[7-2]魔術師の帰還


 夕刻の執務室にわずかな緊張が走る。ギアとともに入ってきたのは、白髪混じりな赤金の髪と紅玉ルビーの目、学院教師が着用するのと似た長い上衣、口もとからあごにかけてを短い髭で覆われた、柔和な面差しの壮年男性だった。

 ジェスレイが驚いたように目を見開き、うめくように呟く。


「ルウィーニ……生きていたのか」


 ルウィーニ=レオン=ディニオード。旧王統の公爵位だった人物で、先ほど執務室に乱入してきたラスリードの兄だ。

 フェトゥースの身体がつい強張ってしまうのも、無理からぬことだろう。

 父が将軍職にあった頃まだ十代だったフェトゥースは、彼に会うのもはじめてだ。

 聞きようによってはかなり失礼なジェスレイの呟きにもルウィーニは気分を害した様子はなく、紅玉ルビーの目をすがめて口の端を上げる。


「監獄島といえど、精霊は正常に活動しているからね。お陰でなかなか有意義な時間を過ごさせてもらったよ。――フィナンシェ卿、フェトゥース国王。二人とははじめましてかな? 俺がルウィーニ。かつてはルウィーニ=レオン=ディニオードと呼ばれていたよ」


 何か返答をと思いながらも、フェトゥースの喉はふさがったように言葉が出てこなかった。ドレーヌは軽く礼を取り、少し下がって場所を空ける。

 ルウィーニはちらりと騎士長のほうへ視線を走らせ、ゆっくり近づいて国王の前に立った。

 彼が腕を持ちあげ、自分のほうへ伸ばすのを見て、フェトゥースは思わず後ずさる。……が、彼は構わず国王の肩に手を回し、わりと強い力でぐいと抱き寄せた。


「――ッな!?」

「ルウィーニ殿、何のつもりですか」


 驚いて身を硬くするフェトゥースと、警戒を強めて声を上げるドレーヌ。

 その隣で騎士長は、重い息を吐いて頭を振った。


「変わっていないな、ルウィーニ。貴公は誰にでもベタベタと、馴れ馴れしすぎる」

「失礼、驚かせたね。でも、泣いている上に怪我までしている子を放ってはおけない――」

「その傷を作ったのは貴様の弟だ」


 苦く吐きだされた真相にルウィーニは一瞬目を丸くし、それから国王の肩を軽く叩いて手を離した。わずかな接触で魔法でも使ったのだろうか、フェトゥースの傷は綺麗に消えており、今は痛みもなくなっている。

 ルウィーニは数歩さがって国王との距離を取り、ふふ、と抑えた笑い声を漏らした。


「そうか、ラスも無事だったか。いや、何というか、申し訳ない! あれはバカでどうしようもないからなぁ、悪かったね」

「いえ……その、あの方にも悪意があったわけではなく」


 笑えない話を笑い飛ばすルウィーニと、自分を殴った相手をなぜか弁護するフェトゥース。ジェスレイが再び重くため息をつき、ギアはガリガリと自分の髪をかき回した。

 奇妙ななごやかさがその場にゆるゆると広がりつつあるが、これもルウィーニのまとう独特な空気のせいだろうか。


「……ところで、旅渡りょと券はエリオーネ殿とラスリード先王に渡したはずなのに、なぜギア殿が?」


 油断していたところで一番気まずい質問が来てしまい、ギアの動きが止まる。ルウィーニはそもそも事情を知らないし、元凶野郎ロッシェはこの場にいない。どう考えてもギア以外に説明できる人物はいなさそうだった。

 経緯を思いだせば苛々いらいらが再燃し、ギアはつい苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔になってしまう。


「実は、塔の調査の結果っつーか……事情がいろいろ判明して、俺とロッシェがこうを迎えに行くことに決まったんです。で、城へ戻ったところで姉御たちに出くわし、戦力不足な二人の代わりに俺とロッシェで、監獄島へ向かうことに」

