だ。明日のことを考えれば仲良さそうなのは良いことだが、心理的にはせない。

 口をついて出た問いは社交辞令に近かったが、ルウィーニの返答は意外なものだった。


「俺はロッシェに、フェトゥース国王を助けると約束したから、そのつもりだよ。ラディンは今のまま港町に住むそうだけどね」

「――は?」


 思わず失礼な聞き返し方をしてしまった。


「ロッシェは国王陛下のお兄さんらしいよ」


 ラディンが補足した情報もシャーリーアにとっては初耳で驚くべきことだったが、せないポイントはそこではない。

 とはいえ国王本人を前にして、あまりあからさまな言い方をするのもはばかられるが。


「そんなに簡単なことなのですか?」


 言外に諸々もろもろの意味を込めて聞き返せば、フェトゥース国王は物憂ものうげな表情で視線を落としてしまった。つまり、意味がわからないと思っているのは自分だけではないということだ。

 ルウィーニは視線だけ動かしてそれを見、頬杖をついてシャーリーアへと視線を戻す。


「立場や感情を抜きにすればそれが最善だと、俺は思ってるよ。なに、最善だと信じることのためなら人は案外と本気で取り組めるものだ」

「……その立場や感情を、そんな簡単に抜くことができるんですか」


 言葉を選びつつも、尋ねずにはいられない。人間族フェルヴァーでもなくライヴァン帝国民でもない自分がこんなことを言うのは差し出がましいと自覚はあるが。

 もしかしたら、眠れぬ夜に昂揚こうようした精神状態のせいで、少し感情的になっているせいかもしれなかった。


「俺は、大丈夫だと思ってるよ」

「なぜです」


 よせばいいのに食い下がってしまって、少しの気恥ずかしさについ視線を落とす。

 フェトゥース国王は善良な人物だと思うが、忠誠を捧げるほどの魅力は感じられない。ロッシェにしてもそうだ。

 王位を捨てて学者の生き方を選んだのであれば、今後はその道のため自分の時間をつぎ込めるだろうに……今さら、なぜ、犠牲を払おうとするのだろう。


「人は鏡だというのが、俺の持論でね」


 ルウィーニの発言は脈絡がないように思えて、シャーリーアは目をあげ彼を見る。紅玉ルビーの両眼を細め、口元を和ませて、彼は言葉を続けた。


「俺は今の国王陛下が好きだし、手助けしてやりたいと思うよ。息子と彼が争うのなんて見たくもないし、そういう形で利用しようとする者たちに巻き込まれたくもない。そういう不幸を阻むためには、自分で行動するのが一番確実なのさ」


 彼は学者である以前に父親なのだ、と実感させられるに足る、一言だった。

 しかし、鏡とは。

 自分の動きとまったく同じで対称的な動きを返すのが、鏡の特性だ。けれど世の中は、それほど単純ではない。

 なんとなく挑戦的な気分になったシャーリーアは、正面のルウィーニを見返した。そしてふいに恐ろしさをを感じて息を詰める。


「理解した上で、そう仰るのですね、貴方は」


 首を傾げ目を瞬かせるラディンと、不思議なものを見るような目をして黙っているフェトゥース国王。おそらく二人とも、今の言葉が意味することを理解していない。

 口元に笑みを浮かべたまま、ルウィーニは頷いて答える。


「俺も島にいる間に四十を超えて、気づけば人生の折り返しに差し掛かろうとしているわけだよ。王族から罪人、俺が望んだわけではなくてもいろいろなことがあった。……俺はその全部を、他人の評価で測られたくはないのさ。これでも結構、幸せだと思っているのでね」


 楽観主義、とか、日和見主義、といったものではない。

 世の中の不条理を認識した上でその持論――それはつまり、人を意のままに動かすためどう動くべきか把握している、という意味だ。

 優しく温和な人物に見えるが、その実体は底知れない。感じた恐ろしさの正体が判明した気がして、シャーリーアは口をつぐむ。

 そこで、黙って話を聞いていたラディンが唐突に発言した。


「父さんは、狂王と戦う手段があるんだよね?」

「もちろんさ。……そうだな、せっかくの機会だし、皆に紹介しておこうか」


 そこは、シャーリーアも気になっていたところだった。彼の不死性について洞察どうさつを得た今ならば、対抗する手段はいろいろと思いつく。しかし、そのすべてが現実的かつ人道的であるとも限らない。

