[8-2]眠れぬ夜の人生相談


 暖色の魔法光が照らしだすキッチンで、フェトゥース国王は椅子に座ったまましばらく黙っていたが、やがてポツンと言った。


こうは、……父がなぜ叛乱はんらんを起こしたのか、ご存知ですか?」


 炎帝――父王ルードウェルは今では、野心家また猜疑さいぎ心によって道を外した君主として語られることが多い。だから口に出すのをはばかってしまうが、フェトゥースにとって父は今でも敬愛の対象だった。

 機略に富み、行動力があり、いつでも自信に満ちあふれていた。


 しかし、王妃……フェトゥースの母にとっては、そうではなかったらしい。

 彼女は自分の夫をひどく恐れ、忌み嫌っていた。いつも嘆きと恨みばかり、息子フェトゥースに対して吐きだし続けた。


 父に憧れる一方で、母を否定することもできず。板挟みの心は、他者と本音で向き合うことをかわすのが上手くなった。本心を隠して笑い、相手が気持ち良いと感じる言葉を返すなら、誰をも傷つけずに済んだから。

 やがてフェトゥースは、正面から人と関わる方法がわからなくなってしまったのだ。


 母の早すぎる死と、父の暗殺。どちらもフェトゥースにとってつらく悲しい別れだった。

 周りの見方がどうであれ、両親を気遣い自分を抑える日々を抑圧と思ったことはない。もっと長く生きていて欲しかったし、いつかわかり合って欲しいと願っていた。

 それはもう、二度と叶わなくなってしまったけれど。


 実際、王になり、大帝国をべるというのがどういうことかを思い知ったフェトゥースは、父の偉大さを痛感した。簒奪さんだつの王座と強硬的な支配が反発を招くことも理解できたが、父は私情にとらわれずそれを断行していたのだ。

 自分は、父と同じようにはできない。

 それでも倣おうとして、国民にも諸侯たちにも自信に満ちた笑顔を見せようと努力した。


 そのころの本音を語れた相手なんて、ジェスレイとインディアしかいなかったと思う。



 

 ――ロッシェ。

 二年前、唐突に遠方の地から戻って来た、レジオーラ家の跡とり婿……ジェスレイにそう聞かされて、フェトゥースは何も疑わずそれを信じた。


 彼は幼い娘を城に連れてきて、片時も離そうとしなかった。宮仕えの者たちには当然、眉をひそめられたが、母親がいないという事実が知れるにつれ、あれこれ言う者も少なくなっていった。

 子供が泣きだしたり熱を出したりするたびに上へ下へ大騒ぎする城内の者たちを見かねてか、ジェスレイがあの親子に特別、寝泊まりできる部屋を用意してくれた。


 幼児があれほどの大きな声を出すなんて知らなかったし、はじめは戸惑ったりもしたが、いつしかフェトゥースも騒動の輪に巻き込まれていた。

 貴族たちや諸侯との溝はなかなか埋まらなかったけど、下働きの者たちや女官たちとなら気負いなく言葉を交わせるようにもなっていった。


 しかもロッシェは、遠慮がなかった。

 子供を連れて執務室に入ってくるし、自分が寝たくないと酒を持ってフェトゥースの寝室に押しかけてくる。一晩中ゲームにつき合わされ、寝不足で朝を迎えてジェスレイに叱られたこともあった。


 地方の小さな貴族だったレジオーラ家が政務に携わるなど、普通はありえないことだ。けれど彼は強引に、しかも能力を見せつけることで、その定例を覆してしまった。

 当然ながら重臣たちの中には彼を危険視する者もいたが、ロッシェ自身がそういう周囲の目を気にしない。何よりジェスレイが彼の後ろ盾であったので、フェトゥース自身は疑念を抱いたことがなかったのだ。


 ――ジェスレイと、ロッシェ。

 少し考えれば、二人が父を暗殺した、という疑惑に気づいただろう。


 知らなかったと自分は思っていた。だから真相を知らされたときの衝撃は大きかったし、絶望みたいな感情にとらわれ思考が麻痺まひしてしまった。

 でも今なら、自分はその可能性から目を背け、心を閉じてしまっただけだと思える。

 誰にも心を開けない自分にとって、彼らはり所だった。だから――彼らを疑ってしまったら、信じられるものがなくなってしまう、と無意識に考えたのかもしれない。


 ロッシェは自分の兄だという。存在を隠され続けた、庶出しょしゅつの長子。

 父親の殺害を決意するほどに彼を突き動かした憎しみ――それに至るほどの扱いを、フェトゥースは想像することすらできない。


 正統でないという現実に追い込まれていたフェトゥースに、ロッシェは自分が兄だとは名乗れなかっただろう。

 ……いや、そもそもはじめから名乗るつもりはなかったと、ジェスレイは言っていた。


 それは、あの騒々しくて必死だった王宮での毎日が、彼にとっても幸せな日々だったからだろうか。

 何の打算もなく大切にしたい毎日だったから――……他者を利用し、脅しつけ、殺そうとしてまで、守ろうとしてくれたのだと、考えてもいいのだろうか。

 自分はそれほどの何かを、あの曲者くせものの兄に与えることができていたのか。自分が貰ったものと釣り合うほどに価値ある何かを、返すことができていたのか。


 答えを出せないまま、彼を迎えに行く資格はない。

 手段という物理的な意味においてではなく、彼の期待にかなう一個人として。


 だって自分はいまだに、彼が何を望んでいたのかわからないのだから。




 

