[7-3]光翼の聖獣


 話がまとまったからといって、さあ出発だ――とはいかない。

 時刻はすでに夜、貴石の塔まで転移魔法陣テレポーターを使うとしても、そこから夜の森を通り抜けるのは現実的ではないからだ。


 今夜は王城に泊めてもらい、明日の朝早く出発することに決めて、その場はいったん解散となった。

 ギアとしてはエリオーネやルインと情報共有しておきたい気持ちもあったが、ロッシェの件をまた説明するのかと思うと憂鬱ゆううつになったので、狂王の件が終わってから改めて話そう、と決意する。

 一日中歩き詰めだった上にメンタルダメージが相当大きく、今日はもう無理だった。


 ルウィーニは、ジェスレイと話し込んでいたようだった。あのあと、ラスリードに会いにいったのだろうか。

 気にはなったが確かめるほどでもなく、ギアは夕食をとって風呂を借り、早めにベッドへ入って朝まで泥のように眠ったのだった。





 そうして迎えた、早朝。執務室に集合したギアとルウィーニは、フェトゥース国王とドレーヌが身支度を整えている間、ソファで待ちながら、今後の流れを再確認していた。

 執務室にはジェスレイもいたが、特に何かを言ってくるわけでもない。


「ひとまず、ゲートを通って塔の近くに出てから、カミィの家に向かえばいいんだね」

「ああ。そこで全員集合、って感じらしい」


 とかなんとか話していたところへ、勢いよく扉を開けて書務官のオールスが飛び込んできた。


「陛下! え、あれ?」

「どうした、オールス」

「は、はい! 陛下に占術の結果を伝えに来たのですが……」


 騎士長の威圧にびくつきながらも、オールスの目は事情を問いたげにギアを見る。最初の強行突破の件もあって気まずさと苦手意識が残るギアは、黙って視線をそらし、その無言の問いをかわした。

 そこへタイミング良く、開けっ放しの扉から身支度を整えた国王が入ってくる。


「オールス、僕は今からドレーヌと一緒に、狂王との決着を見届けてくるよ。帰りがいつになるかは現時点じゃ伝えられないけど、その間ジェスレイと留守を頼む」

「は!? そんな危険な……ってそうだ、陛下、占術の結果を伝えに来たのですがっ」

「ああ、そうか」


 騎士長と国王では、国王のほうが近づきやすいんだろうなぁ……と、オールスの一喜一憂を眺めながらギアは思う。

 フェトゥース国王は手渡された紙に目を落とし、ギアの隣で同じように観察していたルウィーニを見た。


「実は、狂王の動向を事前に知れないかと占ってもらったのですが、これは公にお渡しすればいいですか?」

「うん? 俺?」


 ルウィーニはすぐに立ち、近づいていって、紙を受け取った。ざっと目を通し、にやりと笑む。


「これは良い情報だね。……ジェスレイ、この結果を宮廷魔術師たちに伝えてくれないかな。それと、帝都学院のフォンルージュ教授にも。ルウィーニが帰還したと申し添えてくれれば、伝わるはずだ」

「ふむ、なるほどな。了解した」


 どうやら高位の魔術師たちや帝都学院の識者たちは、政権に対し中立の立場にあるらしい。少なくとも炎帝は、自分の側につかないからと彼らを根絶やしにするようなことはしなかったのだろう。

 ルウィーニは流刑前に学院教師だったらしいので、彼の研究について把握しているだろうことも予想がつく。

 ジェスレイがオールスに指示を与えはじめたところに、ドレーヌが入ってきた。


「お待たせいたしました。私も、いつでも出発できます」

「僕も、準備は万端だ」


 簡素ながらも上質の鎧に身を包み、愛剣を携えた王と近衞騎士を見るルウィーニの表情は、父親のように柔らかい。ひとつ頷き、壮年の魔術師は愛用の杖を取り上げて言った。


「では、行こうか。ギア、フェトゥース国王、フィナンシェ卿。終わらぬ悲劇に終止符を、打つためにね」





 ライヴァン王城と貴石の塔をつなぐ転移魔法陣テレポーターからカミィの家までは、徒歩だと一時間ほど掛かるらしい。よく考えればギアは道を知らなかったので、ルウィーニが案内することになった。

