7.王の出立
[7-1]国王の決意
ライヴァン王城の執務室には、嵐が過ぎ去った戦場跡のような重い沈黙が張り詰めていた。
顔を洗って傷の手当てをしたくらいで、フェトゥースは
三人三様の複雑な思いが胸中にわだかまっており、互いにそれを口に出せるほど消化できてもいない。
そんな居心地の悪い空気が、場違いに慌ただしい足音で破られたのは、そろそろ今日の執務が終わろうという時刻だった。
「陛下、報告が届いております!」
焦ったような事務口調でノックもせずに扉を開けたのは、書務官のオールスだ。
入るなり、場の異様な空気に気づいて足を止めたが、ジェスレイが顔を上げて続きをうながす。
「構わん、続けなさい」
「は、はい! では、陛下にこちらを……って、どうなさったのですかその怪我は!?」
差しだした書類を受け取る国王の顔に殴られた
「気にしないでくれ。今は、説明する気になれないんだ」
「ですが……」
助けを求めるようにさまよった視線がジェスレイを見たが、騎士長は黙って首を振る。そして席から立ち、国王の執務机まで近づいて尋ねた。
「何か、問題でも?」
「――オールス、これはいつの報告なんだ?」
若い書務官は二人から同時に問いを投げられて慌てふためきつつも、手元にある写しをめくって答えを探す。その間にジェスレイは国王から報告書を受け取り、ざっと目を通して険しく眉を寄せた。
「事件が起きたのは、昨晩のようです。襲撃されたのは、ティスティル帝国との国境付近にある
「狂王の仕業……というところだろうな」
報告を聞いた国王は苦く呟いて唇を噛む。状況はサイドゥラの悲劇を再演しているようでもあり、ここから事態がどう進んでいくかは想像がついた。
あえて
「いかがいたしますか?
「そんなことはわかっている」
「はいっ、出過ぎたことを、申し訳ございません!」
ジェスレイの一言は場の空気を凍らせる声音で、オールスは震えあがった。国王はそんな騎士長にとがめるような目を向け、それから書務官に視線を戻す。
「
「大まかな位置を知るのは可能ですが……相手は
「それなら迎えうつしかないか」
言葉にすれば簡単だが、そのために取れる手段はほとんどない。それでも国王は真剣だった。本気で、打つ手を考えているようだった。
黙って見守っていたドレーヌも手を止めて立ち上がり、三人の側へやってくる。
国王と一緒に考え込んでいたオールスが、あっと声を上げて手を打った。
「そうだ!
「確実とは言えんが……絞り込むのには有効かもしれんな」
ジェスレイの意見にオールスは急いで書類を取りまとめ、不安そうな国王に告げる。
「では、行って参ります! 陛下はどうか余り思い詰めませんように」
「……ありがとう、オールス」
来たときと同じくバタバタと出ていく書務官を見送ってから、ドレーヌが強い視線で国王を見た。
「陛下、誰を派遣するおつもりですか?」
「騎士団や、国軍では……
とは言っても、インディアは貴石の塔に赴いたままだし、高位魔法を扱える宮廷魔術師たちは皆かなりの高齢だ。ジェスレイやドレーヌは、そもそも魔法の心得がない。
数秒の沈黙を挟み、フェトゥース国王が静かに立ちあがった。
迷いを映して揺れていた桜色の光が、今は決意を宿し強く輝いている。
「僕が行く」
「――それはいけません、国王陛下! 貴方にもしものことがあったら、どうするのですか!」
反射的に声を上げるドレーヌの言い分はごく当然のもので、国王としても予想の
「ロッシェも、イディも、僕がしでかした不始末のため危険な場所に赴いてくれている。ギアやエリオーネ……彼らだってそうだ。なのに僕はここで、安全な場所で、ただ座って報告を待っている。おかしいと思わないか?」
ドレーヌは一度頷き、次いで否定の意に首を振る。理解を示すのとこれとは別なのだと、彼女の瞳は物語っている。ジェスレイが進みでて、静かに告げた。
「お気持ちはわかります。ですが、国主が城を空けて御身を危険にさらすなど、容認できるはずがありませぬ。派遣兵は私が選抜し、精鋭を編成しますゆえ……」
「ジェスレイ」
遮るように、フェトゥースが呼びかけた。
「僕はずっと、ラスリード殿が言ったことを考えていた。なぜ彼が僕を殴ったのかを、考えていたんだ」
淡々と呟くように声が落ちる。
感情的に高ぶるわけではなく、彼は彼自身が考えて至った思考を言葉にしているのだろう。そう思わせる、落ち着いた声だった。
「僕はずっと、自分は正統じゃないと自分に言い聞かせて……言い訳ばかりしていた。
はじめから王族として生まれついたのではないフェトゥースにとって、正統を押しのけ帝位についた父は偉大で、超えることのできない壁でもあった。
大きすぎる立場の変化に戸惑い、向き合い、ようやく慣れてきたところでの、父の死。
途方に暮れるどころではない。彼はずっとこの立場から逃げだす機会を、願っていたのかもしれなかった。
そんな無意識の逃避を、ラスリードは見抜いたのだろうか。
「僕はずっと、向き合おうとしていなかった。何もかもジェスレイに頼って、上手くいかないことも気持ちの上でジェスレイに責任転嫁してた。皆が、こんな僕をなぜ助けようとするのかも、考えようとせずに」
味方より敵が多い――その現実は覆せない。あからさまな敵意や
今だって、帝国のどこかでは現国王を排そうと策を練っている者たちがいるのだ。
そうだとしても、どんなときでも、支えて助けてくれる手は皆無ではなかった。今だって、この現実に立ち向かっているのはフェトゥース一人ではないのだから。
「正統じゃない――……そう言って現実逃避するより、僕は皆の期待に
顔を上げジェスレイを見て、フェトゥース国王ははっきりと言い切る。
騎士長は何か言いたげにしつつも視線を落としてしまい、代わりにドレーヌが数歩近づいて、ふっと短く息を抜いた。
「陛下、
容赦ない正論に、フェトゥースが反論の言葉を探して
「誰だ!?」
何かに気づいたドレーヌが警戒を込めた
ややあって、扉がカタリと開かれる。
「すまねえ、立ち聞きするつもりはなかったんだが、話の流れをぶった切るのも悪いかなァと」
執務室に入ってきたのは、傭兵風の若い男と魔術師風の壮年男性――、ギアとルウィーニだった。
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