 フェトゥースは、思いに浮かんだことをぽつぽつと言葉にしているようだった。

 まとまりのないそんな打ち明け話を、ルウィーニは黙って聞いていた。ラディンも一緒に聞いていた。


 話を聞きながら、ラディンは、ロッシェが自分や父を過剰に敵視した理由を漠然ばくぜんと理解した。

 共感できるかは別としても、理由がわかればもういいや、とも思った。




 

「ルードウェルは、不正や汚職というものが大嫌いな男だったよ。徹底した実力主義なところがあってね……ラスはともかく、俺は昔からよく彼に叱られたなぁ」


 記憶を引きだすように、ルウィーニはささやく。

 叛乱はんらんを起こされた王族側の人物が、裏切り側の息子に対し穏やかに過去を語っている。それは不思議な光景だなと思う。


「彼にとって俺は、地位と状況に恵まれていながら、全部をバカな弟に譲り渡した無責任な奴に見えたんだろう。……まぁ、見えたというか、それが事実なんだが」


 自嘲じちょう的な響きはなかったが、意味深に言って笑うと、ルウィーニは目を伏せ低い声で続けた。


「王の資質に国全体の発展と繁栄が掛かっていると、ルードは信じていた。そんな彼にとって、継ぐべき王座を放棄するということは、国家と国民への裏切り行為だった。彼は俺の父をとても敬愛していたから、向上心のない息子たちなど早々に見限って、自分が先王の理念を継ごうと考えたんだろうね」


 ルウィーニの話を聞きながら、フェトゥースもまた、彼自身が知る父の姿を思い描いているのだろう。

 ラディンは炎帝のことをよく知らないが、父がその人物を肯定的に話すことは、ライヴァン帝国のこれからにとって悪いことではないと考えていた。


「俺が王位を継いでいれば、叛乱はんらんは起きなかっただろう――島にいる間、その考えが頭から離れなくてね。でも、今さら反省したところで過去は過去、巻き戻せないし、俺自身もやはり学者の道を選んだことに後悔はないんだよ。だったら過去を教訓にして、同じ後悔を未来に犯さないよう、力を尽くそうと思ったのさ」

「父さんは、これからどうするの?」


 だからラディンは、気になっていることを父に聞いてみる。

 決戦のあとも、明日が巡るのを疑うことなく。

 ルウィーニもそれに当たり前のような顔で答える。


「俺はロッシェに、フェトゥース国王を手伝うと約束したからね。ロッシェにならって強引に城に押しかけようか」

「――え?」


 国王が驚いたように顔を上げ、ラディンはべたりとテーブルに顔から突っ伏した。


「とりあえず首都の学院に顔を出して、寮でも世話してもらうさ。そこからなら上手く手続きを取れるだろうし。ラディン、この機会におまえも帝都学院で勉強したらどうだ?」

「やーだーよーっ」


 学校なんて貴族の子供が行くものだ、とまでは言わないが、この歳になって今さら学校はちょっとない。シルヴァンで仕事を探すほうが自分には合っていると思う。

 テーブルに顔を預けたまま答えるラディンを見て、ルウィーニは愉快そうにあっははと笑った。


「息子よ、勉学は大事だぞ?」

「やだよー、もう今さらじゃん! いいさー、父さんが首都行くなら、おれはシルヴァンに戻るもん。父さん週末とか顔見せに来てよー」

「首都からシルヴァンか。少し遠いな……」

「父さん学院に顔利くんだから、便利アイテムとかさ、頼んでなんとかしてもらえばーッ」


 どうせ母は父についていくのだろう。だとしたら、ラディンも帝都に引っ越せばいい話なのだが……気が進まないのだ。

 子供みたいに駄々をこねていると、フェトゥースが不安そうに聞いてきた。


「本当に、いいんですか?」


 便宜上、公とか呼ばれているけれど、今のルウィーニはラディンと同じく一般人だ。身分も肩書きもない学院教師――それは何よりルウィーニ自身が望んでいた立場だと、国王も理解したのだろう。

 王という立場なのだからその権威で従わせることもできるのに、本当にフェトゥースはお人好しだ。

 おそらく父も同じように思っているのだろう、にんまり笑って答える。


「過去の失敗を繰り返したくはない、……きみや、この国のためにというだけでなく、俺自身のためにもね。だから俺は思うよ。ロッシェがきみを助けようとしたのだって、きみのためという理由だけでなく、自分のためでもあったんじゃないかな」


 国王は一瞬目を見開き、それから目を伏せてゆるゆると頷いた。震える声が、応じる。


「……はい。ありがとうございます、ルウィーニ公」


 それでいいんじゃないかな、とラディンは思う。ロッシェがどうとか、過去がどうとか、動くためには理由づけが必要なのかもしれないけれど。

 たぶん父の本心は、このお人好しの国王を助けてあげたい……そんなものなんじゃないかな、と。




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