 そういう事情で、今はルウィーニが先頭、隣にフェトゥース、すぐ後ろにドレーヌ、しんがりをギア、という順で歩いている。

 フェトゥースがいろいろな話を聞きたがり、それを後方からドレーヌが見張っている、という状況だ。それでも引き離さないところを見ると、彼女のルウィーニに対する信頼度はなかなか高いと言えるだろう。


「ライヴァンの建国王……俺にとっての先祖にあたる人物が、ヴェルク=ザレイアという剣士でね。彼は監獄島で生まれ育ったんだけど、父が政敵に流刑にされた元王族だったらしい。彼は監獄島の崖から海に飛び降り脱出を図ったと伝えられているんだけど、海の精霊獣ムルゲアと、ムルゲアと仲良しだった鱗族シェルクの少年に助けられて、少しの期間を彼らの国で過ごしたのち、地上に戻ったとされる」


 島でもしていたムルゲアの話を、彼は今、国王に聞かせているようだ。

 なぜそんな話になったかといえば、フェトゥース国王がルウィーニの妻つまりラディンの母の安否を気にしたからなのだが。


「その縁で、俺たちの家系は鱗族シェルクと親しくてね。妻は鱗族シェルクたちを通じてムルゲアに会い、監獄島へ忍び込もうと思ったらしい。もちろん、そんな無茶をされても俺が困るから、今は海底神殿で大人しく待っててもらっているのさ」

「それは……寂しいでしょう」

「まあ、会いたいのは確かにそうだけど、まずは足元を固めないと妻を危険にさらすことになってしまうからね。……さて、そろそろカミィの家の近辺だ」


 鬱蒼うっそうとした森はギアの目では違いがよくわからないが、ルウィーニがそういうのなら間違いないのだろう。

 緊張を表情ににじませ口をつぐんだ国王の代わりに、ドレーヌが尋ねる。


「ルウィーニ殿。カミィ氏とは、どのような方なのです?」

「カミィは死神レイスの部族の魔族ジェマで、貴石の塔を見張ってくれている人物だよ。彼の妻は元々、ライヴァンの宮廷魔術師だったんだけど、今は辞めてカミィと一緒に暮らしているはずだ。彼女……ルイズとは同期で一緒に勉強をした昔馴染みだし、カミィも信頼のおける人物だから心配はいらないよ」

「なるほど、わかりました」


 政権が代わるといろいろな情報も置き去りにされてしまうのだな、とギアは思う。ロッシェはこの世の終わりみたいな絶望感にさいなまれていたが、こうやって聞けば、現状のライヴァンにも頼れる相手はそれなりにいたわけか。

 人脈が力だというのなら、ルウィーニの帰還によってライヴァン帝国の方向性も、大きな変化を迎えるかもしれない。


「ところでギア、カミィの所には誰が待っているのかな?」

「――っあ、忘れてた! オヤジさん、ラディンも俺らと一緒に貴石の塔に来てるんだ。まだ、近くの獣人族ナーウェアの村にいるか、もしかしたらカミィんとこに来てるか……」

「へぇ、それは楽しみだな! 十年ぶりだから会いたいよ。大きくなっただろうね」


 どうにもロッシェにペースを乱されて、物事の順序がめちゃくちゃだ。

 軽い自己嫌悪を覚えつつ頭を振るギアだったが、フェトゥースもまたルウィーニの隣で、息を詰めたようだった。

 そんな国王の様子に気づいたのだろう、ルウィーニは柔らかく笑んで国王の肩を叩く。


「十年離れていても会いたい、と思えるのは、幸せなことだ。きみが、自分を責めることではないよ」

「ですが、……申し訳ありません」


 うつむく国王にルウィーニは答えを返さず、拳を握ってフェトゥースの額を軽く小突いた。驚いて顔を上げる国王に、にやりと笑ってみせる。


「王権譲渡も監獄島への流刑も、選んで受け入れたのは俺だ。もとより死ぬつもりはなかったし、ルードも俺が死ぬとは考えていなかったはずだよ。だからね、……父王ルードの影に縛られるのはもうやめて、きみはきみのやり方で、王の責務を果たせばいいんだよ」

