[7-4]再会、誓い


 ――十年。


 改めて振り返れば長い期間なのだが、実感としての十年なんてあっという間だった。

 感覚としては、海賊討伐からライヴァン王城を経てここへ至るまでの期間のほうが、はるかに濃かったように思う。


 自分にとっての十年。父にとっての十年。

 そしてフェトゥース国王や、狂王ジェルマにとっての十年。

 長かったり短かったりと体感に個人差はあるだろうけど、世界が変化するには十分の時間だ。


 父は今、どんな気持ちでいるのだろう。

 無事かどうかという不安は、もうなかった。何か根拠があるのではないが、ギアやエリオーネ、聖獣や精霊たち、そしてカミィ、彼らから話を聞くごとに、その確信が積み重なってきたからだ。


 それでも不安なことはある。

 父にとって自分は十年前と変わらず、大切な息子でいられているのだろうか。





 賑やかな朝食を終え、後片づけを手伝ってから、ラディンはカミィに許可を得て一人書庫へと来ていた。

 家主の彼は職業が魔術師ウィザードだと言っていたが、学者でもあるのかもしれない。ひとつの部屋に集められた本は書店でも開けそうな量で、棚ごとに仕分けられ整理してあった。


 ラディンは棚をざっと見回し、中から歴史の本を見つけて引きだしてみる。しつらえられたソファに掛けてめくってみるものの、書き連ねられた年表やら人名やらに、数分で理解が限界を超えた。

 読書は嫌いではないが、ラディンの好みは物語や紀行記などなので、こういうタイプの書物は目が滑ってしまう。つまり、苦手分野だ。

 それでも頑張ってノロノロと読み進めていると、扉が開いて家主カミィが現れた。顔を上げたラディンを見て、ゆるく微笑む。


「まだここにいたのか。待ち人が到着したよ」

 

 その意味は問い返すまでもなく。読みかけの本もそのままにソファからラディンが立ち上がったと同時、カミィの後ろから赤い髪の魔術師が入ってきた。

 その紅玉ルビーの双眸を見た途端、胸に何がかぐわっとりあがってきて、視界が一気にぼやけて歪む。


「おぉ? 大層なものを読んでいるなぁ、息子よ。……ただいま」


 低く柔らかな声は、記憶の父とまったく変わっていない。

 十年間も離れていたというのに、さっき出かけて帰ってきたみたいな調子で話すところも――……。


「とっ……ととと……父さん?」


 安堵と懐かしさと嬉しさが胸の中でぐるぐる渦巻いているのに、口から出たのは疑問形。

 なんでッ、と自分に突っ込むラディンの前で、ルウィーニは一瞬目を丸くしたあと、大声で笑いだした。


「あっはは、しばらく会わないうちに可愛い盛りを過ぎてしまったようで、残念だよ! そうだ、間違いなくおまえの父だ。でかくなったなぁ、ラディン」


 壮年の魔術師は迷いなく側まで来ると、腕を広げてラディンをぎゅっと抱きしめた。力強い腕の温かさと安心感は、記憶より身体が覚えていて、涙がついに決壊する。


「と、父さん……っ、無事、だったんだ、良かった……ッ!」


 夢中で父の背に手を回し、抱きしめるというより、すがりついた。背も伸びたし手足も強くなったはずなのに、父の腕や胸板は自分よりずっと強くて、甘える気持ちをぶつけるようにラディンはしばらくルウィーニの腕の中で泣きじゃくっていた。

 あやすように背中をトントンとなでつつ、父は穏やかに笑って言う。


「もちろん、無事だったとも。俺も母さんも、元気だよ。心配をかけて悪かったなぁ」

「んんぅ……父さんは悪くないよ……。おれだって、全然捜しに行けてなくって」

「そんなことはないさ。ギアからもいろいろ聞いたよ、よく頑張ったな。おまえがあきらめなかったから、俺はまたこうして帰ってくることができたよ」


 優しい声と、頭をなでる大きなてのひら。迷いも不安も、その熱が溶かしてくれるようだった。

 こんなにまで会いたかったのかと自覚したし、会えてこんなに嬉しいのかと驚きもした。その感覚が、何より確かな父との絆なのだと考える。


「……おかえりなさい、父さん」


 ただいま、に返す言葉なら、きっとこれが一番ふさわしい。

 父がもう一度、耳もとで優しく「ただいま」と返してくれた。もう何も思いつかなくて、上手い返しなんてできず、ラディンは父を強く抱きしめ返した。

 