「賢明な判断だと思うよ。それで、ロッシェは?」


 肯定的な台詞とは裏腹な険しい表情で、フェトゥースが畳みかけた。

 ギアは言葉を探すように何かを言いかけ、項垂うなだれる。


「――悪ィ。あいつ、俺から旅渡りょと券を奪って監獄島に居残っちまって。あー……、頼むから理由は聞かねぇでくれ。俺だって知りたいくらいなんだ」

「なんだって」


 ギアの予想にたがわずフェトゥースは一気に蒼ざめて、旅渡りょと券発行に関わる書類らしき紙束を執務机から取りだした。色の失せた唇が震え、押しだすような声が呟く。


旅渡りょと券が……効力を保ったままだ。この状態では、別の旅渡りょと券を発行することはできない」

「あの馬鹿者め、この非常事態に何をやっている」


 ドレーヌが怒りを抑えるようにこめかみを押さえて唸る。

 二人と同じく顔色をなくして絶句しているジェスレイにルウィーニが近づいて、尋ねた。


「ジェスレイ。きみに会ったら、ロッシェは何者だ……と聞くつもりだったけど、やはりそうなのか」

「……貴公なら、気づくだろうとは思っていたが」

「それが悔しくもここに来るまで気づけず、見事に出し抜かれてしまったよ。なるほど……自分の息子を最強の私兵に仕立てあげるなんて、いかにもルードらしいやり方だ」


 強い確信が込められた言葉に驚いて、ギアがルウィーニの顔を凝視する。


「てことは、あいつ、国王の兄なのか?」

「そうだよ。……なるほど、それを聞いてわかった気がする。ギア、彼は何も自暴自棄になって島へ残ったわけではないようだ」

「どういうことだよ」


 ぼう然と立ち尽くす国王と、憤懣ふんまんやるかたないといった様子のドレーヌ、困惑するギア、三人に問うような視線を投げかけられて、ルウィーニは苦く笑った。

 言いにくそうに、口を開く。


「彼は計算の上で、島に残ったんだよ。おそらく、自分が国に戻って国王に助けになれない、というを埋め合わせて余りある、彼の目的にかなうを見つけたんだろう。……まったく」

「何だそれ。あいつ、監獄島で何かしたいことでもあるのか?」

「違うよ。事は、もっと単純シンプルなのさ」


 問いを重ねるギアに、ルウィーニは告げる。

 あるいは彼が見ているのはロッシェではなく、彼の父であった炎帝の若かりし頃なのかもしれない。


「ロッシェは、ここでの役割を俺に肩代わりさせるつもりだろうね。俺を利用――いやここは甘えられたと言っておこうか、俺に甘えて自分の望みを果たそうとしているわけだ。これは、下手を打ったら絶対許してもらえないだろうな」

「どういうことですか、ディニオード公。貴方は、ロッシェの望みをご存知なのですか?」


 ようやく言葉を取り戻した国王が、すがるような目でルウィーニを見る。しばし口を閉ざしたのち、ルウィーニはため息をつくように答えた。


「俺は、彼のことをほとんど知らないからね……何とも断定はできないよ。とにかく今は、狂王との決着をつけるのが最優先だ。ただ、彼の望み描いた未来が俺の読みどおりだとしたら、俺はそんなものに利用されるのは真っ平だ。本気で、覆させてもらうよ」

「オヤジさんは、どう読む?」


 ギアが問う。真っ平ごめんだという気持ちは、彼もルウィーニとそう変わらない。

 ルウィーニはこの場にかいした全員を目で確かめ、それからギアを見た。


「娘を愛する父親が、愛を失ったわけでもないのにその元を去ろうとする理由は何だろうか。帰れない理由をこじつけ、捨てたのではないと言外に演じてまで、離れる理由は。……きみは、どう思う?」