「…………」


 黙って見つめ返したフェトゥースが、こくりと頷く。それを見届け、ルウィーニは「さて」と話を切り替えた。


「たぶんあの大樹の根元が隠された入口だね、……と樹霊リーフィが言っている」


 ギアには見えないたくさんの精霊たちが、今ここに集っているのだろう。

 ルウィーニが近づいて杖で触れると、ゆらりと溶けるように景色が変化し、通り道が現れた。踏み込もうとしたところで彼はふいに振り返り、呟く。


「……きみは」


 かさりと落ち葉を踏む音、かすかな気配に、ギアとドレーヌも振り返る。少し遅れて国王がつられ、驚いたように声を上げた。


「ユニコーン……?」


 鹿に似た真白な身体と、額に頂く螺旋らせんの一本角。深い藍色の瞳をした不思議な獣が、じっとたたずんでこちらを見ていた。

 ルウィーニが引き返し、ゆっくり歩いて獣の前に立つ。杖を持ったまま両手を大きく広げ、彼はすんなり長い獣の首を両腕で抱いて、ささやいた。


「久しぶりだね、クレストル。重い務めをありがとう。そして、ご苦労様」

『ルウィーニ』


 鼓膜を震わすのではない声が、届く。白い獣は甘えるように頭をすり寄せ、ルウィーニは獣のたてがみや角を優しくなでている。


「きみは頑張りすぎだ、クレストル。人の世のことはきみらの責任ではないし、きみが身を削ることはないと、言ってるじゃないか」

『そうは言うが、ルウィーニ。現に悲劇は繰り返されたのだ。彼は過去、吾等われらに関わる出自を持つ者だ、無関係とは言い切れまい』

「ああ、そう言うと思っていたよ」


 白い精霊獣と人間族フェルヴァーの魔術師――それは何とも絵画的な光景だった。

 ギアたち三人がぼうっと眺めている中で、ルウィーニは頷き、力を込めて答える。


「この悲劇には、此度こたびで決着をつけよう、クレストル。力を貸してくれるかい?」

『無論』

「ならば、今一度きみの名を。〈聖なる泉の優しき守護者Ro-Teewil-Atool-IleirクレストルCrystal光の翼に満たされよLight-Lia-Roun〉」


 魔術師の口から、誰も聞いたことのないような発音の言葉が紡がれる。歌の旋律に似た響きが空気を震わせた直後に、一角獣ユニコーンが純白さをまし光を放った。

 思わず細めた視界にぼんやり見える、白く輝く鳥の翼に似たもの。


「大丈夫だ、きみが消されるようなことは、俺が決して許さないよ」


 ルウィーニが、強く言いきる。

 一角獣ユニコーンの背には、光に透ける翼が現出していた。息を飲むほどに美しく、ギアでも肌で感じるほどの強い魔力に満ちている。


「オヤジさん、何したんだい?」

「魔法の言葉とでも言っておくかな」


 何を言っているのか全然わからないが、詳しく聞いたところで理解は及ばなさそうだ。何にせよこれが、カミィが言っていた『聖獣を回復させる』方法なのだろう。

 国王と騎士の様子をそっとうかがってみるが、二人もきょとんとした顔をしていて少し安心するギアだった。


「クレストル、俺はカミィに会ってくるから、きみはもう少しだけ待っててくれるかい?」

『了解した』


 獣が頷いて翼を広げる。ふわりと発光し、その場から獣の姿が消えたのを見届け、ルウィーニは三人を振り返って杖を持ち上げた。


「時間を取らせて悪かったね。それじゃあ改めて、行こうか」


 その言葉に、今度こそ四人は隠れ家へと続く道へ足を踏み入れたのだった。




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