 稀代きだい傑物けつぶつと呼ばれた魔術師は、どんな手段を選ぶのだろう。

 口には出さなくても、フェトゥース国王だって気になっているに違いなかった。


 ルウィーニは椅子から立つと、壁に立てかけてあった杖を取り、ゼオ、とささやくように呼びかけた。その瞬間に強い熱気が場に生じ、ゆらりと空気が動いて人に似た姿が現れる。

 濃い褐色の肌には虎のような縞模様。炎のように鮮やかな赤金の短髪はツンツンと立っている。金に輝く猫目と、先端が燃える虎の尾。――獣人族ナーウェアに似ているけれど異なる存在。


「呼んだかい? マスター」

「ああ、きみの力を借りるつもりだからね。紹介するよ、こちらはラディン……俺の息子と、ライヴァンの現国王フェトゥース、そして息子の旅仲間の妖精族セイエス、シャーリィ君。――彼はゼオ、ゼロ=オーレリディラオという名の灼虎しゃっこだよ」


 灼虎しゃっこ――破壊特化の炎中位精霊で、主に火山地帯に住む希少精霊だと言われる。氷狼ひょうろうのリューン、精霊王たち、光の王ときて、非日常に慣れつつあるシャーリーアも、これに心躍らずにはいられない。


「ゼオ? ゼロ? よろしく!」

「この度は、お世話になります」


 フレンドリーなラディンと堅苦しいフェトゥース交互に見、灼虎しゃっこはぼうっ、と炎の息を吐いて、ルウィーニを横目で見やった。


「オイ、マスター。まさかコイツらの内からオレの剣の使い手を――……ってつもりじゃねェだろなァ? オレはマスター以外はゴメンだぜ」

「そんなことを言わないでくれよ、ゼオ。俺は長剣が苦手なんだって」

「……フン」


 不満気に息をつく姿は何とも人族ひとくさい。ゼオは前髪をかきあげて、ハァ、とわざとらしくため息を吐きだした。

 人と違うのは、その息に火の粉が混じっているところか。


「気にいらねェ相手と組むより、そっちの方がマシに動けるっての」

「うーん、俺だってそこはわかっているよ?」


 ルウィーニが苦笑混じりになだめようとするも、灼虎しゃっこはそのまま姿を消してしまった。今のやりとりが意味するところを正確につかめたわけではないが、この場の三人は拒否されてしまったらしい……ということだけは理解する。

 長い魔術杖を元の場所に立てかけ、席に戻ってきたルウィーニは、やれやれ、といったふうに肩をすくめた。


「手段は……この通り。あとは単純に、相性次第かなぁ」

「相性、とは、今の彼とのですか?」


 不安げに尋ねるフェトゥースに首肯を返し、ルウィーニは口を開いて補足を述べる。


「精霊や精霊獣っていうのは、純粋な魔力のかたまりみたいなものでね。つまり彼らの存在自体が、高位魔法に匹敵すると言っても過言ではないんだ」

「研究に基づいて封印もしくは滅殺の魔術式が完成した、ということではないんですか?」


 何かそういうものを想像していたシャーリーアは、戸惑いを覚えつつも尋ねずにはいられなかった。

 魔法語ルーンや魔法術式というものは、間違いなく精霊の魔力を借りて魔法を発現させるための、契約書のようなものだ。気が合わないからといって拒否されたのでは肝心の時に役立たないではないか。

 その質問はルウィーニの気に入ったのだろう、彼の口元に笑みが上る。


「なかなか鋭い質問だよ、シャーリィ君。だが、きみのイメージしている方法とは少し違うのさ。結局、そういう普通のやり方ではかわわない人物でね。だから恐れられたんだよ」

「普通、ですか?」

「きみは、精霊の剣というものを知っているかい?」


 学院教師の職業病でもうずいたのだろうか。そう言ってルウィーニは、今回の切り札となる手段について解説を始めたのだった。




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