「んー……、自分がいると相手が不幸になるから、ってか」

「たぶん、ね」


 この場にいる者の中で一番深くロッシェの本音に触れたのは、ジェスレイもしくはギアだろう。

 ほぼ初対面でここまで見抜くルウィーニの観察眼にギアは驚きつつも、彼に向けた言葉がほとんど届いていなかったことを思い知って暗い気分に陥る。


「とにかく、狂王との決着がついたら、俺はロッシェの母親に会いに行こうと思う。……いいだろう、ジェスレイ」


 沈んでしまった場の空気をえるように、ルウィーニが努めて明るい声音で言い、ジェスレイはそれに首肯を返した。


「好きにすればいい。今さら、私に口出す権利はない。彼女は今、レジオーラの館に住んでいる」

「わかった。それじゃ、この件は今は保留だ。……さて国王陛下、立ち聞き続きの話題で恐縮なのだけどね」


 椅子に座って項垂うなだれていた国王が、ルウィーニに呼びかけられて顔を上げる。ロッシェのことで話がそれたが、大事な決定がいまだ宙に浮いたままなのを思いだす。

 背筋を伸ばし見つめ返す若い王に、壮年の魔術師は優しい笑みを向け問いかけた。


「きみは、狂王を封じるということが何を意味するか、本当に理解しているかい?」

「……どうなのでしょうか」


 上手く答えられなかったのは、思いもかけぬ質問だったという理由ばかりではないだろう。狂王についての知識も、彼を封印するという具体的な手段も、今のフェトゥースは知らないのだ。

 そんな自分が息巻いていたことを恥ずかしく思い、フェトゥースはうつむいて唇を噛む。

 ルウィーニは柔らかい表情を崩さずに続けた。


「単に、個人を牢に閉じ込め鍵をかけるのとは違うよ。これは、誰かの命を奪うということだ」

「……いや、オヤジさん。殺せないから封印――って話じゃねぇのか?」


 ギアがごく当然の質問をし、ルウィーニは視線をギアに移して答える。


「確かに、英雄エイゼル王……俺の父は彼の不死を読み解けず、幾重いくえに仕掛けをほどこした塔に幽閉することで彼の活動を封じ込めたんだけどね。俺は、ずっとそれについて研究をしてきたから」


 低く、ささやくように声が落ちる。


「俺は父のように彼を封印するつもりはない。俺は彼を殺すよ」


 虫すら殺しそうにない柔和な雰囲気を持つ人物から発せられた、明確な殺意。その重さを肌で感じ、フェトゥースは黙って息を飲む。

 彼が繰り返し述べたという言葉が、今改めて存在感をともない迫る気がした。だから、尋ねる。


「私が行って、役立つことはできるでしょうか」

「もちろんだよ。きみが自分の目で見届けたいというのなら、連れて行く。危険が皆無とは言わないが、守ってやれる自信はあるよ。きみ自身もある程度の魔法と剣の心得があるようだし、大丈夫だろう」

「では、貴公が陛下に危害を加えないというのは、誰が保証してくれるのですか?」


 硬い声で横槍を入れたのは、ドレーヌだった。その率直な疑念にルウィーニは目を丸くし、眉を下げてくしゃりと笑う。


「なるほど! きみは聡明な部下を持ったようだな、ジェスレイ! 確かに、そういう危険もあるね。ギアでは保証としては弱いか……。それじゃあ、卿も一緒に来るといい」

「陛下が行くのであればもちろん私も同行しましょう。宜しいですね? ジェスレイ様」


 若い二人の決意を老騎士がとどめるのは難しい。呆れているのか気鬱きうつなのか、ジェスレイの顔は数年分も老けたように見える。

 本日何度目かわからないため息を吐きだし、淡々と答えた。


「私にはもう止められぬ。……陛下、貴方にとっての危険は狂王のみならず、暗殺という企みもあるということを心得くださいますよう。どうか、ご無事で」

「わかっているよ、ジェスレイ。我がままを言ってすまない」

「謝らないでくだされ。陛下がこれで前へと進めるのなら……私は、それで良いのです」


 孫を見る老人のような目をフェトゥースに向け、それからジェスレイは、ドレーヌ、ギア、ルウィーニを見る。


「陛下を頼んだぞ。くれぐれも宜しく――……頼む」

「承知いたしました」


 ドレーヌが短く応じ、ギアが頷く。

 黙って眺めていたルウィーニはふ、と笑って楽しげに言った。


「ジェスレイ。相変わらずきみが何を考えているか、俺にはよくわからないが。ロッシェがフェトゥース国王を好きな理由は、わかったような気がするよ」




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