 カミィは気を利かせてくれたのだろう、いつの間にか退室していて、ラディンとルウィーニは今、二人きりで書庫のソファに腰掛けている。

 改めて観察してみても、父は十年前とあまり変わっていないようだった。……いや、白髪が増えて髪が伸びた気もする。


「ギアが父さんを迎えに行ってくれたんだね」


 ようやく落ち着いて涙も引いたので、ここまでの経過を思いだしながらラディンは父に聞いてみた。……ということは、ギアも今はここに戻ってきているのだろう。会ったらきちんと礼を言わなくては。


「ギアと、ロッシェだね。本人から聞いたけど、おまえ、ロッシェに殺されかけたって?」

「うっ、……ん」


 思いがけない過去が父の口から飛びだしたので、ラディンは心臓が止まるかと思った。ロッシェが自分から話したのか、それとも父が聞きだしたのか……気になるけれど、怖くて確かめられない。


「そうか、怖かっただろう」

「……父さんこそ、あの人に、何もされなかった?」


 あの殺意に満ちた瞳を思いだし、ラディンは我知らず身震いをしていた。彼がルウィーニまでも亡き者にしようとしていたら、と、今さらながら恐怖がりあがる。

 しかし、ルウィーニはそれを聞いてはははと笑った。


「大丈夫だよ、ラディン。俺のほうが彼よりずっと強いんだよ。……それに、彼にもいろいろと事情があるのさ」

「……そうなんだ。おれは、よくわかんないけど」


 そういえば父は腕っぷしの強い人だった、とぼんやり思いだす。

 ロッシェに受けた仕打ちについては、許すとか認めるとかはまだ考えられなかった。彼に対する恐怖心や敵愾てきがい心は、ラディンの心にまだ色濃く染みついている。理不尽に向けられた悪意を笑顔で処理できるほど大人にはなれない。


 それでも父がそういうからには、自分が気づかなかった何かに父は気づいたのかもしれない……とは思う。

 ルウィーニは、うつむいてしまったラディンの頭をわしわしとなで、腕を回して軽く抱き寄せた。


「気持ちはわかるよ。……まあ、ロッシェ本人は自分から監獄島へ居残ってしまったからね。おまえと会う機会はしばらくないだろうな」

「――え?」


 告げられた状況の変化に驚いて顔をあげれば、優しく笑う父が見えた。


「それと、フェトゥース国王が狂王との決着を見届けたいと言うから、同行してもらったよ。機会があれば、彼と話してみるといい……、城という囲いを出てこそ話せる本音もあるだろうからね」

「陛下が……来てるんだ」


 少し驚き、思い直して素直にうなずく。父が連れてきても大丈夫だと判断したのなら、勝機はつかめるということなのだろう。

 ルウィーニは紅玉ルビーの目に決然とした光を宿し、扉のほうへと視線を移す。


「待たせてしまったが、これで人員がそろったのかな。一刻も早く動きたいところではあるけどね、対決するならこちら側の事前準備は不可欠だ。今夜はゆっくり休んで、明日……出向くことにしよう」

「父さん。……父さんなら、間違いなく勝てるの?」



 聖獣の言葉、ラヴァトゥーンの言葉、思いだせば不安がわき起こる。

 終わらせたいという願いはあれど、いくら歴史書をめくっても、終わらせる方法を見つけることはできなかった。

 視線が戻され、穏やかな瞳がラディンを射抜く。


「あぁ、俺は今期で終わらせるよ」


 言葉にしていないのに、なぜわかったのだろう。――そう思ってしまうほど、ラディンの心と同調シンクロした答えが返る。


「ユニコーンのクレストル……聖獣に会ったかい? 彼の力を借りれば、この悲劇の根本を断つことができるはずだ。詳しくは作戦会議のときにでも話すつもりだけどね」

「うん。あのこ、クレストルっていうんだね」


 ラディンの中にある不安には、聖獣――クレストルが無事のまま終われるのか、という不安もある。でもそれだけではなく、何かもっと大きく根深いもの……もしかしたらこれは恐怖感なのかもしれない、と思った。

 胸をす感情の正体がつかめず戸惑う心を見抜いたかのように、父は微笑む。


「任せなさい、ラディン。かなしくて苦しくてどうしようもなくやりきれない結末なんて、俺は大嫌いだ。絶対に、そんなことにはしないと約束するよ」


 絶対なんて約束が、この世界にあるはずがないのに。

 それでも、ラディンはうなずく。


「わかった。父さんを信じて、任せる」


 信じていいのだと思った。

 だって、父は本当に帰ってきて、今は間違いなく目の前にいるのだから。




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